Home / Site Map / Previous / Next

13 十月の空/CD-ROM/夜の帳の中で

(はじめに)

* I'd write outlines of stories from 2 books, "Hideo Collection-2 Jyugatsu-no-sora" and "Azuma Hideo CD-ROM WORLD", in this page.
( WARNING : There are many stories for adults only. )

000cover

*「定本ときめきアリス」(チクマ秀版社 2006年6月25日)の巻末には、次回刊行予定である「夜の帳(とばり)の中で」についての広告がある(チクマ秀版社のサイトでも現在、同じ広告、全収録作概要が見られる。「8月上旬刊行予定」で「カラー23頁・本文全340頁予定」とのこと)。そこに明記されている収録作品の題名を見ると、僕が現在所持しているものの中では「Hideo Collection-2 十月の空」と「吾妻ひでおCD-ROM WORLD」の2冊が、その内容にほぼ近いようだ。それで、これらの出版物をテキストとして、少しづつあらすじを紹介してみようかと思う。

001cover

 「Hideo Collection-2 十月の空」(双葉社1984年12月9日初版第1刷)のほうは普通の図書なのだが、「吾妻ひでおCD-ROM WORLD」(株式会社アスキー1995年12月25日初版)はちょっと変り種で、パソコンで走らせるためのソフトウェアに図書の付録がついているようなつくりになっている。Windows3.1で動作するよう作られたものだが、試してみたらWindows XPでも正常に使えるようである。ただし、Windows XPの解像度は800×600が最低なので全画面での再生はできない(このソフトは640×480用なので、画面より小さくなってしまう)。そのため人によっては文字など少々見づらくなるかも知れない。
 とはいえこのCD-ROMは、図書には無い特長・利点もいろいろ持っている。生原稿をそのままスキャンしてデータにしてあるため、ベタの塗りムラや、写植の下に残っている鉛筆がきの台詞などまでが鮮明に再現されており、独特の迫力を感じ取れることなどはその1つだ。とはいえそうした工夫はマルチメディア(という言葉が1995年ころには流行していた)としての特性であって、吾妻作品と直接の関係は無いだろう。よって、そうした話は割愛しようと思っている。この点、どうぞあらかじめご了承下さい。



遊歩道

01yuho

(描き下ろし 1984年10月)
"yuhhodou (meaning : a promenade)"

"There is such a nice promenade, why nobody play here ?"
A girl wonders and walks the empty promenade by herself. Then somebody in black (We cannot see his face because he pulls his hat down over his eyes), speakes to her,
"If you play here, you will have a so dreadful experience".
But the girl seems been intrigued on the contrary ......

 「こんなにステキな遊歩道があるのに どうして誰も 遊ばないのかしら」
そう不思議がって独りの少女が、誰もいない遊歩道を歩いていると、黒尽くめ(帽子を被っているので顔は見えない)の何者かが声をかけてきた。「ここで遊ぶととても恐いめにあうよ」と告げられるのだが、少女は逆に興味をもったようで……。

*何やら恐ろしげな出だしであるが、大丈夫(読めば分かります)。この短編のヒロインは、書籍「Hideo Collection-2 十月の空」のカバーにも登場している。そこでは少女の頭上に晴れ渡った青空が存在するのだが、これは印刷の段階で合成され加えられたもののようである。吾妻ひでおによる原画だと空は白ヌキ無地で何も描かれていない(2013年11月、原画展にて実物を確認)。



陽射し

02hiza
(少女アリス Vol.13 1980年8月号)
"hizashi (meaning : the sunlight)"

During the lesson at classroom in early summer, a girl shows dejected profile as if she becomes worn out with summer heat. When she goes alone home from school, 2 boys talk to her on a road. It is a kind of polite proposal of date, but she sheds tears while she listens and turns her face away them ......

 初夏。教室で授業が行なわれているのだが、何もせずとも体力を奪われるのか、少女は沈んだ横顔を見せている。独りぼっちで下校し帰宅する彼女に、道で2人の少年たちが話しかけてきた。それはどちらかと言えば礼儀正しい、交際の申し込みだったのだが、顔をそむけて聞いていた少女の頬には涙がこぼれて……。

*女なんて何を考えているのか(何を嫌がり何を喜ぶのか)さっぱり分からない。そんな、男の側の困惑が裏返しになり、掌編として結実したような印象を受けたのだけれど、どうだろう。



水底

03mina
(少女アリス Vol.14 1980年9月号)
"minasoko (meaning : the riverbed)"

There is a stream between mountains. "I", hides himself in the riverbed, is feared because he plays sometime a trick on children who come to the river for swimming. One day in the early afternoon, all children had gone back home, a girl comes by herself swimming in a empty stream. And ...

 山あいを流れる小さな川。その水底にいる「おれ」は、泳ぎにくる子供らを時々からかって恐ろしがられている。ある日の昼下がり、子供らがみな家へ帰ってしまった後に、独りの女の子が誰もいなくなった川へ泳ぎにやってきた。そして……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 自然の描写がいやに細密で説得力と臨場感がある。女の子が地元の住人ではないらしいことはそれとなくうかがい知れるものの、「おれ」の正体が何なのか、はっきりしない(そもそもにおいて明確な物語があるというわけでもない?)。むしろそういう読み方をしていると逆に「おれ」から、「なぜ全てを理解しないと気がすまないのだい?」と不思議に思われてしまいそうな感じがする。
 そうかもしれない。
 ”理解”をしようとして向き合うというのはいわば自分の定規と小刀を駆使して対象を切り出し、額縁や箱におさめようとする強引な営為でもあるだろう。しばしば言われるとおり、自然すなわちこの宇宙のなかに直線や直角はたぶん存在しないし、そうやって切り出し整理したものは、もはや対象をある程度変形させてしまっている。
 ”理解”という方法をとらないことによって、かわりに全体をそのまま認識し把握する(そして更に、表現する)というのが作者の方法論の特徴のひとつなのであろうか。
 ひと夏かぎりで消えていった初恋、あるいは筆おろしの思い出といったところ……? うら寂しい余韻と不思議な共感を残す一品。



水仙

04sui
少女アリス Vol.8 1980年3月号)
"suisen (meaning : a narcissus)"

Drinking a man by himself at a small bar where has a set meal on its menu, a childlike girl, who is treated as a nuisance, asks him,
"Do you mind me sit down next you ?"
He treats her a dish, she eats it. After taking a rest, she touches him ......

 定食も品書きにある、小さく狭い店で独り酒を飲んでいたら、邪険に扱われている少女が「ここすわっていい?」ときいてきた。料理をおごってやると彼女はそれを食べ、一息つくと、手をのばしてきて……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 舞台は日本的でありきわめて現実味が強いのだが、話はおよそ現実離れしているので、そのアンバランスが、奇妙な世界を構築している。
 現実離れしているのは登場する少女がまだ背も伸びきっていない(当然、セックスの結果として起きうる妊娠や出産に耐える肉体をまだ持っていない)からで、にもかかわらず性経験で「ぼく」を上回っており万事をリードしているからだろう(そのくせ提示する額はまるで子供の金銭感覚である)。「ぼく」にしても室内で最後までコートを着たままだったりと、およそ現実味が無い。
 「踏切をこえた裏路地に ぼくが行きつけの店がある」というナレーションでこの物語は始まっている。”踏切をこえる”ということは何かの限界の向こう側、という意味になるのだろうか。”裏路地”というのは表通り(一般的なところ)とは違う空間というイメージがある。そしてそこが”行きつけ”なのだから、「ぼく」はそこを好んでいるのだろうと思う。
 なぜ題名が「水仙」なのか分からない。”水”のあるところで生息する”仙女”(のような幻)、といった意味合いだろうか?



午後の淫荒

05gogo
(増刊少女アリス 1980年2月号?)
"gogo no inkou (meaning : an afternoon indecent act)"

Giving an examination at classroom, a girl calls a teacher,
"Excuse me, but I can't read question No.3".
A man seems her teacher goes to her desk. Then he can read a message on her examination paper,
"Let's indulge, at same place as usual",
and she feels of his privates with her hand ......

 教室。どうも試験中らしい。「先生 問3が読めません」と呼ばれ、男は女生徒の机へ行く。すると「いつもの所で しましょうね」と書いてあるのが読め、少女は教師の股間に手をやる……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 性に目覚めてしまいその悦びに夢中になっている少女と、年齢ゆえ先のことを予見し不安から解放されないでいる教師との関係が描かれる。ハッピーエンドで結ばれる可能性が無くはないかもしれないが、おそらくこの2人を待ちうけているのは地獄の日々と破滅なのだろう(最後のコマが「闇」で終わっているのはその暗示であろうか)。
 男がオーガズムのあとすぐ不能になるのは身体機能として当然である(少女はまだそうした知識すら持っていないことが読み取れる)と同時に、冷静さを取り戻し萎(な)えてしまうのではあるまいか。教師は女生徒とのセックスで幸福を味わう事は出来ていないようだ。少女とは違って、彼には先に待つ地獄が分かっている。しかし2人でそこへ落ちてゆく道からもう逃げることはできず、ただ歩を進めるしかなくなっているようだ。
 トビラには、微笑してこちらを見る美少女の頭上へ、蛆(うじ)か何か分からない芋虫のようなものが、これまた何か分からないものを伝ってやって来ている。この気味の悪い絵は興味深い。神経を這い登り、じわじわとせまってくる快感は美少女を終点としているのだが、その快感が2人にいつか破滅をもたらすであろうゆえに、そこには恐怖が伴っている。教師の目から見た時、この美少女の笑顔は崩壊への手招きに感じられ、こうした美とグロテスクが混在したものと見えるのかも知れない。



九月怪談

06kugatu
(JUNE 1981年10月号)
"kugatsu kaidan (meaning : September ghost story)"

A young man becomes sleepy while walking. He finds a bench at a place where seems a park in a forest, he finally lies on his back at there. Then something transparent figure looks like a girl comes. It escapes when he tries to hold it, but before long, it covers him from above ......

 歩いていて、青年は眠気に襲われる。森の中にある公園なのだろうか、ベンチが見つかって、とうとう仰向けに横たわった。するとそこへ、少女の姿をした透明な何かがやって来る。それはとらえようとすれば宙に浮き上がって逃げてしまうのだが、やがて上から覆いかぶさってきて……。

*全ては昼間(たぶん)に起きているため、怪談と言うよりは白昼夢といった感じがする。(日本にそういう妖怪はいないかも知れないが)他国の読者はこれを”サッキュバス(succubus)”の話だと考えるだろうか? ふと気になったのは青年の「みんなが……見ている」という一言で、彼はそう言うのだが周囲は無人に見え、ただ木々ばかりがうっそうと茂っているだけなのである。この青年は汎心論(はんしんろん)的な感覚の持ち主で、森羅万象と付き合って生きてゆかねばならぬと感じているのだろうか。そうした感性があると、こうした幻を本当に経験するのかも知れないな、と思った。



さまよえる魂

07samay
(少女アリス Vol.9 1980年4月号)
"samayoeru tamashii (meaning : wandering spirit)"

A girl calls on a boy.
"Hey, Hide"
She talks bluntly to a boy who seems by name Hide. The schoolboy is painting manuscript of comic, but the girl doesn't mind to make a noise in his narrow and close room. She is frank, makes light of him, and be haughty nevertheless she is younger than him. Worse than that, she seems lose her simplicity, scribbles a penis on a paper. Hide gives his impressions by chance,
"There may be short of reality".
Then she calls upon,
"Show me yours" ......

 少女がたずねてきた。「こらヒデ」と大層ぶっきらぼうな口調だ。ヒデというらしい男子学生はマンガ原稿の執筆中なのだが、少女はおかまいなしに狭い部屋の中で騒ぐ。あけっぴろげで全く警戒心も無く、年下であろうに威張った口をきく。おまけにすれているのか、落書きをすればペニスを描き、「もひとつリアリティないか」と感想をついこぼしたら「みしてくれー」と言い出して……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 「ふみちゃん」と呼ばれている少女像が生き生きしており存在感がある。異性であるうえ年齢も少し離れている少年のところへ遊びに来るところを見ると近所に同世代の少女も少年も住んでいないのだろうか。好き勝手のし放題な様子からして「ヒデ」とは幼馴染なのかも知れない。ペニスの落書きをして「みんなかいてるもん」と言うのだが、出まかせではないとすれば、あまりお行儀の良い環境で育ってはいないようだ……。彼女の母親がこうしたタイプなのか、それとも父子家庭で父親が少しがさつなのが影響しているのか。なんにせよ類型的な少女らしさが無いぶん、かえってリアルな印象を受ける。いったい2人はこれで初めての性経験をしたと言えるのやら、言えないのやら。どうにもはっきりしないまま終わっているが、そうした結末も実験的な面白さがある。



夕顔

08_5
(少女アリス Vol.15 1980年10月号)
"yuhgao (meaning : a moonflower)"

When "I" awake from a strange dream that is bound to a tree, "I" find myself to be a dwarf likes Thumbelina. "I" think that father may be worried,
"Under the present circumstances, it is impossible to be married".
So "I" start on a journey to look for a bridegroom,
"Somewhere must be someone who takes me to wife".

 立ち木に縛り付けられている、という不思議な夢から目覚めると「あたし」は親指姫のようになっていた。父親が「これじゃあ結婚もできやしない」と悩むのではと考えた「あたし」は、「こんなあたしでも もらってくれる人がきっといるはずよ」と、おむこさん捜しへ出かける……。

*なぜかこの作品のトビラには題名が無い(写植を忘れたのだろうか)。夕顔はその名前の通り、夕方になってから咲く花だが、この題名は結末になって意味を成すようだ。主人公は冒頭で「あたし」と自称しているが、ラストでは「私」と言っている。これは経験によってそれまでとは別人になったという表現だろうか。
 最初のページにある「巨人獣」というのは石川球太による同名マンガの事かも知れないのだが、そのヒントになったのではと思える特撮映画が存在する(『巨人獣 プルトニウム人間の逆襲』"War of The Colossal Beast" 1958年)。ちなみに、同年には『妖怪巨大女』(Attack of the 50 Foot Woman)という作品も撮られているようだ。



夜のざわめき

09yoru
(少女アリス Vol.12 1980年7月号)
"yoru no zawameki (meaning : night buzz)"

A man calls at "artificial beautiful girl laboratory". He says,
"Excuse me, would you please share me a beautiful girl ?"
A man seems a head of the laboratory shows the man various types of artificial beautiful girl ......

 ”人造美少女研究所”を1人の男がたずねてくる、「ごめんください 美少女一人 わけてもらいたいんですが」。所長らしい男はいろいろなタイプの人造美少女を見せてくれるのだが……。

*最後の最後で、大どんでん返しが待っている(読めばわかります)。



不思議ななんきん豆

10fusig
(少女アリス Vol.11 1980年6月号)
"fusigina nankinmame (meaning : strange peanut)"

A man hands finished comic manuscript to another man who seems editor at coffee shop. The hero has a strange swelling at his groin. It looks like the upper half of dwarf girl's body, and speaks to him, wishes for "milk" likes a baby ......

 完成したマンガ原稿を喫茶店で編集者(だろう)に渡す男。彼は、鼠蹊部(そけいぶ:もものつけね)に”人面瘡(じんめんそう)”ができている。これは小人の少女の上半身をもっており、赤ン坊のように「みるく」を欲しがって口をきくのだった……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 なぜこれが”なんきん豆”なんだ? と思ったが結末でなるほどと納得、殻付きのものを食べた事があれば分かるだろう(?)。”人面瘡”というのは本来、人の顔のように見えるできものをさすらしいのだが、怪談などに登場する架空の皮膚病ではないかと思われる。それが性器のすぐそばに出来てしまい、かつ、顔だけでなく身体がついていたらどういう事になるか……というお話。



暗い日曜日

11kura
(季刊コミックアゲイン No.2 1984年11月号)
"kurai nichiyoubi (meaning : gloomy Sunday)"

A girl looks at a boy from a distance. The girl's name is Yoko, and the boy's name is Akira. They has a fatal connection since when they were primary pupils. Yoko gets irritated as Akira is popular with schoolgirls.
"I'm a girl of crooked disposition. I can't keep on good terms with him in the same way when we were children, though I, in fact, eager to do ......"
Yoko is embarrassed with herself ......

 小学校からくされ縁が続いている明を、遠くから眺めている葉子。彼が女生徒達に人気があるので苛立っているのだ。「あたしってば素直じゃない 本当は子供の頃のように仲良くしたいのに……」葉子は自分で自分をもてあまして……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 ハイティーン向けの少女マンガによくありそうな物語を、まるで怪奇マンガのような画風(やたらと影が描き込まれている)で展開している。読んでいて笑えるような、考え込んでしまうような、奇妙な作品。こんな実験が可能だったとは。ラストで「たいよーはひとりぼっち」とあるのは映画の題名(" L'Eclipse" 1962年 伊・仏)からか。
 『暗い日曜日』という題名は、戦前、1930年代に日本でも大流行し、そして発禁になった歌のそれが元になっているのかも知れない?(水木しげる『コミック昭和史』の『三原山』によれば、「政府は自殺をあおるとして発売禁止にした」とある。)



十月の空

12jyu
(シベール Vol.5 1980年9月号)
"jyugatsu no sora (meaning : the sky of October)"

A schoolgirl is seated and draws herself up alone at the rear of a schoolhouse or something. Then a schoolboy comes and speaks to her,
"Ms.Yoshikawa, is it true that you sleep with anybody ?"
The schoolgirl rises to her feet with composure, and replies,
"Money, that's all".
The boy takes out a bank note and shows her it ......

 校舎の裏だろうか、女学生が独りでふんぞり返っている。そこへ1人の男子生徒がやって来て言う「吉川くん 君 誰とでもねるってホント?」女学生は平然として立ち上がり「ゼニよ ゼニ」と一言。男子は紙幣を出して見せ……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 登場するのはさほど個性のある人物像ではなく、淡々と話が進む印象。一方の空にもう星が出ているほどの夕日、ということは日没直前の時刻なのだろうが(これは「十月」とあいまって、青春の短さを暗示しているかに思える)、そんなところへ来てまだゆうゆうとしているヒロインのたくましさは、なかば悟りきった虚無主義の反映なのであろうか?
 (『Hideo Colection 十月の空』ではこの後、
『ラブ・ミー・テンダー』
『ストレンジ・フルーツ』
『晩夏』
が収録されているが、これらの作品については当ブログ"11 ひでお童話集"のカテゴリに既述してあるので割愛します。)



ミセスの冒険

13mrs
(漫画アクション増刊 スーパーフィクション 9 1982年1月2日号)
"misesu no bouken (meaning : housewife's adventure)"

"I'm a housewife who secure own status in society ...... ought to be ......"
But her husband discontinued going to office and begun to paint comic for girls with spoke to himself. Therefore "I" have no other way than going for work, so put on clothes that used in school days. But when she goes to out-of-doors, she finds whole town is devastated, and strange creatures which are as large as a human being get around here and there ......

 「あたし 社会的に地位の安定した主婦……のはずなんだけど……」、夫は会社へ行かなくなって、独り言をいいながら少女漫画を描きだし、しかたがないからと”あたし”は学生時代の服を着て、街へかせぎに行くことにした。しかし外へ出てみると街はどこも荒廃し、人間ほどの背丈の奇妙な生物が歩き回っている……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 こともあろうにヒロインであるこの主婦が「かせぐ」手段というのは素人売春(!)なのだが、あまりにも徹底的に世間知らずな様子なので、読んでいてあっけにとられるばかり。拳銃による攻撃も全く通用しない謎の侵略生物(?)に、まるっきり何も知らない平凡な主婦があっさりこれを倒す(?)という意外な展開は、正攻法に過ぎて単なる力比べの勝負になりがちな戦争SFものへの風刺なのだろうか。
 普通、およそ主人公にされることはなさそうな”主婦”を主人公にしていたり(レディースコミックでもない限り、この設定からして珍しいのではあるまいか)するのも興味深い。
 何の力も持たず、あたりまえで地味な性経験しかない彼女が、もしかしたら地球人類を救う英雄になるかも知れない(!)のだが、そんな彼女に向けられる言葉は「バカ 変態!」という蔑(さげす)みだけ。全く力んだところの無い、自由で柔軟な発想にこそ可能性があるのではないか……そんな主張がこめられているような読後感だったのだが、どうだろう?
(『Hideo Collection 2 十月の空』ではこのあと、
『愛玩儀式』
『鎖』
『横穴式』
の各作品が収録されているが、既述なので割愛します。)



海から来た機械

14umi
(少女アリス Vol.25 1981年8月号)
"Umi kara kita kikai (meaning : a machine from the sea)"

A girl named Fumiha collects shells at the seashore. When she is going to leave there, a small machine looks like a hermit crab, follows as if it runs after her. Fumiha takes it back. Not long afterward, the machine becomes to transform freely into various things at her room. It seems that the machine reads her thoughts and tries to be realized what she wants ......

 海岸で1人の少女、史羽が貝殻を集めている(名前にルビがふってないが、”しう”または”ふみは”と読む?)。そこから去ろうとすると、彼女のあとを追うように、ヤドカリに似た機械が歩いてついてきた。史羽はそれを連れて帰るが、やがてこの「海から来た機械」は、彼女の部屋で自由自在に変形をくりかえすようになる。どうやら史羽の心を読み取り、その望むものを再現しようとしているらしいのだが……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 自分の心にあるものを眼前で形にされると、”見たくない本当のこと”を見せ付けられてしまうのかも知れない。
 変形する正体不明のものが、生物ではなく機械だというのが気にかかる。機械、ということは誰かによって設計され制作されたのだろうと考えられ、このへん、創作によって作者の内面が作品となることのイメージからきているのでは、という気がするのだが、どうだろうか。
 できあがったものは、”生みの親が、望ましくないと考えているもの”を清算すべく抗(あらが)うのだが、結局、勝つことはできない。生みの親にできるのはただ、「あたしはそんなこと望んでなんかいない」と否定し「やめて」と哀訴する事だけなのだ。
(『Hideo Collection 2 十月の空』ではこのあと、
『ガデム』
『NAMAKO』
の各作品が収録されているが既述なので割愛します。)



帰り道

15kaeri_1
(マンガ奇想天外 No.4 1981年1月号)
"kaerimichi (meaning : on my way home)"

"Suzu-chan", a girl, is called to stop by a boy named Kenichi-kun, when she is on her way juku (a private school) after school hours.
"Let me touch".
He says so and feels of her breasts with his hand. She glares at him, fights back tears and shuts her eyes. Then she opens her eyes again, she finds Kenichi-kun has metamorphosed into an uncanny creature looks like a trunk without branches ......

 学校の帰り、塾へいこうとしたら健一くんに呼びとめられた少女、”鈴ちゃん”。「さわらせろよ」と言って胸をさわってきた彼をにらみ、泣きそうになって目をつむった。そして目を開けると、健一くんは、枝を持たない樹木のような、不気味な生物に変身していた……。

*いくつか謎がある。
(a)ヒロイン以外の人間が全て、実際に変身してしまったのか? それとも、
(b)ヒロインの精神に変化が起き、自分以外の人間が人間に見えなくなった(だから全てはヒロインの幻覚で、実際の変身は発生していない)のか?
 先生や、弟であるらしい英夫(ひでお?)の反応からして(a)らしいのだが……。しかしそれもひっくるめてヒロインが幻覚を見ているのかも知れない。
 また、ここで起きている変身は以下の2種類、
(1)ヒロイン以外の人間が、人間ではなくなる
(2)無生物が、生物と化す
の両方がみとめられるようだ。
 ”性”を目的として他人が接触してきた(ヒロインの人生でたぶんこれが最初のことだったのだろう)のをきっかけに、彼女は自分以外の人間が、自分と同じ「人間」には見えなくなってくる。いまや”自分とは違う何か得体の知れないもの”になった他者たちは、ヒロインにとっては背景(無生物)と似たような存在となり、自分以外の全てが”得体の知れないもの”となって、生物と無生物の区別も失われた……といったことなのだろうか。
 通っている進学教室の先生(のやりかた)が気に入っていたせいか、最後まで「人間」の姿だったのが、性的な接触を求められた後、彼もまた変身を始めている。
 少女らしい、性に対する恐れや嫌悪から生じた幻覚なのだろうか?
13mrs_cut
(「Hideo Collection 2 十月の空」はここで終わっている。なお、書籍の数箇所にイラストレーションが収録されている。)



蛮人ヒロコ

16banj
(単行本「アニマル・カンパニー」描きおろし 1980年9月)
"Banjin Hiroko (meaning : Hiroko the barbarian)"

Hiroko the barbarian is a young woman who travels alone with a sword. When she finds her way to Woolong the corrupted town, she desires liquor and man. Then a male prostitute calls out to her. Hiroko buys him, but he is very ugly and does nothing but lie down. At last she runs out of patience ......

 長剣を帯びて一人旅をしている女、蛮人ヒロコ。やっと退廃の町ウーロンヘ着き、「とにかく酒と男だ」と思っていたら、男娼が声をかけてきた。買うことにして床に就いたものの、男はぶさいくな容姿のうえにただ寝そべっているばかりで何もしない。ヒロコはとうとう頭にきて……。

*(この作品以降は「吾妻ひでお CD-ROM WORLD」(アスキー 1995年12月25日)の内容です)
 単行本『アニマル・カンパニー』の冒頭に収録されたのが初出らしいのだが、いろいろ奇妙である。第1に、『アニマル・カンパニー』は現代日本を舞台とした話で、時代も場所も定かではないこの掌編とはまるでつながりが無い。第2に、RPGではお馴染みだろう異世界の物語というのは今でこそ珍しくないだろうが、初出の1980年にはまだ家庭用ゲーム専用機も普及していなかったはずで、こうしたヒロイックファンタジーというジャンルが(当時SF小説扱いだった「コナン」シリーズ等を知っている者はともかく)一般読者に理解され得たかどうか疑問がある。第3に、初出ではカラー原稿へさらに印刷段階での色指定がなされており、フキダシ(台詞が入っているところ)や書き文字、背景の青空などにアメリカ漫画をほうふつとさせる着色が施されているが、この書籍では色指定が無くなってカラー原稿そのままのバージョンを収録してある。
 まるっきり受身で腑抜けになってしまった男たち、というのはこのころの吾妻マンガにときどき描かれる人物像のようだ。
002cd_menu
(CD-ROMではこのあと『蛮人ヒロコの逆襲』『ミセスの冒険』が収録されているが既述なので割愛。画像はCD-ROMのメニュー画面。)



妄想画廊

17mou
(『陽射し』描き下ろし 1981年7月)
"mousou garou (meaning : wild fancy art gallery)"

* There is no stories because this is a collection of pictures. Sexual fantasies of beautiful girls are painted, but all of them are too unrealistic to become sexually aroused. For that matter, characteristic originality is the very reason why his works are quite different from ordinary suggestive illustrations, in my opinion.

*これはさまざまなイラストレーションを収録したものでマンガではないため、物語は無い。CD-ROMでは”純文学シリーズ”のひとつとして分類されている。美少女(有翼のものや人魚も含む)とセックスについての幻想を主題としているが、架空生物やロボットは登場するものの(人間の)男は全く出てこない。またここで主眼とされているのは”奇妙な状況(を表現すること)”のように感じられる。だからどのようなポーズや衣装で女体を描けば見る者がより強く性的興奮をおぼえるかといった点には殆ど関心が無いような印象を受ける。これが吾妻作品をありきたりな春画のたぐいとは別世界のものとしている理由ではないかと思う。
(CD-ROMではこのあと、
『夕顔』
『夜のざわめき』
『陽射し』
『水仙』
『水底』
『さまよえる魂』
『午後の淫荒』
『不思議ななんきん豆』
『帰り道』
を収録しているが、既述のため割愛します。)



赤ずきん in わんだあらんど

18akaz
(シベール Vol.1 1979年4月)
"Akazukin in wonderland (meaning : Little Red Riding Hood in wonderland)"

* This was adapted from one of world-famous fairy tale "Little Red Riding Hood (Le Petit Chaperon rouge)". This story is incomplete to our regret, but it maybe on purpose for produce.

*原作を知らない人はいないだろう。このマンガでは「おじいさん」の所へ出かけていたり、冒頭で赤ずきんが風呂に入っていたり、赤ずきんの家がまるで娼館のごとくに描かれていたりするのだが、基本的に原作のパロディとなっているようだ。ただしこの作品は「未完」で終わっている(意図的な演出で、さもそうなったかのように描いてあるだけなのかも知れないのだが)。
 「赤ずきん」はもともと若い娘を戒める為の例え話で、狼は男を表し、娘達の貞操を付け狙う危険な存在といった意味であったのだと聞いたことがある。それが、幼い子供達もこの物語を面白がって聞くようになったため、おとぎ話へと変っていったというのが事の次第であるらしい。してみると「赤ずきん」が18禁マンガに翻案されるというのは一種の先祖がえりであったと言えようか?



マイ・タウン

19myt
(シベール Vol.2 1979年7月27日)
"My town"

A hero loses his way while he walks (nakedly) about for sketch. He finds a sign written "Lolita city" and goes in there. To his surprise, all living things of the city -- flowers, small birds, inhabitants, old women and even old men -- are beautiful girl ......

 (ハダカで)スケッチして歩いているうち道に迷ってしまった。「ロリータシティ」という立札があるのを見、足を踏み入れる。そこは草花も小鳥もあげくは全住民(おじいさんも、おばあさんも)が美少女という所で……。

*”自分の好きなもの”だけで満ちている世界というのは、きっと誰もが一度は夢見るのだろう。まさにその夢がかなってしまった主人公を待っている結末とは。



赤い風

20akai
(シベール Vol.3 1979年12月)
"akai kaze (meaning : red wind)"

A girl is handled by someone, comes along to room. She seems lose the use of her voice and body. There is a man sits down on bed and has been waiting for her at that room. Clothes of the girl are torn by invisible energy, knees of the stark-naked girl are opened against her will ......

 少女が何者かに操られて部屋へやってくる。自分の声も身体も自由にならない。部屋ではベッドに腰掛けて1人の男が待っていた。少女の衣服は人手によらずして破り取られ、全裸となった少女の膝が押し開かれてゆく……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 ちょっと良く分からない話で、長編のごく一部、クライマックスから結末まで(だけ)を公開してあるみたいな内容である。
 ”こーちゃん”というのが実体のある少女で、”みーちゃん”というのは実体が無く意識だけらしい。”るー”というのはやはり実体が無いが超能力者であるらしく、台詞からすると”こーちゃん”の妹か。この姉妹たち(?)は一卵性なのか全く同じ顔なのでややこしい。1つの肉体に3つの意識が共存しているのではなく、3人同時に存在するが肉体を持っているのは1人だけらしいのだ。物語よりもこの設定が不可思議な感じで面白い。逆に不満を言えばこの設定がよく活かせる物語を新たに読みたいところではある。
 題名がなぜ「赤い風」なのか分からない。少女の持つ超能力が発揮される時のイメージを、風が吹くことに例えているのだろうか?



夢の少女

21yume
(シベール Vol.4 1980年5月)
"yume no shoujyo (meaning : a girl of dream)"

Children are playing merrily at river of some foreign country, and there is a lovely girl. "I" am aware of a fact that I have a dream now, and feel uneasy about my nakedness. "I" go forward before long, find a guide girl standing alone at pond. She looks sorrowful ......

 どこか外国の川で子供たちが楽しそうに遊んでおり、かわいい女の子もいる。「ぼく」はこれが自分の夢の中であることを自覚していて、自分が裸なのを気にかけている。やがて川だまりの池へ向うと、案内人の少女がぽつんとたたずんでいた。哀しそうな目だ……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
 主人公がずっとシルエットのままなので表情などは分からない(この表現手法は面白い)。”どこかの外国”での出来事であると考え、またこれは”夢”なのだと認識しているあたり、主人公が日常の現実に存在する拘束から自由になりたいと欲している気配がうかがえる。
 実際の夢では自己抑制がはたらいて明確な性的行動はとれないのが普通だとものの本で読んだ記憶がある。また夢が覚(さ)めてゆく段階といったものはまず自覚されないのではないかと思われるが、そのへんは創作としての構成なのではなかろうか。
 少し手塚治虫を意識して模した絵柄になっているような印象を受けたが、どうだろう?
(CD-ROMではこのあと『十月の空』を収録しているが、既述であるため割愛します。)



プチシベール

22puti
(プチシベール 1981年4月26日)
"petit Cybele (meaning : little Cybele)"

* This is a midget collection of 2 pictures, so that there is no stories. "Cybele" is the name of literary coterie magazine, named after French movie "Cybele ou les Dimanches de Ville d'Avray"(1962).

*これはイラストレーション2葉から成るもので、マンガとしての物語は無い。いくぶん手塚治虫ふうのペンタッチになっている?

(このあとCD-ROMでは『ミャアちゃん官能写真集Part1』を収録してあるが、既述なので割愛。ただし、こちらではカラーのページは白黒ではなくカラーで収録されており、おくづけなどもそのまま残っている。そのあとがきを見ると「ミャアちゃん官能写真集の2巻とか ミャアちゃん官能写真集ポルノ篇とかは出ませんので、よろしくー… あじま」という1文がある(注:この『ミャアちゃん官能写真集ポルノ篇』という書籍は、『スクラップ学園』の『図書室ってやっぱ勉強になるわ』に登場)。さらに、
写真協力(カット) とても善良なミャアちゃんファン連盟
協力 ミャアちゃん官能写真集推進委員会
   大日本吾妻漫画振興会
   ハード.シュール新聞社
などの記載があるようだ。



妄想のおと(ロリコン篇)

23_3
(シベール Vol.7 1981年4月)
"mousou no oto (lolicon hen) (meaning : sound of wild fancies (chapter of Lolita complex))"

* This is a collection of wild fancies (idea or vision). Such as a design of Shambleau (a character of Catherine Lucille Moore's "Northwest Smith" series(1933)). We can watch various imaginary characters.

*これは妄想(アイディア)を見本市みたいな感じで展示公開してあるもので、マンガとしての構成はされていない。最初のページに「☆すとおりいとかのたぐいは ありませんのでよろしく」とあるのはそのためだろう。C・L・ムーア(Catherine Lucille Moore)によるSF小説『ノースウエスト・スミス(Northwest Smith)』シリーズの有名キャラクター「シャンブロウ」(Shambleau)のオリジナルデザインをはじめとして、煮詰めていったら物語が生まれそうな架空美少女や、物品とも人間ともつかない奇妙な存在がいくつも登場。ちょっと内省的な一言も記されている。



人間ごっこ

24ning
(少年少女SFマンガ競作大全集 Part3 1979年10月号)
(少年少女SFマンガ競作大全集 Part8 1980年11月号)
"ningen gokko (meaning : play mankind)"

In the morning, a beautiful girl lives alone in a flat, is preparing for going to school. Her name seems "Kageko Hito" written on a doorplate. On a wall of the room, there is a poster, which reads : ADHERE / BE INCONSPICUOUS / DON'T MAKE A NOISE / CASUAL LIKE. When she checks herself in front of mirror, she becomes aware of that she has 3 breasts and corrects them. Whatever can this girl be ...... ?

 朝。美少女がアパートで1人暮らしをしている。表札には「人 影子(ひと かげこ)」とある。部屋の壁には貼り紙があって「守ろう 目立たず さわがず なにげなく」と書いてある。さて登校、と鏡で自分をチェックしてみたら「胸が三つもあった」と気づいて直すのだが、この娘はいったい……?

*(警告:以下、結末に言及しています)
「吾妻ひでお CD-ROM WORLD」では2回の連載をひとまとめにしてある。とはいえ、それはそれで悪くはないかも知れない。というのはつなげてある事によって、物語がまとまりを持ち分かりやすくなっている点もあるかと思うからだ。
 これは吾妻マンガとしてはやや異色の作品という感じがする。なぜならここには問題提起があり、寓意による論理の展開があり、結論が述べられているからである。「それらはみな普通の物語に見られる表現手法ではないか?」と言われようけれども、吾妻マンガはそうした古典的あるいは正攻法な定石に服するよりむしろ前衛的なギャグを追及している場合のほうが圧倒的に多いのではと思えるので、”吾妻マンガとしては”それが逆に珍しいように感ぜられる、という意味だ。
 特殊な体質であることを男子生徒に見破られ、ヒロインは告白する。
「自分でも……自分が何なのか知らないの もの心ついた時からこうだったから いっしょうけんめいみんなと同じになろうと努力してるのに なぜあたしだけこんな……」
 ”多数”とは違っているらしい自分を発見して驚き、”標準”に自分を合わせるべく無理な調整を日ごとに強いられ、孤独に悩み苦しむといった図式には普遍性があり、前衛的な新鮮味には乏しいテーマかも知れないが論じる価値はあるだろうと思う。個性や独創が称賛され推奨されるよりもむしろ、一致と調和を乱す悪として排斥されがちな国民性や社会構造がもし僕らの世界にあるとすればなおさらだ。結局ヒロインは迫害されて去って行き、物語は”後編”に入る。
 ヒロインは自分と同類であるらしい他者の群れから歓迎されいたわられる。ついに安住の地を見出し平和と幸福を享受することができたようだ。ところが危機は他でもない自分の同類によってもたらされた。
「ぼくらは仲間だ 力を合わせて強くなるんだ 君はぼくの一部になって生き続ける」
”少数”が”多数”になってしまえば立場は逆転できるだろう、それによって”普通”だの”標準”だの”正統”だのと驕(おご)っている奴らを駆逐し、報復として迫害してやることが可能となる。その理想を実現するためには完全な団結が必要で、個性を捨てて協力しろと要求する、憎悪と暴力の価値観といえようか。ヒロインはそれに同意できないが反対する力は無い。そこへ結論を述べるべく、自分と同じ轍(てつ)を踏まぬよう警告する者が現れて物語は結末へと収束してゆく、
「大きければいいというものでもない」と。
 この物語は作者の内面的な自画像にもなっているのではあるまいか。



うじわく男たちのホッケ定食

25uji
(少年少女SFマンガ競作大全集 Part6 1980年7月号)
"uji waku otokotachi no hokke teishoku (meaning : a set meal with fish dish by men who are crawling with maggots)"

Strange men show their specialty (?) after another. They seem compete but it doesn't go smoothly to decide who ought to win first prize. A wildcat (?) is completely at a loss. Then a beautiful girl happens to be present at there ......

* This story seems a parody of Kenji Miyazawa "donguri to yamaneko (meaning : acorns and wildcat)". And this mysterious title seems a parody of book written by Osamu Hashimoto.

 あやしげな男達が列をなし、特技を披露している(?)。一体誰が一番か、を競っているみたいなのだがどうにも決着はつきそうにない。弱り果てる山猫(?)。するとそこに居合わせた美少女が……。

*これはどうも「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」(橋本治による少女マンガの評論集)に着想を得、宮沢賢治「どんぐりと山猫」になぞらえて描かれたのではないかと思われる。だが当時の少女マンガについて知識が無いと(結末の欄外にあるように)「わけわからん」に終わってしまうかも知れない。
 ちょっと気づきにくい(?)が最後のコマで、宇宙空間に浮かんでいる美少女の後姿が小さく描かれているのが何とも不思議な感じ。もしかするとこの少女は服装などからして「キャンディ・キャンディ」(TVアニメは1976年~)のパロディなのかも知れないが、定かでない。



海馬

26kai
(少年少女SFマンガ競作大全集 Part7 1980年9月号)
"kaiba (meaning : sea horse)"

A man has headache while he does his homework at library, so he tries to enter an aquarium which is next to that. He finds an unfamiliar sea animal at there. Its name seems "sea horse", but details are not clear. The animal is just like horse in appearance, but it is cowardice in spite of its big body, be frightened by a persecution complex, wretched and poor-spirited. But ......

 図書館で宿題をやってるうちに頭痛が始まり、隣の水族館へ入ってみた。すると隅の水槽に見慣れぬ海獣がいる。「海馬」というらしいのだが詳しいことは分からない。まるっきり「馬」そのままの外見なのだが、大きな身体に似合わず臆病で、被害妄想におびえ、なんとも情けなくいじましい生き様をさらしている。ところが……。

*(警告:以下、結末に言及しています)
題名にはルビがふってないのだが、普通の日本語ではこう書いてあれば「とど」と読むようである。それと混同されないためであろうか。もし「かいば」と読むなら、脳にある一部分がこの名称で呼ばれ、新しい記憶を一時保存するための場所であるらしい。この「かいば」は脆弱な器官のようで、極端な恐怖やストレスを経験すると機能に異常をきたすのだそうだ。どちらかというとやはり、こちらのイメージからきたマンガであろうかと思える。あと、「タツノオトシゴ」も英語ではsea horse(海の馬)というらしいが……。
 さて、気になるのは最後、このみっともない生物が手招きをするくだりだ。こうも腰抜けな生物が他者を招くというのは、安心しているからだろう。それはもしかすると「君は僕と同類だ」という意味なのかも知れない。観察者の目で見て「なさけないやつ」と感じた対象が、実は自分(と大して違わないもの)の姿を映していたとしたら、がっくりさせられてしまうだろう。結局のところ僕らは進化のあげく、他者を蔑むような尊大な真似ができるほど高等な生物になれてはいないかも知れない、と思い知らされてしまったなら。
 作中に出てくる「グラソンの定理」というのは架空のものではと思われるも定かではない。「マラマッド」というのは人名に実在するが、海域の呼称としてはやはり架空のものらしい?



多目的せーせーかつ入門(Bomb!版)

27tsb
(BOMB! 1979年10月号)
"tamokuteki sehsehkatsu nyuumon (Bomb! ban) (meaning : a primer of multipurpose sex life ("Bomb !" edition))"

* This is a primer of sex life, however, not real, needless to say. Guidances in this comic are, such as, "in case the woman is an alien", "in a case the woman is a vampire", and so on ......

*枠外に「もうこわくない。性のパターンの大百科!!」とある(これは編集部員が書き入れた文句だろうと思われる)が、まさにそういう内容。ただしもちろん真面目な指南ではなくオムニバス形式のギャグとなっている。没になった版と比較すると内容はだいぶおとなしい印象。最初のコマには作者が登場し案内役をつとめているが、その台詞は「教育制度のひずみによるものであろうか」という出だしで始まっている。心なしか、学研での仕事と言うと作者は敢えて危ない描写をしたがるようなケースが他にもあるようで(例えば中三コースに連載された『ノラ犬野郎』など)、このへん反骨精神によるものなのか、それともクライアントたる学研が冒険を試みてそういう発注をした結果なのか、真実は分からない。
 編集部でもよほど急いだのか誤植があるようだ(「以外と(意外と)」、「狼少年(狼少女)」)。口裂け女が登場するあたり時代がうかがえる。



多目的せーせーかつ入門(ぱふ版)

28tsp
(ぱふ 1980年3月号)
"tamokuteki sehsehkatsu nyuumon (Puff ban) (meaning : a primer of multipurpose sex life ("Puff" edition))"

* This edition was rejected by client, so that, was run later in another magazine. The reason of be rejected seems that this edition is too extreme to present for subscriber.

*これは2コマ目に次のような解説が挿入されている。
「※いきなりまんがが始まって驚かれた方も多いでしょう。本来ここにあるべき1コマと表紙はどこへ行ったかというと、すでに作品の一部となって雑誌に掲載されているのです。何をかくそうこれは学研から出ているBOMB!のボツ原稿。ボツった理由は、内容が過激すぎるからとか。」



美少女製造の手引き

29bisho
(ロリータ Vol.1 1979年4月)
"bishoujyo seizou no tebiki (meaning : a manufacturing manual of beautiful girl)"

* This is a fictitious document of manufacturing manual, reads : "A maniac who has been making beautiful girls for many years, everyone has a way of his own". The message may be that originality is supreme ...... ?

*「美少女作り一〇数年などというマニアはそれぞれ独自の方法をもっている」という一文が読め、”要は独創的であることだ”という主張がこめられているように感じる。たった1ページの作品だが、架空のマニュアルといった体裁をとっているのがなんともSF的と言うべきか。
(「吾妻ひでお CD-ROM WORLD」では他に、
30ajimat
GIFアニメ風のものや、

32sanmi
データベース、

31bis
イラスト集、壁紙なども収録してあるのだが、当ウェブログで扱う内容から少し外れるように思うので紹介は割愛します。)



夜の帳の中で

Tobari
(チクマ秀版社 2006年8月25日)
"yoru no tobari no nakade (meaning : be shrouded in darkness)"

"Yoru no tobari no nakade" is not a title of story but a book. I'll want to write outlines of stories that I didn't introduce you yet at this web-log.

<はじめに>
 奥付は上記のようになっているが8月4日には店頭に出ていたようだ。「夜の帳の中で」というのはこの書籍の題名のみで、同名作品が収録されているわけではない。ここでは収録作品のうち、当サイトでまだ書いていないものに絞って以下に紹介してゆこうと思う。



墨東奇談

Bokutou
(単行本「天界の宴」描き下ろし 1984年12月)
"Bokutou kidan (meaning : strange story of Bokutou)"

A man finds a way in narrow alley. There is an ambiguous sign that means blind alley or not, upon its entrance. When he enters, there is old-fashioned neighborhood looks like prewar Japan, wooden houses stand in a row.
"I feel easy strangely"
He sits down and takes a rest, then a girl seems prostitute speaks to him ......

 道を歩いていた主人公は「ぬけられ」(おそらく右から左へ読む)と書かれたアーチをくぐって狭い路地へ入る。抜けるとそこは戦前の日本を思わせるような木造家屋が立ち並ぶ界隈となっていた。「妙に落ち着くなー」と腰を下ろして休んでいたら、娼婦らしい娘が声をかけてきて……。

*永井荷風「墨東綺譚」がヒントになっているらしい? 入口に「ぬけられ」としか書いてないのが意味深長に思われる(これだと「抜けられる」なのか「抜けられない」なのか分からない)。そして主人公を待っていた結末は……。彼が感じたのは幸福と充実か、それとも厭世と諦めか。
 もともと単行本「天界の宴」の冒頭を飾るべく描き下ろされた作品らしいのだが、なぜなのか分からない。「しょせん人間(主人公)の運命など、天におはします何者かにとっての余興でしかないのかも……」といったイメージなのだろうか?



ひでおのハイパーダイアリー

Diary
(単行本「ハイパードール」描き下ろし 1982年6月)
"Hideo no haipah diary (meaning : Hideo's hyper diary)"

* This is a collection of caricature about author's daily life or fantasy. These caricatures were released in the book "High-power doll" at first.

*作者の日常や幻想を1ページマンガで描いたもの。『ハイパードール』に収録されているものとちょっと違うのは⑥で、"KAZU"というのが担当編集者の名前であることが手書きで加筆されている。



失踪日記外伝 街を歩く

Matiwo
(お宝ガールズ5月号増刊 コミックお宝VOL.1 1998年5月)
"sissou nikki gaidenn -- machi o aruku (meaning : supplemental episode of disappear diary -- walk about town)"

A editor asks author to write about author's experience in the homeless and a plumber, in a viewpoint of switch jobs. Then author asks editor a question -- he means it,
"I don't know what I ought to write (because I have experiences in the homeless many times)".

「今回は転職というテーマで わたしがホームレスやってた頃の話と 配管工をやってた頃の話を描けという編集の注文」に対して作者はたずねる、「何回めのホームレスを描きましょうか?」

*壮絶な人生記録の断片に驚かされる。植え込みを「店」にするくだりがあるがもしや『ななこSOS』の『ACT.60ななこアイスを売る』の、公園を店にするという奇妙なアイディアのヒントになった経験なのだろうか?



リアリズム日記

Realism
(マンガ奇想天外 No.9 1982年1月号)
"realism nikki (meaning : realism diary)"

* This seems the author's diary when he was very busy (but wrote for a coterie magazine, too).

*すごく忙しかった(けれど同人誌や「シベール」にも執筆していた)頃の日常らしい。



もっと自由に

Jiyu
"motto jiyuh ni (meaning : more freely)"

(details are not clear)
When author (maybe) writes a draft at a coffee shop, a gigantic editor comes, and ......

(詳細不明 画集『マジカルランドの王女たち』(株式会社サンリオ1982年)では縮小印刷されたバージョンが収録されているが、このサイズでの公開はこれが初めてらしい)

 作者(だろう)が喫茶店でネームをしていると巨大な編集者がやってきた……。

*全て鉛筆描きかと思われる。たぶん商業誌だと「余白をあまりにも大胆に取りすぎている」とかの理由で掲載されないのではあるまいか。それだけにこの実験的な掌編は貴重だと思う。



混沌の森

Konton
(詳細不明)
"konton no mori (meaning : forest of chaos)"

(details are not clear)
* These seem experimental pencil drawings. There are imaginary creatures, curious spectacles and unique visions. We can make a fairly good guess as to how the author has a vigorous imagination. Some ideas drawn here, seems to been stories.

*たぶん鉛筆で描かれたアイディアスケッチではないかと思われる。架空生物や奇妙な光景などユニークな幻想が繰り広げられ、作者の想像力の豊かさがうかがい知れる。ここから作品化されたらしいアイディアも幾つか見られる。



ギャラリー

Beauty
(詳細不明)
"gallery"

(details are not clear)
There are 11 pictures made up covers of book, frontispieces, paintings placed on official web site, and so forth.

*単行本の表紙、口絵、公式サイトで公開されたものなどのカラーイラストレーションを11葉収録してある。



あとがき

Atogaki
(描き下ろし 2006年8月)
"atogaki (meaning : postscript)"

Author pours out how it is disastrous hardship to create nonsensical comedy. We readers may have limitations to understand ordeal of creation.

*ナンセンスを描く大変さについて述べてある。創作する側の苦労を、ぼくら読者が理解するのはどうしても限界があるのだろう。
(単行本「夜の帳の中で」は、ここで終わっている。)





inserted by FC2 system