Home / Site Map / Previous / Next

28 ぶらっとバニー/贋作ひでお八犬伝

I'll introduce you 2 rare series of Hideo Azuma's works at this page.
"Bratto Bunny" is a story of an imaginary creature.
"Gansaku Hideo Hackenden" is a Japanese historical story.

はじめに

(2008.1.21.付記:『ぶらっとバニー 完全版』の1と2が発売された。おくづけでは2008年3月1日初版発行となっているが、1月19日が発売日だったようである。最初の単行本と同じ徳間書店の発行なのだが、カバーに「完全版」とあるとおり、今回は全話を読むことができ、かつオマケの収録がある。)

Bb1b

1……『バルバラ異聞』

   『不条理日記2006』


Bb2

2……『北海道・浦幌記』

     磨湖丈一(北風六人衆)による劇画

   『SPECIAL初対談
     吾妻ひでお×松久由宇』




Bbi

『バルバラ異聞』

(COMICリュウ 2007年5月号)

 「club バルバラ」へ入った作者は、青羽ちゃんと楽しいひと時を過ごす。しかしそこに……。



Fn2006

『不条理日記2006』

(COMICリュウ 2006年11月号)

 「○月×日 ヘビがちょっと通らせてくださいと言って来る」そして……。



 『ぶらっとバニー』全話をこの21世紀になってから読むのはいささか難しかったはずで、かつ単行本初収録のオマケ付きなのは大変お得ではないかと思う。価格は各巻それぞれ648円+税。ぜひこの機会にどうぞ。

(公式サイトには作者による以下のような発言があり、イラストが添えられている(「ひでお日記」、'08.2.10.「スケジュール」更新として公開)。
「バニーは当時アニメの話もあったが 白目がアレだとゆーことでボツった」
「こないだバニーの弟「ラビイ」てのを考えた、瞳がある。アニメ化を狙っている セコッ!」 (この既述は単行本「うつうつひでお日記 その後」のp.101に収録されている))


 さて……。

 「珍種」ではない吾妻マンガがそもそも存在するのかどうか良く分からないけれど、そういう吾妻マンガ作品群の中にあってなお「珍品」と思えるものがある。
 一つは『ぶらっとバニー』、もう一つは『贋作ひでお八犬伝』だ。
 なぜそう考えるかと言うと、類似のものとして同じジャンルに当てはまりそうなシリーズ作品が他に無いからである。
 『ぶらっとバニー』は主人公が人間ではなく(!)人間に近い容姿をさえしていない架空生物であり、(サイレント漫画である『タバコおばけだよ』とかを別にすれば)こういう作品は吾妻マンガで他にはたぶん無い。また『贋作ひでお八犬伝』は戦国時代の日本を舞台にした伝奇もの時代劇で、この舞台設定も、読みきり短篇とかを別にすれば吾妻マンガに唯一のシリーズになると思われる。

0000

 きょうは前者、『ぶらっとバニー』について少し。
 主人公はどうもウサギであるらしい。が、ちょっと普通とは違う。彼には腕が存在しない。長い耳(だろう)の先端が手の役目を果たすのである(あなたは、こんな奇異なデザインの生物を他にどこかで見た事があるだろうか? 僕は無い)。TV(NHK教育)で放送されたアニメ『電脳コイル』(原作・磯光雄)には、耳がゲンコツみたいな架空生物(電脳猫ミゼット)が登場するけれど、ひょっとするとそのご先祖はこの『ぶらっとバニー』なのではという気がする(真相は不明だけれども)。

0003

 さて、主人公は或る特殊な能力を持っている。少年マンガでそうなると「悪を懲らしめる正義の味方だろ?」と思われるかも知れないが、どっこい、そういう定石がこの作品には当てはまらない。毎回いろいろな問題が発生しその解決に取り組む、という図式はあるのだが。
 ここまできて「それは藤子不二雄の定番ではないか?」と考えるかたもおられるやも知れない。確かに、奇妙な生物(ないしはロボット等)が登場する、SF的な少年マンガは藤子不二雄の十八番(おはこ)だろう、『オバケのQ太郎』や『ドラえもん』はあまりにも有名だ。しかしそれらの著名作品と比べた時、すぐに気付く違いが『ぶらっとバニー』にはある。
 少年たちが登場しないのだ。

0009a0010a

 藤子作品では、奇妙で強烈な個性と特徴を持つキャラクターと共に、たいてい少年たちが登場していると思う(正太やのび太など)。そして更に美少女1人、大柄な体格の少年1人、勉強のできる少年1人……といった人物群が脇を固めて、シリーズが展開してゆく。これは読者の分身たちを登場させることで子供たちを物語世界へ引き込み、仮想的に参加させる(更には、「ごっこ遊び」をするにもこうした様々なタイプがいるのはその入口を広くしそうだ)と同時に、現実離れしたキャラクターおよび物語に説得力を増す役割を果たしているように感ぜられる。
 『ぶらっとバニー』にはこうした、物語と(読者のいる場所である)現実との橋渡しをする要素が、殆ど無い。少なくとも、レギュラーとして毎回必ず登場し、相手役や脇役の立場でこれを果たすキャラクターは、出てこない。あえてこうした描き方をする作劇手法は吾妻マンガの特徴のひとつであり、この『ぶらっとバニー』は、それがよく現れているように思う(『シャン・キャット』の番や『ななこSOS』の飯田橋などはわりと現実的な少年だが、それでもほぼ1人きりで登場しており、いずれにしても「物語と、読者の現実とを結びつける」という工作は、吾妻マンガでは、さほど重視されていないような気がするのだが、どうだろうか)。『普通の日記』によれば『ぶらっとバニー』では編集部からの注文が細かく出されていたらしいので、もしかするとその意向もあったのかも知れないのではあるけれど……。

0011a0012a

 とはいえ、「これは編集部からの指示の結果ではあるまい」と思える点がある。
 ”この主人公は作者の内面的な自画像なのではないか?”
 という印象がそれだ。このことは最終回でとりわけ強く感じられるように思う。これはけだし当シリーズの演出手法以上に重要で興味深い事なのではなかろうか。

 『ぶらっとバニー』は最初、徳間書店のアニメージュ・コミックスで単行本となったが、これは2巻で終り、最終回までが収録されないままになっていた。全話を収録した単行本が世に出るのは1997年、マガジンハウスのMAG COMICSで再販が実現してからのことである。前者にのみ収録されている読みきり作品もあるので、ここでは両方をテキストに用い、あらすじを紹介してゆこうと思う。



吾妻ひでおの幻魔大戦

(リュウ Vol.4 1980年2月号)

0001

"Azuma Hideo no Genma-Taisen (meaning : Hideo Azuma's Genma-Taisen)"

* This is a parody of "Genma-Taisen" the Japanese sci-fi story.

*この作品はアニメージュ・コミックス版単行本の第1巻に綴じ込みポスターのような形で収録されている。『古代編』と『未来編』から成っているが(この構成はもしかすると手塚治虫『火の鳥』シリーズのパロディか?)、原作たる『幻魔大戦』を多少なりとも知らないと分かりにくいかも? コマノンブル(どのコマをどういう順序で読むかを示す数字)が付されているけれど、これは1960年代のマンガにおいて定番だった様式であって、作品発表時の1980年には完全に絶滅していたはずで、懐古趣味ギャグとしての演出であるらしい……!? なお『幻魔大戦』パロディの吾妻マンガには他にも『わんぱく丈くん』がある。

0002

(『幻魔大戦』は1967年に週刊少年マガジンで連載が開始され、21世紀となった今なお完結していないシリーズのようだ。で、なぜこの作品のパロディかというと、掲載された『リュウ』という雑誌がそもそも、石森章太郎による『幻魔大戦』をメインにして1979年に創刊したためであるらしい。『リュウ』の編集者(校條満)は虫プロの雑誌『COM』に関わった人であったらしく、してみると『リュウ』は前衛マンガ雑誌としての血脈を受け継ぐ興味深いものだったようだが1986年に一度休刊し、2006年に復刊している。)



ネコのこミャン

0005

(テレビランド別冊 9 1976年6月15日号)

"Nekonoko Myan (meaning : Myan the son of a cat)"

There is a strange creature that looks like a cross between cat and mankind. He is starving as he is poor in hunting ...

 猫のような人間のような、よくわからない何者かがエサを取ろうとしている。しかし彼は未熟なのかトンマなのか、何も捕まえられなくて腹ペコ。困ったあげく、山から町へと出かけてみるのだけれど……。

*この作品は徳間書店アニメージュ・コミックス版『ぶらっとバニー』第1巻の巻末へ収録されている。当サイトではこちらを先に紹介しようと思う。
 登場する少女の台詞によれば主人公は「ネコと人間のハーフ」みたいなのだが、3ページ目の台詞からすると、彼の父も母も普通のネコのようだ(どちらかが実の親ではないのかも知れない)。ネコ少年というのは楳図(うめず)かずお『猫目小僧』(1967年~)などを別にすれば非常に珍しいキャラクターなのではないか?



悶々亭奇譚

0006

(リュウ Vol.1 1979年5月号)

"Mon-mon-tei kitan (meaning : The strange story of the Distress Snack Bar)"

A man who is going to skip out at night, is called by a strange man. He approaches him with a proposal to manage a snack bar ...

*The hero's name "Asakuraku" seems to be a parody of "Sir Arthur Charles Clarke".

 「スナック イモ虫」から、マスターらしい人物が夜逃げを試みる。しかし彼は奇妙な男に呼び止められた。
「どうです もうひと花咲かせてみる気はありませんか わたし小さな店を一つもってまして… ぜひ あなたにそこのマスターをやってもらいたい」
 案内されたその店には「悶悶亭」という看板があったが、変わっているのはその屋号だけではなく……。

*これはたいへんに高密度なオムニバス作品で、さまざまな幻想とアイディアがぎっしり詰まって成り立っている。楽しいとも恐ろしいともつかない混沌とした世界は実に独特、たぶん吾妻ひでお以外の誰にもこのような作品は描けないのではないかと僕は思う。
 主人公の朝苦楽(あさくらく)はSF作家アーサー・C・クラーク(Sir Arthur Charles Clarke)になぞらえた名前らしい?



あこがれの12段がさねの巻

0013

(リュウ Vol.2 1979年9月号)

"Akogare no jyuhnidan-gasane (meaning : 12-storied one the admiration)"

A boy by the name of Kobayashi, likes Kumi the girl of his classmate. He can neither concentrate on his study, nor sleep. At last he goes mad, then a figure of a jumping hare occurs to him ...

 同じクラスの少女・久美のことが気になって、小林は勉強も全く手につかず眠ることさえできずにいる。思考は暴走し、もはや破滅もやむなしと断念したその時、彼の脳裏にはウサギの飛び跳ねる姿が浮かんできて……。

*これが第1回。
 学校を舞台とし、恋に悩み苦しむ男子学生が登場するなど、このシリーズはかなり現実的なところからスタートしているようだ。突如として出現する主人公・バニーは、欲求不満などで爆発寸前に達してしまった人間のいわば「ガス抜き」を行なう正義の味方(?)という役割をになっている。
 ただし。
 主人公が行なうのは「妄想」の実体化であって、夢を現実にしてくれる(願いをかなえてくれる)というのとは微妙に違う。
 ここに、設定の「ひねり」があるようだ。
 かくしてこのお話も、平凡な恋愛マンガとしての展開にはならないのだった。



もっときれいにの巻

0014

(リュウ Vol.2 1979年9月号)

"Motto kirei ni (meaning : To be more beautiful)"

Kumi watches herself in a full-length mirror before she takes a bath. Bunny appears from her head all of a sudden.
"I've had nothing wild fancies."
"You wished your bust had were a little more well-rounded."

 久美は、風呂に入ろうとして姿見に自分を映す。ふとものを思ったとたん、彼女の頭からバニーが出現した。
「あたし別になにも妄想なんてしなかったわよ」
「いま 胸がもう少し大きかったらと思ったくせに…」
 そしてバニーが彼女の頭から引き出したものは。

*同じ号に3話ぶんをまとめて掲載するという、ちょっと珍しい形で発表されたからか、前話で登場した女生徒が今度はお話の中心になる。これもきわめて現実的な(そしてたぶん普遍性もある)主題を扱っているのだが、やはりありきたりな展開とはならず、次から次へととんでもない光景が読者の眼前に繰り広げられてゆく。



ネコイズムの巻

0015

(リュウ Vol.2 1979年9月号)

"Nekoizumu (meaning : Cat-ism)"

Bunny is called by a cat. The cat is not lucky at all. How is his delusion ... ?

 眠っていたバニーが呼び出されてみたら、相手はなんと猫だった。しかしこの猫、とことんついてない境遇で生きている。果たしてその脳裏から引き出されてくる妄想はいったい……?

*今度は久美に飼われているらしい猫がゲスト。なんとも変化に富んだシリーズではある。第1話・第2話とは異なり、人間というものの特性や本質をうがつ要素は薄らいでいるかも知れないが、そのぶん展開と光景の現実離れはより強烈で、まさにマンガならではのユニークなお話になっている。



ブラックちゃん大登場の巻

0016

(リュウ Vol.3 1979年11月号)

"Black-chan dai-tohjoh (meaning : Ms.Black appears brilliantly)"

In a classroom, an old teacher speaks indistinctly. All students are bored, everyone think their own way.

 学校。授業中なのだが老教師は何を話しているのかさっぱり聞こえず、学生たちは退屈しきっている。そして彼らの頭は一斉に、てんでんばらばらな事を考え始めた。それらはついに、バニーを呼び出すレベルにまで達し……。

*「妄想警察のブラックちゃん」が登場。なぜか人間に近い容姿なのでバニーと同種には見えないが、彼女についてはこのあとの回で徐々にいろいろ細かい事が描かれてゆく。
「欲求不満ため込む これ からだによくない」
「妄想とともに一つ パーッと遊んで現実を忘れ 明日への活力を養おう」
というバニーの台詞があり、何かこう、マンガというものの存在意義について語られているようにも聞こえる?



宇宙大妄想の巻

0017

(リュウ Vol.3 1979年11月号)

"Uchuh dai-mohsoh (meaning : Space great delusion)"

Bunny and Black watch delusions of mankind. They find one that is on the verge of explosion, go into action in a great hurry. There are 2 astronauts in a spaceship, have lived in a closed room for a half year ...

 人間たちの妄想を監視していたバニーとブラックちゃんは、パンク寸前になっているものを発見する。急いで出動してみると、妄想の主は宇宙船の中におり、退屈しきっているのだった。密室状態に2人きりでもう半年もの間そうしてきた宇宙飛行士たちのストレスはとうとう限界にきて……。

*「人間てなあ まったくもって…………」
とバニーが嘆いているところから話が始まるが、実際これは風刺SFとなっている。地球の衛星軌道上に有人のステーションを浮かべることは米国のスカイラブ(Skylab)計画(1973年~)で現実に行なわれていたが、このマンガに登場している宇宙船の形状などからすると、本シリーズは近未来を舞台としているのかも。



まずしいたいようの巻

0018

(リュウ Vol.4 1980年2月号)

"Mazushii taiyoh (meaning : The poor sun)"

Bunny helps a poor writer of children's stories. There are neither food nor heating in his small house.

 バニーが助けに来たのは、貧しい童話作家の男が住んでいる部屋だった。その四畳半には食べ物も暖房も無い。そこで妄想から引き出してやるのだったけれど……?

(注:以下は単なる思い出です)
 若い男が四畳半に独り暮らしとかしていると、室内に独特の体臭がこもるようです。だもんで、僕が沖さんの下宿へ遊びに行くとやはり特有の匂いがあったような気がするのですけれど、沖さんも沖さんで、吾妻先生の部屋を(アシスタントとなる以前に)訪問した際、同様に何だか匂いがしたと語っておられました。詳しいお話は忘れてしまったのですけれど、沖さんはそれ以前にその匂いを経験していて、
「あ、懐かしいな」
と感じたのだとか。なお、その時の吾妻先生はすごく寡黙(かもく)でおられたらしく、
「迫力あったよ~!?」
と沖さんが笑いながら語って下さいました。僕が最初にお目通りかなった時もそうだったんですよね。
 吾妻先生は沈思黙考しておられる時はすごく険しい雰囲気がある(?)のに、破顔一笑されるとまるっきり別人みたいなかたでした……って、こんなコト書いてると叱られるだろうか!?



10時限目の授業の巻

0019

(リュウ Vol.4 1980年2月号)

"Jyuh-jigen-me no jyugyoh (meaning : 10th period class)"

A young teacher is completely worn out as his school goes to ruin. He resolves to resign his school, but his colleague takes strange action ...

 いささか荒れているらしい学校で、若い教師が男子生徒にやられボロボロとなっている。そのあまりにも凄まじい環境にすっかりまいってしまった彼は、もうやめるつもりでいるのだったが、同僚である教師がどうも不可思議な行動をとっていて……。

*最初、バニーはなかなか登場しない。生徒ではなく教師の方にスポットをあてていたり、ユニークな芸が引き立つ回。



妄想大混線の巻

0020

(リュウ Vol.4 1980年2月号)

"Mohsoh dai-konsen (meaning : The great crossed delusion)"

Bunny and Black go to their office of "Delusion bureau". Bunny goes to a room of a schoolboy, then he becomes aware of unusualness ...

 寝惚けまなこで「妄想局」へ出勤するバニーとブラックちゃん。さっそく仕事に取り掛かり、1人の男子学生の部屋へ向かうバニー。しかしその作業の最中、ある異変に気がついた……。

*この回でバニーとブラックちゃんは同じ課に属し、机も向かい合わせで職務にあたっている事が分かる。劇中で特に説明は無いのだが、『ブラックちゃん大登場の巻』と合わせて考えてみると、彼らは担当職務の内容が少し異なるのだろうか?



妄想カセットの巻

0021

(リュウ Vol.5 1980年5月号)

"Mohsoh cassette (meaning : The delusion cassette)"

Taroh is an exemplary schoolboy who studies hard. But he shows no interest in anything but learning. His mother is anxious about his apathy ...

 太郎は、ひたすら机に向かい勉強に励んでいる。何の問題も無い少年のようだが、勉強以外の事には全く関心を示さず放心状態になるという極端なところがあって、つまりは「妄想」が無さ過ぎるタイプなのだった。この無気力を心配した彼の母親は……。

*これでどうやってバニーの出番があるのだろう、と思うのだが、主人公はちゃんと活躍している。「我が妄想管理会社は」という台詞があるところからすると、バニーの職場は民営なのだろうか?



妄想パンはアンコ入りの巻

0022

(リュウ Vol.5 1980年5月号)

"Mohsoh-pan wa anko iri (meaning : Delusion bread has bean jam in it)"

There is a bakery that is closed to men. A storekeeper is a young beautiful girl who is a little eccentric. The bakery prosper just so-so, but ...

 「パン もんしろちょう 男性おことわり!」という看板の店がある。そこを1人で切り回しているのはうら若き美少女、
「物をつくるのに いちばんだいじなのは個性」
「あたしは ひとつとして同じ型のパンは焼きません!」
と宣言するので客からは、
「パンの形とおねえちゃんの頭がすこしおかしいけど」
「味はまあまあね」
と評される。店はともあれ順調なようだったが。



どっちもどっちも未来の巻

0023

(リュウ Vol.6 1980年7月号)

"Dotchi mo dotchi mo mirai (meaning : Anything are future)"

There is a schoolgirl who is very beautiful and excellent. She can do anything very well, but she is at a loss to decide what to do in her future.

 一人の女生徒・佳麗(かれい)は美人で優秀、すべての事において才能と実力を持ち、できない事は何一つ無かった。しかしそれが逆に災いし、
「この先どの方向に進めばいいのか わからなくなってしまった」
と泣き出す。
 そんな彼女の悩みを解消すべく「妄想界」からバニーがやってきて……。

*徹底したギャグではあるのだけれど、人生や幸福というものについて、本気でちょっと考えさせられる一品。



妄想マシンの巻

0024

(リュウ Vol.6 1980年7月号)

"Mohsoh machine (meaning : The delusion machine)"

A couple, young man and young woman, seem to work on an invention of a time machine. But they fall behind in their payment of a room rent ...

 地下室だろうか「山田科学研究所」と書かれたドアが見える。その中では一組の若い男女が何やら機械いじりの真っ最中。どうも「天才的科学者」を自負する青年と、彼を信じ献身的に助けている娘とが、タイムマシン発明に取り組んでいるらしい。ところが家賃を三か月ためている彼らに突如不幸が襲いかかって……。



こちら妄想放送の巻

0025

(リュウ Vol.7 1980年9月号)

"Kochira Mohsoh Hohsoh (meaning : This is Delusion Broadcasting station)"

A company of TV show's production, is scolded by their sponsor. They have to produce a new program, by telecast in this evening.

 どうもこの会社はTV番組を制作しているらしいのだけれど、その作品をスポンサーに見せてみたらひどい悪評。すぐ別のをつくりなおさねば手を引くと宣告されてしまった。でも放送は今夜、いまさらつくり直す時間は無い。絶体絶命の窮地に陥った彼らの前へ、バニーが出現したのだったが……?

*トビラページと2ページ目とでは教師の髪が異なるが、単純ミスか。「百勝畜産組合」(MAG COMICS版では"もろがさ"とルビがふってある)は地名なのか、詳細不明。「裏幌商店街」は作者の出身地である北海道十勝郡浦幌町にひっかけたものではないかと思われる。



走れダイコンの巻

0026

(リュウ Vol.7 1980年9月号)

"Hashire daikon (meaning : Run, Japanese radish)"

A young man makes plans to grow Japanese radish for feeding himself. He orders seeds to grow up by tomorrow.

 定食が値上がりした事に腹を立てたアニメーターの青年は、自分でダイコンを育てて食おうと決める。彼はダイコンの種に向かい、
「あすまでに太く大きくなって 食えるようになっとけよ」
と命じるが?

0004a

*アニメージュ・コミックス版単行本ではここから第2巻となり、その巻頭には折り込みのポスターが付いている。画題は『不思議の国のアリス』からとられているようだ。なぜ『不思議の国のアリス』なのかは不明だが、その背景(左下)のなかにウサギを、紛れ込ませたかのように描いてあるのが何やら意味深長に感ぜられる(こうした「隠し絵」とでもいうべき要素は原著 "Alice's Adventures in Wonderland" に付されている、ジョン・テニエル(John Tenniel)の挿絵にもあったようなので、吾妻ひでおはそれを模したのかも知れない。例えばハートの女王がアリスを指差して「そなたの名はなんと申す」と問う場面の絵には、白ウサギの後姿がこっそり描き込まれていたりするようだ)。人間(アリス)を異世界へといざなう奇妙なウサギは、ひょっとするとこのシリーズの主人公であるバニーの誕生にヒントを与えたのだろうか……? 興味深いことに『ぶらっとバニー』最終回では「少女がウサギの後を追って森へ入ってゆく」といった場面があり、考えるとこれは『不思議の国のアリス』冒頭部分をほうふつとさせる所があるようにも見える……はて?
 今回登場する青年は一説によれば阿島俊(米澤嘉博(よねざわよしひろ)のペンネーム)をモデルにしている似顔絵キャラクターだとか。「妄想の国から やーってきた」というのはTVアニメ『スーパージェッター』(1965)主題歌の替え歌かと思われる。



妄想博物館の巻

0027

(リュウ Vol.8 1980年11月号)

"Mohsoh hakubutsukan (meaning : The delusion museum)"

A schoolgirl visits a museum and stops at the front of a fossil of a little dinosaur. Then she notices :
"Why, this is speaking something !"

 修学旅行だろうか、制服を着た男女の学生たちが大勢、引率されて科学博物館へとやって来る。学生たちはイタズラで騒ぎだすが、ひとりの女生徒はそれに加わらず、館内を自由に見て回る。ふと彼女は小さな恐竜の化石の前で立ち止まり、気付く、
「あら なにか しゃべってる!」
 これはいったい……?

*台詞にある「ナターシャの飛行機」というのは、旧ソ連の女子器械体操選手ナタリア・シャポシュニコワ(Natalya Shaposhnikova)が、1980年のモスクワオリンピックで用いた平均台での技の名称であるようだ。



フィルムは生きているの巻

0028

(リュウ Vol.8 1980年11号)

"Film wa ikiteiru (meaning : Film is alive)"

A schoolgirl makes a proposal of date to a schoolboy. But he excuses himself. To tell the truth, he becomes enthusiastic over a heroine of TV animated cartoon.

 同じ学校の女生徒から、手紙で交際を申し込まれた麻仁阿くん。しかし、
「ぼく すきな人がいるんだ」
とこれを断り、さっさと帰宅。そんな彼が思いを寄せている相手というのは、TVアニメ「未来少女ランジェ」のヒロインだった。

*フィクションの世界に惚れこむあまり現実を見なくなってしまうという中毒症状は、特に現代的なものではないのだろうけれど、ハイティーンの間でアニメが流行したこの当時にはいささかそれが目立ち、社会現象のようにとらえられていたかも知れない。
 妄想を具現化してやるのを使命とする主人公・バニーが彼にさとす「結論」とは。



雪と少女の巻

0029

(リュウ Vol.9 1980年12月号)

"Yuki to shohjyo (meaning : Snow and girl)"

Bunny is called by a girl. She seems been sheltered by her father ...

 雪山へ来ているバニーたち。スキーに宴会にとくつろいでいたら、突然呼び出されてしまった。相手は、過保護な父親によって無菌状態におかれた箱入り娘らしかったが……。

*「カール・セイガン」は米国の天文学者にしてSF作家でもあるCarl Edward Sagan博士のことだろう。著書「コスモス」(COSMOS)はTV化され日本でも放送された。少女の部屋に見えるソリ(? RUS BUD と書かれている)は映画『市民ケーン』(Citizen Kane 1941)のパロディか。「ディズニー・プロの協力」というのはSF映画『禁断の惑星』(Forbidden Planet 1956)にひっかけているものと思われる。



地上最強ビルディングの巻

0030

(リュウ Vol.9 1980年12月号)

"Chijyoh-saikyoh building (meaning : The building strongest on the earth)"

There is a designer of a toy company. All his designs seem to not sell well, so that the president runs out of patience ...

 こぶとりオモチャKKは返品の山にあえいでいる小さな会社だが、そこのデザイン担当者であるらしい「人形くん」は、どうにも売れそうに無い物ばかり企画している。社長のガマンもとうとう限界がきた。もはや背水の陣となったその時、バニーが出現したけれど……。

*ちょっとヒネリがあって、今回のお話でメインになるのは社員である「人形くん」の妄想ではなく、社長のそれなのである。ううむ。



赤ンぼう帝国の巻

0031

(リュウ Vol.10 1981年3月号)

"Akanboh teikoku (meaning : The baby empire)"

A poor beggar man gets drunk with liquor that Bunny drew out from a delusion. They find a deserted baby. The man gives the baby a drink ...

 「貧しいコジキ」のおっさんが、バニーに出してもらった妄想の酒で飲んだくれている。と、彼らが宴会の場所に選んだ街角には、なんと「すてご」の赤ん坊がいた。おっさんは赤ん坊にまで酒を飲ませてしまい……。

*サブタイトルは高野よしてる及び泉ゆき雄によるマンガ『赤ん坊帝国』(1964~65年)のパロディらしい。



悪魔とどろぼーさんの巻

0032

(リュウ Vol.10 1981年3月号)

"Akuma to doroboh-san (meaning : The Devil and Mr.Thief)"

A robber appears at a bank, but he is too kindhearted to do rob. He comes to a conclusion to summon the Devil.

 銀行に、拳銃を持って強盗が現れた。しかしどうにも彼は心優しすぎるところがあってうまくいかない。悩んだあげく、「悪魔を呼び出す」という結論にいたったのだが。



お山の杉の子の巻

0033

(リュウ Vol.11 1981年5月号)

"Oyama no sugi-no-ko (meaning : A cedar's child in a mountain)"

There are many couples at a park in spring. But a cedar of there becomes sullen. Bunny and Black become aware of his complain, inquire him ...

 春の公園は恋人たちだらけ。しかしそこにある杉の木はヘソをまげている。やって来たバニーとブラックちゃんが彼、杉の木の不満に気付き、その話を聞いてみると……。

*今でこそ杉はその花粉のせいで人々から敬遠されているが、この頃にはまだそうした社会問題も無かったのではないかと思われる。初代ガンダムをパロディにしたギャグがあり、当時の読者なら一目で分かった部分だろう。心優しい童話風に仕上がっている一品。



アイドルを追えの巻

0034

(リュウ Vol.11 1981年5月号)

"Idle wo oe (meaning : Chase the idol)"

An editor of the magazine doesn't sell well, is ordered to take a nude photograph of a very popular idolized entertainer girl. But he is an ardent fan of her ...

 ゲテ物出版社が出している月刊「ウィーク・エンドレス」は、なんとか部数をのばしたがっている。すでに雑誌を9冊ツブした過去を持つ編集長は焦り、超売れっ子の清純派アイドル、松原順子のヌードを撮れと編集者の岡田に命じる。岡田は9個の会社をクビになった過去があり、これまた焦るのだったが、苦しい事に彼女の大ファンで……。

*かつてTVのワイドショーなどが恒常的に浅ましい取材活動をしていて、人々からひんしゅくを買っていたという時期があり、その風刺になっているのかも知れない。



あたちの赤ちゃんの巻

0035

(リュウ Vol.12 1981年7月号)

"Atachi-no akachan (meaning : My baby)"

Mariko the little girl shows off her new doll to her friend Hitomi. But Hitomi has her baby sister and shows off. Mariko gets offended and coaxes her parents a baby.

 お人形を買ってもらった、まりこちゃん。ひとみちゃんに見せびらかしたのだが、ひとみちゃんには生まれたばかりの妹がいて、逆に見せびらかされてしまう。頭にきたまりこちゃんは、両親に「赤ちゃん」をねだるのだったが。

*MAG COMICS版の単行本では「のた魚(うお)」という語に傍点とルビが付されている。



恋するウサギたちの巻

0036

(リュウ Vol.12 1981年7月号)

"Koi-suru usagi-tachi (meaning : Hares fall in love)"

Black neglects her work and watches TV. She loves a singer, and makes Bunny to help her love ...

 妄想管理局では目の回るような忙しさに皆がてんてこ舞い。しかしブラックちゃんは仕事せず、TVを観ている。驚き呆れたバニーは文句を言うが、彼女は歌手の「零あるも」に狂っているのだった。おまけに彼女の恋を成就させるべく、バニーは手伝わされて……。

*「零あるも」というのは初代ガンダムの主人公「アムロ・レイ(キャラクターデザイン画の段階では「アムロ嶺(? レイ)」と漢字表記されていたように記憶する)」のパロディか。「ウサギ小屋」というのはEC(欧州共同体)がその文書に「日本(人)はウサギ小屋のような家に住む仕事キチガイの国」といった表記をしたとかでこの頃話題になった事にひっかけているのかも知れない?



マッドサイエンティスト入門の巻

0037

(リュウ Vol.13 1981年9月号)

"Mad-scientist nyuhmon (meaning : Become a pupil of mad scientist)"

A schoolboy studies to be a mad scientist, but he cannot succeed thanks to his ordinary character. One day, he loves a girl at first sight, but she is very fond of grotesque objects ...

 日本でただ一つのマッド・サイエンティスト予備校に通っている別田くんは、マトモな性格が災いして、どうも優等生にはなれずにいる。そんな彼の眼前に、新入生の美少女・久呂(くろ)てす子が現れた。一目惚れする別田くんだったが、あろうことか彼女はグロテスクなものが大好きで……。

*「マッド・サイエンティスト大学」の卒業生として、1960年代の少年SFマンガに登場した科学者や発明家たちの似顔絵が描かれている。どうやら左上から順に、敷島博士(横山光輝『鉄人28号』)、日の丸くん(大友朗『日の丸くん』)、お茶の水博士・天馬博士(手塚治虫『鉄腕アトム』)、発明ソン太(あさのりじ『発明ソン太』)であるらしい?



月がとっても青いからの巻

0038

(リュウ Vol.14 1981年11月号)

"Tsuki ga tottemo aoi kara (meaning : As the moon is so blue)"

Bunny and Black are deeply moved by the beauty of full moon. Then the moon starts to cry. He (?) says : "I am praised after a long time."
Black listens to his story, but ...

 お月見をするバニーとブラックちゃん。その美しさに感激していたら突然、月が泣き出した。
「最近あまり月をほめてくれる人がいないもんで」
と彼(?)は言う。ブラックちゃんは月の話を聞いてやることにしたのだが、それは思いもよらぬ騒動の始まりになった……。

*バニーたちに意外な弱点があることが今回明らかになっている。群衆場面でDAIKONⅢ(第20回日本SF大会)のオープニングアニメに登場した女の子に似た少女がちょこっと描かれている(ただし、服が長袖であるなど細部が異なり、また後姿であるため、真相はよく分からない)。
(アニメージュ・コミックス版『ぶらっとバニー』第2巻は、ここまでを収録している。)



妄想学校の巻

0039

(リュウ Vol.15 1982年1月号)

"Mohsoh-gakkoh (meaning : The delusion school)"

Bunny and Black lecture for students as their senior at a school. There is ...

 妄想学校の教室へ来ている、バニーとブラックちゃん。彼らは、妄想管理局員のタマゴである学生たちに実地訓練をほどこすため、その講師をつとめるのだった。さっそく学生たちの指導を始めるけれど……?

*意外なオチが童話風に仕上がっており、これまた少年マンガらしい回と言うべきか? 妄想のひとつに「あじましでおの人情マンガ」なるものが登場している。



空飛ぶタクシーの巻

0040

(リュウ Vol.16 1982年3月号)

"Sora-tobu taxi (meaning : A flying taxicab)"

A driver complains about a traffic jam, and his car complains about that it has to run on squalid road every day. The car envies an airplane flies endlessly the sky ...

「ひどい渋滞だ やんなるなー」
と運転手がこぼしたところ、
「毎日毎日こんなゴミゴミしてせまい道路を セコセコ走らされるこっちのほうがやんなるよ」
と車がつぶやく。やがて「彼」は、広い空をどこまでも飛べる飛行機がうらやましくなって……。

*機械が擬人化され今回の主役となっているが、人間たちには何が起きているのか全く見えていないらしく、ちょっと不思議な雰囲気の仕上がりになっている。どういう状況なのか劇中には一切説明が無いのだけれど、それによって逆に効果があがっているようだ。あれやこれやの辻褄合わせをあえて大胆に省略する吾妻マンガの手法が、良く発揮されている好例ではないだろうか。



失われた大冒険の巻

0041

(リュウ Vol.16 1982年3月号)

"Usinawareta dai-bohken (meaning : The lost great adventure)"

A schoolboy is bored his routine daily life. He longs for something stimulation, such as a danger, adventure, fresh surprise and passionate love with a beautiful woman.

 ひとりの男子学生が「きまりきった日常 変化のない生活」にたいくつしている。
「なにか刺激がほしい 命がちぢむような危険と冒険 新しい驚き 美女との燃える恋が…」
 そんな彼の前へバニーが現れるが。

*正統少年マンガらしい結末(?)になっているのだが、こういった点で主人公バニーは、フィクションの送り手である作者の「自画像」にもなっているように僕は感じるのだけれど、どうだろう……?



ぶらっとバニー番外編 美少女童話集

0042

(アニメージュ増刊 アップル・パイ 美少女まんが大全集 1982年3月30日号)

"Bratto Bunny bangai-hen bishohjyo dohwashuh (meaning : Bratto Bunny extra episodes : beautiful girls fairy tales)"

* Bunny plays no active part in this omnibus.

第一話 セーラーブルーの人魚姫
第2話 セーラー服と7人の○○○○
第3話 黒いブルマー赤いクツ

*掌編オムニバス形式の作品。「第一話」のみ漢数字になっているのは単純ミスか。作者の頭から引き出された妄想、という設定でお話が進み、バニーたちは物語の展開に直接参与してはいない。登場する少女たちはおおむね3,5頭身で描かれており、シリーズ本編よりも可愛らしさを前面に出した絵柄に調節されているようだ。
 1980年代初頭にアマチュアの間で流行し始め、いつの間にかジャンルとして定着したらしい「美少女まんが」(注:「少女まんが」ではありません)だが、作者はその執筆依頼の電話に、
「最近この手の注文しかこないんだから もう」
と嘆き、編集部の要請でバニーたちが出動、話が始まるという出だし(画像は2ページ目と3ページ目の見開き)。

0043

 3ページ目下段に、
「早坂くん 売れてる?」
という台詞があるのは、しばしば同じ雑誌で作品発表していた早坂未紀への呼びかけらしい。本作が2度目に収録された『美少女まんがベスト集成』(画像、徳間書店1982年11月10日初版)ではその早坂未紀がカバーで絵筆をとっており、また執筆もしている。



野球シーズン到来だの巻

0044

(リュウ Vol.17 1982年5月号)

"Yakyuh-season tohrai-da (meaning : A baseball season has come)"

There is a pitcher who can't become a gainer. He seems to have many other thoughts in his mind.

 職場のレクリエーションか、野球をしているバニーたち。が、そこへ仕事が飛び込んできた。出動してみたら相手は何とプロ野球のピッチャー。彼は雑念が多いのか、さっぱり芽が出ず悩んでいるらしい。「魔球を投げる人になりたい」というのがその願いだったが。



まよえる宇宙人の巻

0045

(リュウ Vol.18 1982年7月号)

"Mayoeru uchuhjin (meaning : The lost alien)"

A spaceship looks like a meteorite makes a soft landing on the earth. A very small creature gets off the ship, but any human being becomes aware of that. Bunny and all his fellow workers are free as there is no need to go into action. But only Black wonders this peace ...

 地球へ、隕石とよく似た宇宙船らしきものが軟着陸した。その中から現れたのはちっこい生物1匹だけだったので、人類はまるで異変に気付く事さえも無い。その頃、妄想管理局では全員がヒマをもてあましていた。人間たちが自分の生活に満足しているのだろう、と考えられた。しかしブラックちゃんはこれが気になる。
「人間てのは すべての欲望をかなえられたとしても 満足することを知らない動物なのよ!」
 これにはきっとなにか裏があると判断し、彼女は渋るバニーをつれて調査に出動するが……。

*今回は殆どブラックちゃんが主役で、きりりとしたカッコいい活躍を見せている。



最後の妄想の巻

0046

(リュウ Vol.19 1982年9月号)

"Saigo no mohsoh (meaning : The last delusion)"

There is a hard-and-fast rule in Bunny's job. It is banned them to realize any delusion for their own desire. But one day ...

 貧乏でモテない学生のところへやってきたバニーは、彼の妄想を出してやる。さて仕事も済んだので、と去ろうとしたら、学生はその妄想でバニーを歓待してくれるのだった。
「しかしよく考えたら妄想管理関係の方に妄想だしても……自分でいくらでもだせるんですからね」
と疑問を感じた学生に、バニーは自分たちの「規約」を説明する。それは、
「おのれの欲望のため 妄想をだすことを禁ず」
というものだった。考えてみれば、むごい話。だんだん落ち込んできたバニーは……。

*これが最終回。
(警告:以下、結末に言及している部分があります)
 物語の最後に扱われるのは他でもない、バニー自身の妄想になっている。出してみればそれは、何ともつましくささやかなものでしかなかったのだが、それでもバニーにとっては禁じられている事だった。一度踏み外すと感覚は徐々に鈍ってゆき、違反は恒常的になってくる。そして、現実より妄想のほうが甘美であると経験により知ってしまい、ますます違反はやめられなくなり、とうとう破滅が彼を出迎える時が来る。
 しかし……。
 これが物語として「ハッピーエンド」の正反対になっているのかというと、いささか良く分からない。
 主人公バニーは妄想を扱う特殊能力を、どうやら取り上げられてしまったようである。が、彼は、人につくすばかりで自分の為には力を使えないという桎梏(しっこく)も、同時に失う。言い換えればこれは、自由と解放を得たと言う事にもなるだろう。
 作者は、どんなものでも自分の頭から引き出して、原稿にそれを定着し実体化するという特殊能力の持ち主だ。しかし殆ど全ては読者や出版社の為であって、自分の望むものを自分の為に引き出し、形を与える自由があるわけではない。このシリーズの紹介作文の最初に書き散らしたとおり、このへん、当シリーズの主人公バニーの姿には、作者のそれがかぶって見えるのだけれど、どうであろうか。
 この物語は少女(ブラックちゃん)がウサギの後を追ってゆく場面で終わっている。彼女の向かう森が『不思議の国のアリス』の世界に通じているとしたら、この先にはまた、新たな幻想が待っているのだろう。
(単行本『ぶらっとバニー』MAG COMICS版の第2巻は、ここで終わっている。)



はじめに

0047a0048a

"Gansaku Hideo Hackenden (meaning : Hideo's fake of Eight-dogs-saga)" is an adaptation of Bakin Takizawa's classical romance. The original is a story of poetic justice and destiny. But it seems that Hideo Azuma tried to destroy them.

 『贋作ひでお八犬伝』を標題とする単行本は、「奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集=②マジカル・ミステリー伝奇ギャグ 贋作ひでお八犬伝」(1980年8月25日初版)が最初のものであるらしく、この書籍はのちにマガジンハウスから復刻再販がなされている(1998年9月24日第1刷)。他にも「プレイコミック・シリーズ ひでおランド 2 贋作ひでお八犬伝」があるのだが、ここでは前者の方をテキストとして用い、紹介させて戴こうと思う。その収録内容は以下のとおり。

●贋作ひでお八犬伝
●どろろん忍者
●不気味が走る
●こうして私はキャラクターした

0051a0052a

 まずはこれらのうちから『贋作ひでお八犬伝』について少し。
 ご存知の通り、『八犬伝(南総里見八犬伝)』は滝沢馬琴による古典大作で、非常に有名な伝奇物語だ。とはいえ、その原作を読破した経験を持つ人はけだし多くはないのではなかろうか(実は僕も読んだ事がありません……)。なにしろとてつもなく長大で、本10冊にはなるのが普通だろうから。もし「その題名を知らぬ者はないにしても、読んだことのある者はあまりいない」としたら、それを商業誌でマンガ化して読者からの反応を期待するのは、あまり勝ち目のないバクチになるのではという不安が起きる。なぜこの企画が実現したのかは不明だが、1つの遠因として、NHKが放送した人形劇『新八犬伝』(1973~1975年)の存在が考えられるのではないかと思う。僕の乏しい経験と記憶をもとに述べて恐縮なのだけれど、この番組は辻村ジュサブローによる独特な人形が視聴者に強い印象を与えたこと等もあって話題になり、放送当時は子供たちだけでなくハイティーンや大人たちまで引きつけて、かなりヒットしたようだ。こうして既に社会へその下地が固められていただろう点に編集者が着目し、作者へパロディ作品をリクエストしてきたのかも知れない(?)。
 原作は勧善懲悪の冒険物語らしいのだけれど、そこは吾妻マンガ、とんでもない方向への翻案がいろいろなされている。そのきわめつけは、自由と可能性の為に(?)、原作では物語の根幹を成しているであろう「運命」というものを否定するという大技が使われている事であろうか。
 原作との細かい比較は今後、回をおって少しずつ記させて戴きたい。それらは『贋作ひでお八犬伝』を読むうえで必ずしも不可欠な知識ではないかも知れないのだけれど、調べてみたらこれがなかなか面白いのだ。作者のアイディアがどのように発展しているかが鮮明になり、いわば楽屋裏をのぞくような楽しさがある。既に『贋作ひでお八犬伝』を読んだことのあるかたにとっても、新たな発見があるのではないかと僕は思う。



第一話 玉、砕ける

0053

"Dai ichi-wa Tama, kudakeru (meaning : 1st episode / The crystal ball, breaks)"

Once upon a time there was the lord of the Satomis' castle. He has a hard fight against a neighboring land. But Yatsufusa the magic dog helps him ...

(月刊プレイコミック 1979年8月号)

 凶作に苦しむ滝田城の殿様・里見義実(さとみよしざね)は、家臣の金碗孝徳(かなまりたかのり)に命じ、隣の平館(ひらだて)城へ米をかっぱらいに行かせる。しかしこれがバレて失敗、いくさが始まった。敗北寸前に追い込まれた里見義実は、犬の八房(やつふさ)に、敵の城主の首を取って来いと命じる。そうしたらなんと、犬は本当にこれをやってのけて……。

*のっけからさっそく、いろいろな翻案がなされているようだ。原作だと里見義実はこの出来事以前に、山下柵左衞門定包(やましたさくざえもんさだかね)と戦い、その妻だった玉梓(たまずさ)を殺している。その玉梓の怨念が物語のきっかけになり全体を貫いているらしいのに、ここでは全くカットされ、玉梓の名前すら全然出てこない。
 (別に関係は無いのかも知れないが、冒頭に「無」を置く構成は、映画『真夜中のカーボーイ』(吾妻ひでおはこの映画に感動したという思い出を、何度かインタビュー等で語っている)にも見られるようだ。僕の記憶が正しければこの映画は、巨大な、しかし何も描かれておらず真っ白なビルボード(広告看板)の手前で、ちっぽけな木馬に乗って遊ぶ独りぼっちの少年の姿で始まる。この奇異な光景は、主人公の故郷が貧しい土地である(=広告主が見つからない)事を示すと同時に、これから主人公が旅立とうとしている(=普通カウボーイは馬に乗って旅をすると思う)目的地の都会が、何にも無い虚しい場所(=真っ白)だ、という暗示になっているかのようなのだ。もしかすると吾妻ひでおは"英雄譚"というものに「虚無」を見出し、婉曲表現としてこういう構成を選んだのだろうか……? ともあれ、この事については後日、最終話のところでまたお話しようと思う)。
 また里見義実はヒトラーのような顔をしており、家紋までが逆まんじ(ハーケンクロイツ)で、クレージーな独裁者ぶりを見せているのだが、原作だと逆に、敵である平館城の殿様・安西景連(あんざいかげつら)のほうが意地悪な役どころであるらしい。
 不思議な犬・八房の飼い主である伏姫(ふせひめ)は、その死後に神となって八犬士に加護を与えるはずなのに、アブノーマルなわがまま娘といった人物像になった。
 そして家来の金碗孝徳にいたっては、本当ならば事件の後に出家して「丶大法師(ちゅだいほうし)」と名乗り、いずこかへ散った八つの玉を捜す旅に出るはずなのに、この第一話で役目を終えてしまい、もはや登場しない。
 それではいったい、誰がこの物語を導いてゆくのか? というと、これが犬の八房の役目(!)になっている。ここでの八房は牛みたいに巨大で、おまけに人間語を喋る。なぜそのような"超犬"なのか説明は一切無い。原作だと玉梓の呪いで八房が不思議な能力を持つようになるみたいなのだけれど、その玉梓がそもそも登場しないのだから当然と言うべきか……。
 原作を知っている読者はこれを読んで、あぜんとするばかりだったのではなかろうか?



第二話 運命の糸

0054

(月刊プレイコミック 1979年9月号)

"Dai ni-wa Unmei no ito (meaning : 2nd episode / Strings of destiny)"

Sino Inuzuka is the girl who has a mysterious crystal ball, one of Eight-dogs-swordsmen. But her father rapes Sino before he die, as if he is in utter desperation. He entrusts Murasamemaru the excellent sword to Shino. Presently Yatsufusa the magic dog appears ...

 死に瀕する父の許へと、1人の娘が走る。彼女の名は犬塚信乃、不思議な水晶玉を持つ、八犬士のひとりだった。ところがその父は、死を前にしてのヤケクソか悪巧みを仕掛け、こともあろうに信乃は父に身体を開かれ女にされてしまう。名刀・村雨丸を託された信乃の前に、犬の八房があらわれたけれど……。

*道徳もへったくれも無い展開で原作はもう完全にぶっ壊されているのだが、とにかく比較をしてみよう。
 まず、ここで登場する犬塚信乃は、原作では男であって、女として育てられたという経歴の持ち主であるに過ぎない。これをひねって、本物の女性であるという翻案がなされたらしいが、これは彼女に不幸の連続を運命づけるものとなっている……。
 2人目の犬士・犬川荘助が後半で登場するのだけれど、「義」の玉であるはずが「狂」になっていたり、もはや原作もなんのその……。
 登場人物はごく数名に絞り、大幅なカットを行なって物語を分かりやすくしてあるようだ。
 冒頭、8匹の犬がラインダンスを踊っている(?)のは、「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは○○堂」というTVのCMパロディか。



第三話 化け猫悶絶

0055

(月刊プレイコミック 1979年10月号)

"Dai san-wa Bake-neko monzetsu (meaning : 3rd episode / A monster cat faints in agony)"

Sino, Kyoh-san and Yatsufusa travel together. They hunger and try to win a prize of extermination of a monster cat. After all, they are defeated and captured ...

 旅を行く信乃、狂さん(犬川荘助)、そして八房。空腹に悩む彼らは「化け猫退治 金一千両」というカンバンを見つけ、それに挑む決意をする。が、あっさり敗れ、一同は囚われの身となってしまった。そこへしかし、化け猫に立ち向かう者たちが次々とやって来て……。

*「へも子」という少女は、男であるが女として育てられ、父の仇を捜す犬阪毛野胤智(いぬさかけのたねとも)がモデルではないかと思われる。鎖鎌の使い手(のちに無々ノ介という名前が分かる)は、化け猫が父の仇である犬村大角礼儀(いぬむらだいかくまさのり)か。河童みたいな赤ちゃんは、原作でも八犬士のなかでただ1人子供の、犬江親兵衛仁(いぬえしんべえまさし)であるらしい?
 今回までで犬士たちは5名までが出会い、揃うのだが、原作どおりの文字の玉を持つのは信乃だけというありさま……。



第四話 玉、集まる

0056

(月刊プレイコミック 1979年11月号)

"Dai yon-wa Tama, atsumaru (meaning : 4th episode / Crystal balls, get together)"

Enemies attack Sino and her party for Murasamemaru the excellent sword. But one swordsman of them has a crystal ball ...

 いろいろ問題はあるものの、ともあれ信乃たち一同は生活を共にし、ささやかな平和を得る。だが信乃の持つ名刀・村雨丸を欲して、将軍が刺客たちを差し向けてきた。その中にはなんと、水晶玉を持つ剣豪が1人いるではないか!? 信乃は涙ながらに、将軍の手下などやめて仲間に加わり助け合う事を願い求め……。

*今回登場する剣士は、火炎を操るという特性などからして犬山道節忠與(いぬやまどうせつただとも)がモデルではないかと思われる(ただし、彼は1人で3つの玉を持っているのだが)。



第五話 玉、消えちゃう

0057

(月刊プレイコミック 1979年12月号)

"Dai go-wa Tama, kiechau (meaning : 5th episode / Crystal balls, vanish)"

All Eights-dog-swordsmen gather now. Then Kyoh-san denies their destiny. The party is set free, but ...

 さて、八つの玉はそろったのだが、なにしろ玉の文字がバラバラなのでどうにも意味をなしていない。とにかく里見家のために……と八房が皆を率いようとしたら、狂さん(犬川荘助)が、その運命にあらがう。かくて信乃たちは自由を手に入れたけれど……?

*玉は八つ、しかしメンバーは六人、それだけでも原作は既に壊されているのに、加えて今度は里見家とのつながりさえも断つという、どえらい展開になる。犬士のひとりである犬飼現八(いぬかいげんぱち)が足利成氏(あしかがなりうじ)の家来というのは原作どおりらしい。物語は奇想天外な方向へ転がってゆく……。



第六話 玉、目茶苦茶!

0058

(月刊プレイコミック 1980年1月号)

"Dai roku-wa Tama, mechya-kuchya ! (meaning : 6th episode / The crystal ball, in a mess !)"

Shino and her party become a supernatural power bandit. They are full of confidence to defeat any opponent. But the job is difficult against their expectations ...

 結局のところ「全国でもめずらしい超能力者山賊集団」と成り果てた信乃たち。戦うならばおよそどんな相手だろうと恐れるに足らぬ、と自信を持ってこれに取り掛かる。が、どうしてどうして、不慣れな山賊稼業は意外とむずかしく……。

*原作でも八犬士たちは、正しい事ばかり行なっているわけではなく、過ちを犯して徳を下げているくだりはあるらしいのだけれど、それにしても……?



第七話 玉、阿素湖る!

0059

(月刊プレイコミック 1980年2月号)

"Dai nana-wa Tama, Asoko-ru ! (meaning : 7th episode / The crystal ball, is pushed aside by Asoko)"

Asoko the heroine of "Yakekuso tenshi" appears all of a sudden. She pushes Shino and her party aside, becomes forcibly a heroine of this world ...

 いきなり『やけくそ天使』の主人公・阿素湖素子が出現。あぜんとする信乃たちは、彼女によってスミのほうへ追いやられてしまった。そこへ作者の率いる「阿素湖討伐隊」が登場、戦うことになり……。

*いったい八犬伝はどうなってしまうのか、と信乃たちも心配しだす状況となる。『やけくそ天使』の最終回「終りだけど終わんない」はプレイコミック 1980年1月10日号に掲載されているので、この"事件"はそのほぼ1ヵ月後に起きたようだ。今回1コマ登場する『赤毛のアン』は、TVアニメ版(1979年)のオープニングが元ネタらしい。



第八話 おもしろ怪物現る!

0060

(月刊プレイコミック 1980年3月号)

"Dai hachi-wa Omoshiro-kaibutsu arawaru ! (meaning : 8th episode / Interesting-monster emerges)"

Shino is abducted by small goblins. They take her to a strange monster. He says : "Tell me any story. If it is interesting, I'll set you free."

「贋作八犬伝 第二部 百鬼夜行篇」。 
 旅を続ける信乃たちは野宿をするのだが、奇妙な小鬼たちによって、信乃が連れ去られてしまう。彼女の前に現れたのは風変わりな「怪物」で、「何か話をしてくれ おもしろかったら助けてやろう」と言う。信乃はなんとかして、面白い話をしようとするが。

*トビラなどからしてもこれは『千一夜物語』のパロディであるらしい。だが1652回は何かしらの物語を試みたようなので、その記録だけは1001を651上回っており……って、八犬伝はどうなったの!?!?!?
 物語を要求するという、ある意味で「読者」みたいな珍生物は他に、『銀河放浪』シリーズの「我が友デビル」にも登場している。



第九話 けだるい旅立ち

0061

(月刊プレイコミック 1980年4月号)

"Dai kyue-wa Kedarui tabidachi (meaning : 9th episode / The listless departure)"

Shino and her party go into the present age unexpectedly. Shino tries to accomplish her mission ...

 ふと気がつくと、信乃たちのバックがおかしい。突然作者が登場し、
「贋作八犬伝 堂々第三部 現代篇」
となる。
 おびえて困惑する、へも子。信乃はけなげに使命を果たそうとして……。

*夜空に「鉄人28号」らしきものが飛んでいるが、この年(1980)の秋にはTVアニメでのリメイクが実現したという史実があり、それに引っかけているのだろうか? 登場する司会者はどうも黒柳徹子がモデルらしい。



最終話 玉、終(しゅう)る!

0062

(月刊プレイコミック 1980年5月号)

"Saishuewa Tama, shewru ! (meaning : The last episode / The crystal ball, ends !)"

When Shino and her party come back, they find there is nothing they have to do, as original Eight-dogs-swordsmen had played an active part in a battle. Shino is at a loss.

「関八州をゆるがせた里見家VS連合軍(古河足利家・扇谷家・山内家)の戦いは 本家・八犬士の活躍で里見家大勝利のうちにめでたく終わった」
 そんなわけで、帰ってきた信乃たちには、なんにもすることがなかった。
「結局わたしたちって………………」
信乃は途方に暮れるのだが?

*(警告:以下、結末に言及している部分があります)
 かくてこのシリーズの連載は10回で終了し、1年間に満たなかったようである。
 パロディというのは難しい。原作を知っている読者にとっては「思い出を壊される」ような苦痛をもたらすものになるおそれがありそうだ。いっぽう原作を知らぬ読者にとっては、どこが原作と異なり、作者の描かんとした力点なのかが分からないうえ、馴染みの無い物語ゆえのとっつきにくさも生じよう。こういった複数のデメリットから推察するに、もしかすると編集部がいわば「打ち切り」を決断して、無理がある形での連載終了となったのかも知れない。
 劇中にたびたび登場している作者自画像の言動とかをもし「真に受ける」とすれば、これといったシリーズ構成を事前に設計する事もせずパロディに着手し、出たとこ勝負の積み重ねをするうちにとうとう行き詰まってしまい、挙句の果てには御馴染み「北海道ネタ」の冗談を結末にとってつけた……という、非常に悪い印象が残る。
 成り行き任せの出鱈目によって失敗したのが本作だったのだろうか。なるほど、ひょっとしたら本当にそうなのかも知れない。とにかくシリーズの全体をざっとふりかえってみよう(行頭の数字は話数を示す)。

1……"超犬"八房の登場。八つの玉。
2……信乃の登場。「運命」が動き出す。最初の仲間(?)。
3……最初の強敵。「運命」の仲間達がいっきに増える。
4……異常な連中ばかり、それでも「運命」に従う信乃。
5……玉がそろう。しかし「運命」を否定。原作の逆襲。
6……原作の否定。「正義」の否定。
7……キャラクター(の自由)至上主義。その難しさ。
8……物語か見世物(性描写)を要求する理不尽な「読者」。
9……何が求められているのか分からない、現代の混沌。
10……自分の存在意義を見失う。「運命」の与え主と戦う決意。

 第一話で見たとおり、この『贋作ひでお八犬伝』には、物語の根本のきっかけであろうキャラクター「玉梓(たまずさ)」が全く出演しない。しかし最終話で意外な元凶がついに正体を現す。言い換えれば以下のような骨子になるかと思う。

第一話……元凶の「玉梓(たまずさ)」は(わざと)登場しない。
最終話……宇宙人(玉梓に該当する者)が素性を明かす。

 すなわち最終話で「本当の敵」が出現するこの結末は、第一話にちゃんと「伏線」があった、という事になる。
 伏線というのは普通、最後のどんでん返しで種明かしされる真実が、唐突で不自然なものにならぬよう調節する細工であって、そのためには、こっそりと事前にヒントを埋め込み、読者に予め真実をちょっとだけ「売っておく」方法がとられると思う。
 にもかかわらずこの『贋作ひでお八犬伝』ではその正反対、「あえて何も書かない」事によって「なぜ描写が欠けているのだ?」という疑問を読者に懐かせておき、最後になって、あっと言わせるという手が用いられているようだ。
 このやり方は大いに興味深い。しかし賛否両論ありそうに感ぜられる。わざと何も描かない事で読者に謎をかけるという手法は、読者が原作について知識を持っていなかった場合には通じないだろう。大部分の読者は第一話の"奇妙な空白"に気付く事さえも無く、あるいは単にカットされただけと思い、気に留めなかったのではなかろうか? 『不条理日記』などは読者の側に知識が無いと読み解けない、という作品になっていて、そこが評価されているらしいし、そのへんからするとこうした手法の是非をどう考えたら良いのか、僕にはよく分からないのだが……。

 ともあれ最終話から第一話へと逆方向へさかのぼって見て行くと、この作品のシリーズ構成はむしろ理解し易いように感じる。
 本物の八犬士が活躍して、信乃たちの出る幕が無い(最終話)というのは、この物語にとって「こうであらねばならない」展開だったろう。信乃たちの存在意義は(原作とは異なり)里見家を救う英雄となる事ではなくて、自分たちの運命と戦い解放を獲得せんとする事にあったのであれば。そして、そういった、自分の存在意義の模索は、なにも昔話だけのネタではなく現代にも普遍性を持つ問題であろうから、信乃たちは現代へ行き、自分達と同じ立場の人々と出会う必要があったろう(第九話)。そして、そういう問題を扱おうとするのであれば、読者の要求があまり偏っていては先へ進めないから、ちょっと風刺をかましておく必要があるかも知れない(第八話)。キャラクターの自由(第七話)、原作と正義の否定(第六話)、運命の否定と拒絶(第五話)、「運命」からすれば異常なニセモノの連中だろうとそこに自由や幸福はあること(第四話)も、問題を絞り込んでゆき結論に至るためには、必要不可欠な論述だったろうと思える。
 こういったシリーズ構成が、事前に設計してありながら「でまかせ」を装って描かれてきたのか、それとも作者自身が無意識のうちに直観によって組んでいたのかは知る由も無い。ともあれ、そうして論述が積み上げられた後に、最終話が描かれている。

 「里見家の為の道徳的な英雄になるのが自分たちの使命ではないとすれば、一体何の存在意義があるのだろうか? 途方に暮れる信乃は八房に問いかける。しかし八房は「運命」の平穏無事な展開を見守り推し進めるのがその役目なので(じっさい彼は、いかにも日本的な予定調和ドラマの象徴のような「水戸黄門」に仕えている)、その答えを知らない。平凡な物語を望まぬ作者は、一般に大団円とみなされるであろう平和を否定し、主人公の信乃たちに最後の試練を投げかける。かくて信乃たちは「運命」の与え主と戦うために"天へ"飛立つ。自力で生きようという決意のゆえか、彼女は名刀・村雨丸を持ってはゆかなかった。運命の正常な展開を見守りつかさどる八房は、運命を破壊して自由を勝ち取ろうとする信乃たちと別れる他は無く、主人を失い打ち捨てられた村雨丸を無言のうちにじっと見つめる……。」

 信乃たちは「運命」との戦いに勝てるのだろうか? その予測の手がかりとなるものは特に無い。はっきりしているのは彼女たちが、自分の意思と願いにこそ従って生きてゆこうと決意し、選択したということだけだ。「描かない」謎で始まったこの物語は、再び「描かない」謎を読者にゆだねて、作者の言葉で終わっている。
「作品の評価 それは歴史が答えてくれるでしょう」。



秘術・葉っぱちょんちょん

0063

(漫画ギャング 1979年10月16日号)

"Hijyutsu Happa-chon-chon (meaning : A secret art / A leaf poke)"

A schoolgirl sits on a bench and reads a book at a park. There are many fallen leaves on the ground. Then a ninjya comes and sits beside her in Japanese style. But he has an expressionless face without saying a word. At last, the girl inquires him : "Well ... excuse me ... who are you ?"
"I am a ninja." : he replies ...

* "Ninjya" is a Japanese secret agent in feudal times.

 公園だろう、落ち葉の舞い散る中、1人の女学生がベンチに座り本を読んでいる。と、そこへ忍者が歩いてきて、彼女の隣に正座。忍者はワケの分からない表情のまま無言でいる。とうとう女学生は意を決したずねる、
「あの……失礼ですが あなたどういう人ですか?」
「忍者です」
と彼は答えて……。

*ごく普通の人のところへおよそ普通ではないヘンな人物が現れ、ヘンな物語が始まっている。別に主人公が間抜けな行動をするとか、そういった形で笑わせる事はしないのが、この時期の吾妻ギャグの特徴に思われる。不思議で奇妙な味わい、というのは吾妻マンガにおいては『みだれモコ』(1976年)あたりから見られるようなのだが、こうした種類のギャグはもともと、前衛マンガ雑誌「ガロ」などで登場していたらしい(?)。
 私事で恐縮なのだけれど、たしか手塚治虫『マンガの描き方』(1977年 光文社)を読んだ時、つげ義春『ねじ式』(1968年)の一場面を例にして「不条理ギャグ」と分類した説明があるのに驚き、「あれってギャグだったの!?」と考え込んだ思い出がある(ついでだけれど、これからすると「不条理ギャグ」という様式を最初に命名したのは手塚治虫だったのかも知れない)。
 ギャグというものを評価判断するのは本当に難しい……。



くノ一るみ子ちゃん

0064

(漫画ギャング 1979年11月2日号)

"Kunoichi Rumiko-chan (meaning : Rumiko the ninja-woman)"

Something gets closer to a doghouse. In fact, it was a ninja who was digging in the earth. He is found by a ninja-woman, and fights against her ...

 犬小屋へ何者かが地中を進んで接近している。その正体は忍者だった。が、しかし家の人も負けてはいない、ボディガードとして女忍者を雇っていたのだ! かくて忍者VS忍者の対決が始まり……。

*手裏剣に「さんぺいさん」とあるのは忍者マンガで有名な白土三平のことか(前衛マンガ雑誌『ガロ』は、その作品『カムイ伝』の連載および発表のため1964年に創刊されたのが事の始まりであるという)。最後のコマは、つげ義春『紅い花』(1967年)のパロディらしい。
 最初の単行本『贋作ひでお八犬伝』(奇想天外コミックス)の表紙には、信乃たち6名に加え『どろろん忍者』『不気味が走る』の主人公たちが紛れ込むかのように描かれ、全部で8名となっている。ひょっとするとアイディアとしては、彼ら2名も八犬士として出演する予定だったのだろうか……???



白いくつ下が好き

0065

(漫画ギャング 1979年11月16日号)

"Shiroi kutsusita ga suki (meaning : I like white socks)"

The ninja gives schoolgirls gymnastics lesson at a girls' school. He performs as an example, but ...

 なぜか女子高で、忍者が臨時に体育を教えている。今日はマット運動をやるらしいけれど、さっそく彼が見せる模範演技は……。

*もしかすると安部公房の戯曲『緑色のストッキング』のパロディなのかも知れないが、よく分からない。



しんしんしんしのしゃこーじょー

0066

(漫画ギャング 1979年12月2日号)

"Shin-shin-shinsi no shakohjyoh (meaning : A social place for ge-ge-gentlemen)"

A man gets angry that he was overcharged at a pleasure resort. He finds a miserable cabaret, gets in there as he thought it might be a little-known hot spot.

「ババアしかいないくせに ぼりやがって 最近ろくな店がない」
と腹を立てて盛り場を後にした男は、ひどくうらぶれた様子の店を見つけ、
「こーゆー辺境のキャバレーが意外と穴!!」
と判断。「きゃばれー しりうす」というその店へ入ってみるが。

*ライバル同士だった主人公と女忍者るみ子は、この回から行動を共にしているようだ。



ですこででいと

0067

(漫画ギャング 1979年12月16日号)

"Desko de deito (meaning : Have a date at a disco)"

Ninjya treats Rumiko to a cup of coffee.
"I wanted to have a date with you." : he says.
It touches her heartstrings. So that ninja is able to have a date with Rumiko, but ...

 忍者が、るみ子にコーヒーをおごっている。
「デートしたかった るみ子ちゃんと」
 そう語る彼の言葉に、るみ子の心も少し動き、二人のデートが実現したのは良いけれど……?

*この頃ディスコの流行があったようで、劇中に時代が反映されているのがうかがえる。



たそがれは忍者の時間

0068

(漫画ギャング 1980年1月2日号)

"Tasogare wa ninja no jikan (meaning : Twilight is the time for ninja)"

It is snowing. A girl meets with ninja. To tell the truth, she sells herself ...

 雪のちらつく中、1人の娘が忍者と出会う。なんと彼女は売春をしているのだった。
「こんな夜は 二人であたためあうのが一番よ 一万円」
という彼女に……。



とってもよくとぶ忍者ダコ

0069

(漫画ギャング 1980年1月16日号)

"Tottemo yoku tobu ninja dako (meaning : Fly well ninja kite)"

Rumiko sells a kite on the street. But she sells ninja himself to a little girl. Boys say the girl was deceived, but ...

 お正月。女忍者るみ子が路上で「忍者ダコ 100円」という看板を出し、商売している。通りがかった少女がこれを買ったら、売り物はなんと「忍者」その人だった。かくて少女は男の子たちから、
「バーカー そんなもの とぶもんか」
「だまされた だまされた」
と言われるのだけれど……。

*少女の名前は「るみちゃん」であるらしく、なぜか女忍者(るみ子)と名前が似ている……?



日本全国忍者音頭

0070

(漫画ギャング 1980年2月2日号)

"Nippon-zenkoku-ninja-ondo (meaning : All over Japan ninja song)"

"Why, look it, ninja. There is no frame."
Rumiko is surprised by that this comic has no frame. Before long, everything is in disorder ...

「あら見て忍者 わくがないわよ」
と、るみ子は驚く。しかり、今回は「ワク線」が全く引かれていないのだ。そのせいで、だんだんややこしい事になり……。

*実験的な回。こうした前衛的な実験に適するであろう点が、吾妻マンガにおいて掌編の作品が多い(作者が掌編という形式を好んでいるように感ぜられる)理由のひとつなのだろうか?



どろろん秘術(全)

0071

(漫画ギャング 1980年2月16日号)

"Dororon-hijyutsu (zen) (meaning : Dororon secret arts (The whole))"

Various ninja arts are introduced practicably ... ???

「そく実用………忍者の秘術はウエスト・コーストのクロスオーバーだ……君もこんじょでチャレンジしてみよう」
という良く分からない前書きで、いろいろな術の紹介がなされてゆくが???

*昭和40年ころかなり流行した忍者マンガにおいて、白土三平の作品は、術の図解や説明が付されているという特色を持ちとりわけ異彩を放っていたようだ。今回はそのへんにひっかけたパロディか? 冒頭のナレーションは、80年代初頭にもてはやされたカタカナ言葉をいろいろ混ぜ込んでいるようである。



忍者うちあけ話

0072

(漫画ギャング 1980年3月2日号)

"Ninja uchiake-banashi (meaning : Ninja's confidential talk)"

There is a postcard for ninja. The sender is ...

 どろろん忍者あてに、はがきが届いた(?)。その差出人は……。

*宛先の「東京都練馬区西大泉2036」というのは、この当時の作者の自宅住所であったようだ。
『美代子阿佐ヶ谷気分』というのは安部慎一によるマンガの題名。また文面によればこの時、吾妻ひでお30才。
(注:以下は単なる思い出です)
 この作品の発表よりも前の事ですが、『別冊OUT 1978年夏季号 おはがきマガジン』というのがありまして、吾妻先生も絵葉書のイラストを描いておられました。しかしここで問題なのは絵ではなくてその裏側。普通なら「ここに切手を貼って下さい」とか書くべき場所へ吾妻先生は小さな字で、以下のような文言を書き込んでおられたのです。
「切手の表にものりをぬり、洗ってもう一度使うやつがいるが、するなよ」
これを発見した沖さんが苦笑しつつ、喫茶店カトレアで先生に言われました、
「マズイんじゃないですかねえ?」
すると吾妻先生は苦笑されつつ、
「(修正とかもせずにそのまま)載せちゃう編集部が悪いんだ」
とか仰っていたようです。いや、同席させて戴いていた僕も、黙って苦笑してたんですが……う~ん?



忍者の正しい青春

0073

(漫画ギャング 1980年3月16日号)

"Ninja no tadashii seishun (meaning : Ninja's right youth)"

"Welcome home."
When Rumiko gets home, Ninja greets her. He does strange things, though Rumiko is very tired. So that she gets angry ...

 くノ一るみ子が帰宅するや、
「おかえり」
と忍者が出迎える。しかし彼はややこしい事ばかりするので、とうとうケンカ(?)になってしまい……。

*わざと貧乏くさく陰気な感じで描かれている背景は、前衛マンガ雑誌『ガロ』あたりで発表された作品のパロディか。ここでも台詞に出てくる「阿佐ヶ谷」とは、東京都杉並区に実在する地名およびJR駅名。伝説的なマンガ家である永島慎二が住み、その作品にも舞台として多く登場したらしい阿佐ヶ谷は、マニアの間で独特の意味を持つ町になっているらしい(?)。



ぴかぴか忍者

0074

(漫画ギャング 1980年4月2日号)

"Pika-pika ninja (meaning : Ninja in mint condition)"

"Without schooling, to be looked down, so Ninja go to school."
Ninja says so carring a schoolchild's satchel on his back. Rumiko is surprised by it : "Didn't ya graduate from an elementary school ?"

「学歴ない バカにされる 忍者 学校行く」
 ランドセルを背負った彼がそう言うのを聞いて、
「おまえ小学校も出てないの?」
と、女忍者るみ子は驚くが……。

*当時TVのCMで有名になった、「ピッカピカの一年生」という言葉にひっかけているらしい? 小学館の学習雑誌のCMだったこれは、1977年から1994年まで、17年間にわたって続いたシリーズだったようである。 



よくわかる忍者のるーつ

0075

(漫画ギャング 1980年4月16日号)

"Yoku-wakaru ninja no root (meaning : Ninja's root that is easy to understand)"

Ninja sells a scroll of ninja on the street. A young couple comes along, a young man takes it in his hands ...

 「忍者巻物 一〇〇円」という札を出し、路上で忍者が商売をしている。通りかかった若い男女がこれを見つけ、
「あらねえ おもしろいもの売ってるわ 買いましょうよ ねーッ!」
とせがまれ、男がその巻物を手に取ると……?



どろろん流マンガのかきかた

0076

(漫画ギャング 1980年5月2日号)

"Dororon-ryuh manga no kakikata (meaning : The Dororon school of manga painting)"

Somehow ninja teaches how to paint comic art ...

*石森章太郎の著作である『マンガ家入門』のパロディらしい。ただし、最初の版(復刻再版のそれではなく)を所持していないと、元ネタが分かりにくいようだ。
 掲載誌だった双葉社『漫画ギャング』は休刊してしまったようで、これがシリーズ最終回となっている。



不気味が走る

0077

(プレイコミックベスト 1980年1月20日号)

"Bukimi ga hashiru (meaning : Weird runs)"

A samurai (Japanese warrior) without a lord to serve, hits against a pickpocket woman on the road, helps her by chance. The samurai seems to make a living as a writer of comic book ...

 すっかり月代(さかやき)の伸びた侍(髪がこうなのだから浪人ということになる)が、放心したように道を行く。そんな彼は1人の女スリとぶつかって偶然これを助けた。実はこの侍は、絵草子の作者として糊口(ここう)をしのいでいるらしかったが……。

*版元の男との会話は、永島慎二のマンガ(『シリーズ 黄色い涙 漫画家残酷物語』)からのパロディであるようだ。
 その第6話『嘔吐』は、単行本の仕事をしている漫画家が、「本当の自分の漫画」を描けず苦悩する話で、主人公が自分の作品を読んで嘔吐する場面がある。この強烈な表現も(「悪くなる一方ですわ」といった台詞に加えて)『不気味が走る』でパロディにされているが、テーマとしてはいざ知らず、物語の筋において、両者に殆ど共通点は、ない。



 永島慎二『漫画家残酷物語』の第1話『うすのろ』には、その冒頭に以下のようなナレーションがある。
「かつて、文学青年を自称し青春を謳歌した若者達は多かった。今は、それにかわり漫画少年とでもいうべき若者のなんと多いことか。これは、愛する彼等の悲しい笑いの物語である。」
 こうした作品からなるシリーズであったゆえか、吾妻ひでおの単行本『失踪日記』によると「仲間には永島慎二先生の『漫画家残酷物語』にハマった者が多い」(P.137)らしい。
 最後のコマにある「つげ忠男」は、ガロをはじめとする前衛マンガ雑誌で活躍してきているマンガ家。
 吾妻マンガで江戸時代を舞台にしている時代劇は比較的に珍しく、これはそれら数少ない作品のひとつである。



こうして私はキャラクターした

0078

(描き下ろし 1980年8月)

"Kohshite watashi wa character shita (meaning : I made characters like this)"

Hideo Azuma the author talks how to design for characters of his work.

*かの手塚治虫は、乱れた自分の髪を鏡で見て、『鉄腕アトム』の主人公の頭部デザインを思いついた……と小耳に挟んだことがある。創作というものは、まず自分を凝視するところから始まるものなのだろうか。
 それにしても……。
 この単行本『贋作ひでお八犬伝』に収録されている作品群を読み返し、気付いた事がある。それは、いわゆる前衛マンガを元ネタとしたパロディがかなり多く散見されるという点で、これがちょっと意外だった。
 吾妻ひでお作品というと、「美少女」か「SF」か「不条理ギャグ」、この3つが、たいてい理解のキーワードになってきたように思う。しかし、"前衛にこだわって模索し実験するマンガ家"として語られ、読まれるのを、僕はあまり見聞きした記憶が無いのだ。(ろくでもないそれとはいえ自分も一応は)ファンのつもりだったのだが、これまでそういう視点で注目したことは一度も無かったような気がする。「これはきっとあのSFのパロディだな」という読み解きは昔日に僕も少し試みた経験があるけれど、「これはあの前衛マンガのパロディだろう」という謎解きをした経験は無い。今読み返しても、『ガロ』系作品のパロディは、その元ネタをさっぱり言い当てられないものが殆どなのだ。
 コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)はシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)を主人公とする推理小説で有名だけれど、ご存知の通り歴史小説も著している。だのに、寡聞また無教養にして僕は、そういう側面から彼の作品について論じられている例をちょっと知らない。……僕ら読者というものは、自分の好みに合う部分ばかりを歓迎してしまい、作者の"全体"をとらえる点では失敗しやすいような気がする。
 「美少女」でも「SF」でも「不条理ギャグ」でもない、吾妻ひでお。
 そんな横顔、殆どのファンが実は今日まで気付いていなかったのではと思えるような横顔が、これらの作品では見え隠れしているように感じたのだけれど、どうだろうか。
 (単行本『奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集 2 贋作ひでお八犬伝』は、ここで終わっている。)





inserted by FC2 system