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33 (その他の作品)
I'll introduce you at this page ;

(1) Special works (an advertisement, etc.)
(2) Books (its contents are repeated at this site)
(3) A collection of pictures
(4) Documentary comics

and so on ...

はじめに

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 このカテゴリーでは、

(1)特殊な作品(広告ほか)
(2)収録作品の紹介が既述の書籍
(3)画集
(4)ドキュメンタリー作品

などについて紹介しています。



ヒモつき ふたりと5人

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(少年チャンピオン 1974年7月22日号)

"Himo-tsuki "Futari to gonin" (meaning : "Two and five" with strings attached)"

* "String" means "a pimp" in Japanese slang word. This comic is an advertisement of a consumer electronics maker. So that, an author seems compare a sponsor to a pimp.

 掲載誌の現物を調べる事ができたのだが(画像はそのコピー)、この作品は見開き2ページの読み切り広告マンガで、『フシ穴にご用心の巻』が終わった次のページから始まっている。そのあとに1ページ、スポンサーであるナショナルの広告が入っていて、そこに読める文言は以下のとおり。
「水陸両用ラジオ<新発売>マリン1号
防水型FM-中波 9石 2バンドポータブルラジオ RF-622 標準価格 17,900円」
 『フシ穴にご用心の巻』からナショナルの広告までの計12ページは初出時では2色カラーで印刷されている。
 家電大手のナショナルが広告媒体マンガとして白羽の矢を立てたくらいだから、『ふたりと5人』の人気は相当なものだったらしい。
 なお、この号では(『フシ穴にご用心の巻』のページで)ハシラを見ると「吾妻ひでお先生におたよりをだそう。ご住所は***」として当時の自宅住所が明記されており(p.33)、別のハシラで「『ふたりと5人』のにがお絵と感想文を送ってください。あて先=102 東京都千代田区***編集部『ふたりと5人』係です。」という告知がある(p.35)。



絵はがき

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"Ehagaki (meaning : Picture postcards)"

* Details of these postcards are unknown. They may had released about 1982.

 この絵はがきは5枚組みのものなのだが、発売元や発売時期などの詳細が全く分かっていない。書籍『マジカルランドの王女たち』(1982年12月)ではその巻末に白黒で紹介収録されているので、それよりも以前に存在していた事だけは間違いないだろう。また、ここで登場している阿素湖素子は『やけくそ黙示録』(1981年2月~5月)での中学生の姿をしているので、1981年2月よりは後に作られたのだろうと思える。
 しかし、それ以上に発売(? それさえも定かではない)された時期を絞り込むのは難しそうだ。ポロンは『オリンポスのポロン』(1977年10月~1979年3月)と『おちゃめ神物語コロコロポロン』(1982年5月~1983年2月)とでは容姿がだいぶかわっているのだが、ここに描かれている肖像はどちらかと言えば前者のそれに近いような気がする。してみるとこれは1982年5月よりも前に描かれたのではないか……と考えることができそうだけれど、それがこの絵はがきの発売時期を判断する参考にし得るかどうか分からない。というのは、この5葉のイラストレーションが、絵はがき発売のため同時期に描き下ろされたものかどうかが不明だからである。もしかしたらそれぞれの肖像は描かれた時期がばらばらに異なるのかも知れない。(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))



陽射し

Hizashi

(奇想天外社 1981年7月10日初版)

"Hizashi (meaning : The sunlight)"

* This hardcover seems be bound as a collection of pictures rather than a comic book. The contents are as follows.

"Mousou garou (meaning : The wild fancy art gallery)"
"Hizashi (meaning : The sunlight)"
"Suisen (meaning : A narcissus)"
"Minasoko (meaning : The riverbed)"
"Yuhgao (meaning : A moonflower)"
"Samayoeru tamashii (meaning : The wandering spirit)"
"Gogo no inkou (meaning : An afternoon indecent act)"
"Yoru no zawameki (meaning : The night buzz)"
"Fushigina nankinmame (meaning : The strange peanut)"
"Kaerimichi (meaning : On my way home)"

 コシオビには以下のような文言がある。
「いかに少女を美しく描くか これをデビュー以来のテーマとしてマンガを描き続けて来た吾妻ひでおが 世に問う《純文学シリーズ》」
 収録作品は、『妄想画廊』『陽射し』『水仙』『水底』『夕顔』『さまよえる魂』『午後の淫荒』『夜のざわめき』『不思議ななんきん豆』『帰り道』
 紙質の良い書籍で、マンガ単行本というよりは画集として設計されている感じ。
 おそらくこれが、一番最初に大判(B5サイズ)かつ堅表紙装丁で発行された吾妻マンガ作品集と思われる。



海から来た機械

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(奇想天外社 1982年3月25日初版)

"Umi kara kita kikai (meaning : A machine from the sea)"

* This book is a hardcover. The contents are as follows.

"Kanzen-naru Ptite Ange (meaning : The complete Ptite Ange"
"Kanzen-naru Ptite Ange Dotoh hen (meaning : The complete Ptite Ange / a volume of Storm"
"Cookie-chan no woder watching (meaning : Cookie's wonder experiences)"
"Lana-chan ippai naichau (meaning : Lana weeps so much)"
"Misesu no bouken (meaning : The housewife's adventure)"
"Ginga takushie 69 (meaning : The Galaxy taxicab 69)"
"Hen-sei (Kanashi-ki nohfu) (meaning : The strange star (The sorrowful farmer))"
"Umi kara kita kikai (meaning : A machine from the sea)"
"Kugatsu kaidan (meaning : September ghost story)"
"Aigan-gishiki (meaning : A pet ceremony)"
"Banjin Hiroko no gyakushuh (meaning : Counterattack of barbarian Hiroko)"
"Azuma Hideo no MAD SCOPE (meaning : Hideo Azuma's MAD SCOPE)"
"Neko-nikki (meaning : The cats diary)"
"Darty Shideo no dai-bohken (meaning : The great adventure of Dirty Shideo)"
"Futsuh no nikki (meaning : An ordinary diary)"
"ROLLING AMBIVALENT HOLD"

 教科書サイズ(A5)の堅表紙製本、収録作品は以下のとおり。

『完全なるプティアンジェ』
『完全なるプティアンジェ 怒濤編』
『くっきーちゃんのワンダー・ウォッチング』
『ラナちゃんいっぱい泣いちゃう』
『ミセスの冒険』
『銀河タクシー69』
『変星(哀しき農夫)』
『海から来た機械』
『九月怪談』
『愛玩儀式』
『蛮人ヒロコの逆襲』
『吾妻ひでおの MAD SCOPE』
『猫日記』
『ダーティしでおの大冒険』
『普通の日記』
『ローリング・アンビバレンツ・ホールド』



マジカルランドの王女たち

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(サンリオ 1982年12月15日発行 サイズ 297×212cm 正味76ページ)

"Majical-land no ohjyo-tachi (meaning : Princesses of magical-land)"

* This book is a collection of illustrations, comics, interview and explanations by author. Comics that are recorded in this book are as follows.

"Bangai-hen Nanako SOS (meaning : An extra story of Nanako SOS"
"SF Tamate-bako (meaning : Sci-Fi treasured casket)"
"Toritsukasei no nagai gogo (meaning : The long afternoon of Toritsukasei)"
"Kohshite watashi wa SF shita (meaning : I "did" Sci-Fi in this way)"
"Kohshite watashi wa manga-ka shita (meaning : How I was to be a manga artist ?"

* A book jacket seems a parody of "Alice's adventures in wonderland".

 画集であるが、マンガや短いインタビュー、作者自身によるコメントなども収録。イラストは水彩画のほか、白黒原稿に製版時着色をほどこしたもの、白黒原稿、鉛筆画もあり。マンガには細かい脚注を付しているものもある。収録されているマンガ作品は以下の通り。
番外編ななこSOS
吾妻ひでおの青春日記 SF玉手箱
都立家政の長い午後
こうして私はSFした
こうして私は漫画家した

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 カバー画は『不思議の国のアリス』のパロディのようだ(表に、ななこ、ミャアちゃん、シャンキャット、阿素湖素子、ドンちゃん、ドードー鳥(?)が描かれ、裏表紙にはナハハ、三蔵、不気味などが描かれている)。
 この書籍にあるキャプションによれば、月刊OUT1978年8月号の表紙、魚の背に乗っている少女は「アンドロイド」であるらしい。



夜の魚

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(太田出版 太田COMICS芸術漫画叢書 1992年9月28日初版)

"Yoru no sakana (meaning : The fish of night)"

* "Yoru o aruku" (meaning : Walk "in" night) had written for this book, and was changed its title into "Yoru no 1" (meaning : Night number 1), has recorded in the book "Shissoh-nikki" (meaning : The diary of disappearance).

 『失踪日記』で冒頭(『イントロダクション』の次)、『夜の1』として収録されているマンガは、この書籍のために描き下ろされ発表されたもので、ここでは『夜を歩く』という題名(筒井康隆『夜を走る』をもじった?)になっている。
 飯田耕一郎、いしかわじゅん、大塚英志の3名が巻末に解説を記しているが、いしかわじゅん『アミダクジの果てー吾妻ひでおに代わってのあと書き』は以下のような書き出しで始まっている。
「本来ならば、ここは、吾妻ひでお自身が、あと書きをかくべき場所だ。
 しかし、吾妻はいない。
 吾妻ひでおは最近、全然表舞台に出てこようとしないのだ。」

 『失踪日記』のp.65『街の1』にあるとおり作者は1992年4月に2度目の失踪をしており、翌1993年に『ガス屋のガス公』が社内報に発表されているので、この書籍はそうした出来事のさなかに出版されたものという事になる。



定本不条理日記

(1993年3月8日発行)

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"Teihon Fujyohri-nikki (meaning : The standard text of the absurd diary)"

* The author seems had worked as a plumber of a gas company in those days.

 年表を見て戴ければ分かるとおり、この書籍は『ガス屋のガス公』発表の翌月に出版された。当時、作者はまだガス屋さんをしていたものと思われ、あとがきマンガにもそれらしき描写がある。
 収録作品は以下のとおり。

不条理日記 立志篇
不条理日記 しっぷーどとー篇
不条理日記 回転篇
不条理日記 帰還篇
不条理日記 永遠篇
不条理日記 転生篇
不条理日記 SF大会篇
普通の日記
なさけない日々
猫日記
こうして私はSFした
こうして私はまんが家した
こうして私はキャラクターした
こうして私はメジャーしそこなった
SF玉手箱
どーでもいんなーすぺーす いもむし以上
ダーティしでおの大冒険
宇宙の英雄マッド・ファンタスチック SF大会
都立家政の長い午後
ローリング・アンビバレンツ・ホールド
木彫の剣
吾妻ひでおのみたされた生活
るなてっく 外伝2
陽はまた昇る

●不条理日記’93……あとがきにかえて

 (描き下ろし 1993年3月)

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「最近私は がてんな仕事をしている。(なぜかは聞かないでほしい…。)」
という書き出しで始まる2ページのこのマンガでは、当時の作者の日常がうかがえる。
「でもオレって こんなんでいいのかなぁ」
という呟きがあるのだが、作者の予感した疑念はこの12年後の同じ3月、『失踪日記』発表による人生の大逆転となって答えが出るのだった。



吾妻ひでおイラストカレンダー

(月刊OUT 1994年3月号付録)

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"Azuma Hideo illust calendar (meaning : The illustration calendar of Hideo Azuma)"

* size : B5 (182 x 257mm)

 このカレンダーは、「コスプレ奥さま」の連載開始とほぼ同時期に、別の雑誌で発表されたもののようだ。カレンダーは2月から始まって12月で終わっている。サイズはB5。
(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))




産直あづまマガジン



"Sanchoku Azuma Magazine (meaning : Farm-fresh Azuma Magazine)"

This is a series of book which was published at author's own expense. (It seems the reason why this series is named "Farm-fresh".) We can read sequels or new stories of his famous heroines, new works of short stories, and author's diary.

 「産直」という、何だか野菜(!)みたいな題名からうかがえるように、大手出版社を介さず、アズママガジン社から上梓(じょうし)されたもの。ここではその第3号(2003年7月発行)を紹介させて頂こうと思う。上の画像はその表紙で、下の画像が裏表紙、B5週刊誌サイズ、56ページから成っている。



 『ななこSOS』や『スクラップ学園』といった、商業誌で長期連載されたシリーズの新作の他、複数の読み切り短編が収録されている。3号の内容は以下の通り。

前説(1ページ)

ななこSOS ACT59 ななこアイスを売る
*この作品はのち、ハヤカワコミック文庫に収録された。そちらとは数字が1つずれているのだが、『ななこ&ひでおのイラストーリー』がシリーズの1話として計上されているゆえだろう。

ななこ写真集
(ななこの肖像画4葉)



アル中探偵モット



"Aru-chuh-tantei Mott (meaning : Mott the alcoholic detective)"

Mott is a middle age man who looks not cool. He is always only half conscious so he gets drunk. But he is a talented detective in fact ...

*現代のアメリカが舞台とおぼしき探偵もので、1ページ、8コマで完結するお話が2本。常に意識もうろうとしている、さえない風貌(ふうぼう)のオッサンが主人公なのだが、そんな彼の活躍とはいったい?

辺土(リンボ)



"Limbo"

A young man roams around in desolate land. He seems feel uneasy as if he is not alive. Then a beautiful little girl welcomes him, takes a role of a guide upon herself ...

 1人の青年が、夢とも現実ともつかない荒涼たる世界をさ迷う。「なんだか 生きている気がしない」と考える彼の前に少女が現れた。彼女は言う、「よく来たね あたしが案内するよ」
 そして……。

*「リンボ」というのはローマ・カトリックにある概念で、あの世(或いはその一歩手前)、天国でも地獄でもない空間を指す言葉であるらしい。描かれる奇妙な光景は、吾妻マンガならではの表現だろう。

MELU(める)



"MELU"

An omnibus of a stray cat lives through human world freely.

 どうも野良猫であるらしい主人公は、人間たちがひしめく世間を自由気ままに渡り歩く。その珍妙な行動を描くオムニバス。

スクラップ学園 シークレット・フィルムの巻



"Scrap Gakuen : secret film (meaning : The secret movie)"

Myah-chan the heroine calls to a vendor to stop, and gets a baked sweet potato from him. But he is a strange vendor ...

 無敵のヒロイン・ミャアちゃんと友人たちの3人組は、街の路上で、石焼イモの売り声を耳にする。ところが呼び止めてみたらこれが変なイモ屋で、しかも食べてみたら……。

*トビラに「没」と書かれているのだが、何において「没」だったのか不明。ともあれ、"ななこ"の品行方正とは真逆で、誰のものにもならない彼女が元気で活躍するのを読めるのはすごくうれしい。

ひでお日記(6ページ)
*髭(ひげ)を生やした作者の日常。(作品の連載されていた雑誌が消滅したために)「中断した「街を歩く」は「夜を歩く」と合せて一冊にしようと考えてます」という発言があり、まだこの時点では、後に書籍として『失踪日記』が世に出るなどとは全く知る由も無かったらしい事が分かる。



失踪日記

(イースト・プレス 2005年3月8日第1刷)

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"Shissoh-nikki" (meaning : The diary of disappearance)

Contents of this book is as follows.

"Yoru o aruku" (meaning : Walk "in" night)
"Machi o aruku" (meaning : Walk in a town)
"Aru-chuh-byohtoh" (meaning : An alcoholic's ward)

 収録内容は以下のとおり。
●夜を歩く
●街を歩く
●アル中病棟
(巻末対談:吾妻ひでお×とり・みき)

*画像は2006年2月28日第11刷のカバーとコシオビ。

『夜を歩く』

"Yoru o aruku" (meaning : Walk "in" night)

"I left my draft undone that for some publishing company, and got away in November 1989."
This was the first step toward unexpected hell ...

 「89年11月 わたしは某社の原稿をほっぽって逃げた」
というくだりで幕が開く。
 しかしこの一歩は、予想もしなかった地獄へと道が続いており……。

『街を歩く』

"Machi o aruku (meaning : Walk in a town)"

"Although I had came back to work, I left my draft undone and got away again in April 1992, because I felt an indefinable something breeding in my head."

 「’92年4月 せっかく仕事に復帰していたのに またもや私は 原稿を落して逃げてしまった 頭から何やら 湧いてきたせいだ」
 運命はなおも作者を試練の日々へ引きずり込む。全てをゼロに戻されてしまったような境遇で、「時間」いがいにもはや何の財産も持たなくなった作者は自身と世間を見つめなおす。そして……。

『アル中病棟』

"Aru-chuh-byohtoh (meaning : An alcoholic's ward)"

The author found that his hands were shaking when he was drinking a cup of coffee at a coffee shop in the end of 1997. It was an omen of collapse, not only of his body but also of his nerve, in the cause of drinking too much.

「97年暮れ 喫茶店でコーヒー飲んでいると」
 作者は手が震えるのに気付く。それは過度の飲酒によって肉体が、あまつさえ精神さえもが崩壊しようとしている前兆だった……。

 この驚くべき内容のドキュメンタリーは、出版されるやすぐさま広く人口に膾炙(かいしゃ)するようになり、昔日に吾妻マンガのファンだった人々のみならず、これまで全く吾妻マンガを読んだことが無かった人々をさえ読者とせしめ、日本中を驚かせた。
 のちに翻訳がなされ、ドイツ語版、フランス語版、スペイン語版が出版されている。



うつうつひでお日記

(角川書店 2006年7月10日初版)

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"Utsu-utsu Hideo nikki (meaning : The depressed Hideo's diary)"

Hideo Azuma the author had completed his trilogy, "Yoru o aruku", "Machi o aruku" and "Aru-chuh-byohtoh" on July 27th, 2004. But there was no publishing company that puts out the trilogy, at that time. Will the book of the trilogy put out ... ?
This diary contains a record about 8 months before "Shissoh-nikki" is published.

 大ヒットした『失踪日記』だが、原稿を完成した直後はまだ出版の目処すら立っていなかったらしい。これは『失踪日記』が出版にこぎつけるまでの、およそ8ヶ月の裏事情が記されている本。

 2004年7月7日から2005年2月16日までの日記をイラストおよびマンガ混在の形式でつづってあるのだが、途中に収録されているインタビューによれば、山田風太郎(1922~2001)や古川ロッパ(1903~1961)のそれのような、"人に見せないことを前提とした日記"が、執筆開始前には作者の脳裏にあったらしい(p.54)。

”これでようやく「夜を歩く」「街を歩く」「アル中病棟」の3部作が上がった(全204P) ただ ちょっとした問題が残っている 出版してくれる会社が無い”
という状況(2004年7月27日(p.26))で不安と苦悩の日々だった頃から、この日記は始まる。やがて、
”「失踪日記」ってタイトルで来年3月頃出してくれる”
という事にまでこぎつける(2004年12月19日(p.153))のだが、
”俺の本ほんとに出るのか?”
とうなされる(2005年2月16日(p.192))のだった。そしてついに、
”’05・3月 失踪日記発売”
の日がきて……(あとがき)。



うつうつひでお日記 DX

(平成20年8月25日 初版発行)

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"Utsu-utsu Hideo nikki DX (meaning : The depressed Hideo's diary deluxe)"

This book contains "Utsu-utsu Hideo nikki", a preface, a postscript and 3 short report comics "Hideo no loli-al tanken-tai"(meaning : Hideo's expeditionary party of "a Lolita complex and an alcoholic").

 これは単行本『うつうつひでお日記』に加筆修正がなされ、角川文庫から発売されたもの。

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 冒頭にある『まえがき③』の1ページと、巻末にある『文庫版あとがき』4ページが描きおろしである他、『ひでおのロリアル探検隊』3篇を収録。一番最後には江口寿史によるあとがきマンガがある(氏は『うつうつひでお日記』を読んで、「愛人をアシスタントにしてんのか あのおっさんは!?」と誤解したという)。


『妹系メイド喫茶へGO』

(コミックチャージ 2007年7月17日号)

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"Imohto-kei maid-kissa e GO (meaning : Let's go to a coffee shop of "a younger sister-style maid")"

 最初のページで「ロリアル(ロリでアル中)しでお 57歳」なるナレーションが入っている。編集者たちとの雑談がきっかけとなり、このルポ漫画の連載が始まって……。


『高級(!?)メイド喫茶へGO』

(コミックチャージ 2007年9月4日号)

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"Kohkyue(!?) maid-kissa e GO (meaning : Let's go to a coffee shop of a high class(!?) maid)"

 「ロリ道一筋30年」という作者自己紹介で始まる今回は、東京都の池袋へ進撃、そして……。


『アキバ探検ツアーでGO』

(コミックチャージ 2007年12月4日号)

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"Akiba-tanken-tsuare de GO (meaning : Let's go on an Akihabara expedition tour)"

* "Akiba (= Akihabara)" is a place name of Japan. It is famous for retail stores of consumer electronics, computers, softwares and so on.

 「メイドさんの案内で行くアキバ体験ツアー」に申し込んでみた探検隊。東京都の秋葉原で目撃し、思わずねだって買ってもらった或るお土産は……。


『文庫版あとがき』

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"Bunko-ban atogaki (meaning : A postscript for this pocket edition)"

The author analyzes a characteristic of his own descriptive way.

 表現手法の観点で自作を分析、反省するところから記述が始まり、『便利屋みみちゃん』、『失踪日記』についても言及あり。そこに語られる、創作者の日常とはいったい……?
 なお広告には『うつうつひでお日記その後』が、本書の続編として2008年9月25日発売予定である旨の情報がある。



うつうつひでお日記 その後

(角川書店 2008年9月25日初版発行)

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"Utsu-utsu Hideo nikki sono-go (meaning : The depressed Hideo's diary ; since then)"

This book contains author's diary that had been exhibited at the official web site (December 2006 - March 2008).

* "Utsu-utsu Hideo nikki" contains his diary since July 2004 to March 2005. So that there is no book that contains his diary since April 2005 to November 2006, for the present. The author received 4 famous awards, and his official web site established (March 4, 2005) in this period.

 「2008年9月25日初版発行」とおくづけにはあるが、これは最初の発売予定日で、実際にこの本が店頭に出たのは9月30日だったようだ。題名どおり内容は日記だけれど、画集にもなっている。マンガとしては「まえがき」1ページ、「あとがき」4ページが描き下ろしである他、あちこち加筆されているのがわかる。
 「あとがき」にあるとおり、もともとは公式サイトに発表されていた日記が書籍として1冊にまとめられ刊行されたもので、収録されているのは2006年12月から2008年3月まで。前作の「うつうつひでお日記」(および「うつうつひでお日記DX」)に扱われているのが2004年7月~2005年3月なので、その後に続く2005年4月~2006年11月は抜けている。
 これは残念。
 なぜならこの空白の期間には、以下の如き重要な出来事があったからだ。

(1)公式サイトの開始(2005年3月4日)
(2)第34回日本漫画家協会大賞受賞(2005年5月11日)
(3)第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞(2005年12月16日)
(4)第10回手塚治虫文化賞大賞受賞(2006年5月10日)
(5)2006年星雲賞ノンフィクション部門受賞(2006年7月8日)

 (上記のうち、例えば「第9回文化庁メディア芸術祭」で吾妻ひでおは挨拶に壇上で、「ホームレスは結構楽しいです」発言をしてしまい大爆笑され、この瞬間の映像はNHKのニュースに字幕つきで全国(あるいは世界中へ)放送されたりしており、その時の事を回想した絵日記が公式サイトでは公開されていた。)
 過去の記事は月ごとの更新により読めなくなってしまうため、現在のところ「幻」となっている。
 同様に、開始直後の公式サイトの内容や、一番最初の看板画像がどんなものだったか、なども今は見ることができないので、ファンとしてはこうしたデータも、次の機会にはぜひ書籍にまとめて欲しいと思う。

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 さて。
 最初に述べたとおりこの書籍は画集にもなっているのだが、その画題は実にさまざまだ。現実の生活の中から描写しているもの(p.32 飛行機で帯広へ行く、など)。現実からヒントを得て発展させた幻想(p.12 ハトの競売、など)。TV番組の映像から記憶を描いたもの(p.84 ツンツン少女、など)。そうかと思えばおなじみのキャラクターたちが登場してくれていたりもする(p.21 みみ、p.62 ななこ、p.107 ミャアちゃん(?)、p.108 チョコレート・デリンジャー(?)、など)。しかし最も多く描かれているのはやはり、多様な美少女たちのイメージだろう。
 何もかもが恐ろしいかのようなこの世界にあってただ一つ、「美」だけが安らぎを与えてくれる、といった信念とそこから始まる探究は、吾妻ひでおの場合、「少女」という画題へ結晶していっているようだ。

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 それにしても「少女」は、複雑で扱いにくい対象に思える。その女性美はまだ未完成のそれであり(ということは、これから未来への可能性を持った美、ともたぶん言えるのだろう)、いっぽう、描き留めておかなければ時と共にやがて失われていってしまうあどけなさ(これは消滅してゆく美、という点で前者と正反対だろう)も、おそらくそこにはある。この、二律背反だか矛盾だかを内包しているような美を、吾妻ひでおは描こうとしているように感ぜられる。
「ああー 女の子が可愛く描けない」
とかと叫んでいる(p.136)のはひょっとすると、見る者に今後の期待を抱かせるような美であると同時に、いつか消えてしまう宿命にもある美のはかなさを、一体どう表現すれば良いのか? といった悩みなのかも知れない。

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 こうした点に、作者の本質が見えるような気が、僕はする。吾妻ひでおは「ギャグ」にこだわってずっと創作してきているけれど、この「ギャグ」も、発せられてしばらくすれば霧のように消えてしまうものなのではないか(1つのギャグで1年以上ずっと笑っていられる、といった事はたぶん無いはずだ)? やがては消え、失われてゆくもの(そしてそこに、生きてゆくうえで人を励ます力を持っているもの)にあえて取り組み、これを探究するという態度は、常に新しいものを求めて果てしなく実験を続ける、作者の前衛精神に重なるように思うのだけれど、どうであろうか。



産直アズママガジン増刊 ふらふらひでお絵日記



(2010年11月発行 アズママガジン社)

"Fura-fura Hideo e-nikki (meaning : The unsteady Hideo picture diary)"

* This book records author's diary (March 12, 2008 - May 31, 2008) that had opened at his official Website.

「久々に自費出版本出してみました~、毎月ネットで更新しているホームページの絵日記'08.3.12~5.31までを掲載してます」
と、「まえせつ」にあるとおりの内容なのだが、加筆されている箇所もたくさんある。単行本『うつうつひでお日記 その後』から続くもの、として位置づけられるだろう。



 B5版全56ページの内、本文前後の真っ白な2ページ以外は絵がびっしり収録されていて、紙質も良く、「画集」というか、ほぼ実寸に近いであろう「原画の複製集」と考えてもうれしい1冊。表紙と裏表紙はツヤツヤの厚紙にフルカラーで美麗、豪華だ。最初に同人誌即売会で頒布されたようだが、2011年1月23日からは公式サイトでの通販も行われている(定価1000円、送料240円)。



 日常のなかに出くわしたちょっぴり奇妙な出来事や、うら哀しさとユーモアの混濁した生活記録、いろいろなエンタテインメントへの辛口な評論など、その内容は多岐にわたり、おもしろい絵日記となっている。



 そして、それらの記述のあちこちに、これぞ吾妻マンガならでは、美少女たちが姿を見せてくれているのだった。ポロン(『オリンポスのポロン』)が成長したのかと思えるような娘(月桂冠を頂いている)や、ななこ(『ななこSOS』)、猫山美亜(『スクラップ学園』)、みみ(『便利屋みみちゃん』)、そして様々な新顔のキャラクターも出演しており、中には(「ボーカロイド」として有名な)”初音ミク”風の子までが登場している。



 一方、どえらく偏ったコトを平気で記しているくだりもあって、これまた、吾妻マンガならでは。p.31('08.4.26)の「泉谷しげる「突然児」より」なんてのがそれで、これは氏が20歳の時、マニア向け雑誌『COM』へ(点数がついている事から推すにたぶん1968年に)投稿した9ページのマンガ作品の、冒頭のパロディであるようだ(画像は1979年の雑誌『Peke』のp.53に、縮小され紹介されていたもの)。



地面を掘り起こして突然現れた主人公が、群集を縛り上げてひとまとめにし、ぶん殴って遥か月までぶっ飛ばし片付ける、という侵略テーマ(!?)の作品みたいなのだが、どれほどの人に知られているだろう? 吾妻ひでお自身もギターを弾くようで、音楽にせよマンガにせよとにかく「表現」せずには生きていけないという点で、泉谷しげると吾妻ひでおには共通する因子があるのだろうか。



 そしてもちろん、徹底的にSF人間であることもまた、絵と文章の両方で、あちこちにうかがえる。



ぶらぶらひでお絵日記



(角川書店 2012年2月29日初版発行)

"Bura-bura Hideo e-nikki (meaning : The wandering Hideo picture diary)"

* This book records author's diary (June, 2008 - June, 2009). There is a copy on this book, it reads "This is the picture diary that records the most highschool girls, in the whole world (maybe).".

 実際には25日ころ店頭に出た。内容は公式サイトでの絵日記、2008年6月から2009年6月分までを、加筆・構成したもので、ほかに『まえがき』3ページ、インタビュー7ページ、『あとがき』4ページが収録されている。
 コシオビに「世界一、女子高生がたくさん登場する絵日記です(たぶん)」といった文言があり、担当編集者はこの書籍のセールスポイントをそう認識したらしい(? 巻末のインタビューでも類似の発言がある)。カバーを外すと、なるほどいかにも、という装丁になっているのはこのゆえか。



 同じコシオビの裏表紙側には吾妻ひでおによる(?)「私は、自分の日常を記録するためではなく、女子高生を描くためにこの日記を続けているのです」という一言が。
 あまつさえ巻末インタビューで、吾妻ひでおは以下のように語る。
『女子高生とそれ以上の年齢の女性との絶対的な違いは、女子高生は真冬でもナマ足がデフォルトであることなんです。だから素人でも「絶対領域」(引用者注:ソックスとスカートの間に見える素肌の部分のこと)をもちうるのは、生涯においてわずか三年間、女子高生である間だけなのです。まさに神聖ナマ足帝国ですよ。』(p.232)
 ……(絶句)。
 ふと考えた。女子高生という画題はひょっとすると、何か「SF」に通ずるところがあるんだろうか???
 やめたやめた、もう考えるのやめた! 読者として好き勝手な感想を述べるならこれは、無性に「塗り絵」をして遊びたくなる本だ。以上!



 ……というワケにもいかない……真面目な発言だって、この本にはあちこち、ちゃんと載っている。「笑いの根本は虚無」(2008年9月18日)だの、「テレビ見て、街をウロウロして、帰ってテレビ見てたら一日が終わった。明日死ぬという宣託が下ってもこんな感じだと思う」(2008年11月8日)だの、「問題は人間はたして誰にも評価されないことを延々やっていけるのかってことだよなー~」(2009年3月13日)だの、「黒目がちな萌絵の女の子の瞳は動物の目だ、そりゃ動物の瞳はかわいい」(2009年5月26日)だの。
 こうした分析や主張に「ふむ?」と引き込まれるのはやはり、根っからのマンガ好きな人だけで、ごく普通のまともな読書人たちには、訴えるところが乏しいのかも知れない。



 活動する舞台にもよるだろうけれど、思うに、マンガ家としてプロデビューするのが大変である以上に、プロのマンガ家であり続けるのはもっと大変なハズなのだ。職業としてのマンガ家たる人生がどんなものか、それを記した図書というのは、世界一マンガが普及しているのではと見えるこの日本においてさえ、殆ど存在しないのではないか? これは、そうした点で、希少な書籍の一つなはずだと僕は本気で思う(マンガの描き方を教える図書は多いとしても、マンガ家としての人生を伝える図書がどれほど世に存在するだろう?)。
 巻末インタビューで作者が、
『女子高生は個人個人で微妙なこだわりや、流行、地域差があって、それを反映しないイラストはどうしても古くさくなってしまうんですよね』(p.234)
と語っているのも、マンガ家生活43年(!)ほどになってなお前線で執筆していればこそだろうと思うのだ。



 しかし、カタい事は言うまい。本は、読んで楽しく面白いにかぎる。注文をつけるならば、女子高生が主人公の『スクラップ学園』や『ななこSOS』の新作を(イラストレーションだけじゃなく)、マンガで読みたいものだ。今なお単行本未収録となっているそれらの作品(現在絶版となっている『産直あづまマガジン』のバックナンバーを入手しないと読めない)だけでも、書籍にまとめて出して欲しいと思う。



産直あづまマガジン増刊 ぐだぐだひでお絵日記



(2012年12月発行 アズママガジン社)

"Guda-guda Hideo e-nikki (meaning : The wordy Hideo picture diary)"

* The major publishing company censored author's draft, removed some parts from it and publishes "Bura-bura Hideo e-nikki". So that, author has published this book with that parts and others, at his own expense.

 公式サイトに発表された'09.7月~10月の絵日記を収録しており、「前説」にもあるとおり『ぶらぶらひでお日記』の続き、という位置づけになる書籍。同人誌即売会でお目見えしたが、2013年1月23日からは公式サイトにおいて通信販売もなされている(定価1000円、送料1冊240円)。
 表紙に記された文言によれば「アニメ「けいおん」の悪口書いたページは角川に「かんべんして」と言われたのでこの本に載せ(た)」とのこと。
 一体ナニが角川をビビらせたか詳しい話は直接読んで戴くとして、吾妻ひでおの主張に”原作が生かされていない”点への失望があるのが、僕は気になった。
 吾妻ひでお自身、『ななこSOS』がTVアニメ化されるに際して、その”原作が生かされていない”落胆(原作者として無理からぬ事だろう)を味わわされているらしいからだ。そうした記憶がアニメ版「けいおん!」への評価にかぶった部分もあるのでは、という気がするのだけれど、どうなんだろう?
 マンガの原作がアニメ化されるにあたっての難しい諸問題は、それだけを論じても分厚い本が1冊出来上がるのではないかと思える。よってここでは割愛させて戴きたい。
 本文には「有名な漫画家のUさんが失踪したとかで、いろんなマスコミからインタビューの申し込み来る、全部断った」(p.38)といった記述もあるが、これは『クレヨンしんちゃん』作者の事件を指しているらしい。



 「前説」3ページ、「あとがき」2ページが書き下ろしで追加されているのだが、それによると、かつてはパソコンと無縁だったのに、Twitterを使うようになった話などの他、いよいよ『失踪日記』の続編たる「アル中病棟」原稿が仕上げに突入したらしい。そして「日記より まんが描きたくなった」、「高校生の頃読んでたような古臭いSF描きたい」という発言がある。ファンとして非常に楽しみだ。



地を這う魚 ひでおの青春日記

Chs00

(角川書店 2009年3月5日初版発行)

"Chi o hau sakana / Hideo no seishun nikki (meaning : The fish crawls the ground : Hideo's youth diary)"

* This is a fantasy that is based on an author's memory. Hideo Azuma and his friends came to Tokyo in 1968, cultivated their talent by working hard, to turn professional.

 奥付だと上記のようになっているが、書店へは3月2日(月)に出ていたようだ。
 内容は、「作者の自叙伝をもとにした幻想譚」とでも言うべきか。かつて『COM』という雑誌が存在したのだけれど、それを、発売されていた当時に読んだ経験があるような読者にとっては、とりわけ興味深い本になっているのではないかと思う。「とりわけ」と言ったのは、これが特定の一時代(1968年頃)に、特定の領域(プロの漫画家を目指す)で生きた青春を描いている作品である事は確かだが、それでも内容には、ちゃんと”普遍性”があると思うからである。その”普遍性”とは、誰の人生と青春にも必ずつきまとうだろう様々な本質(が、あちこちに描き留められている事)だ。
 いっぽう、もしも、「どうすればプロの漫画家になれるのか?」という、就職情報的なアドバイスを得ようとしてこの本を読むなら、あてが外れて失望するのではないかと思う。現在のマンガや出版の事情は、もはやここに記録されているそれとは、あまりにも時代が違い、おそらくさほど(直接的には)参考にならないだろうからだ。
 また、起伏に富むドラマや、入り組んだ筋立てを期待して、「立身出世のサクセス・ストーリー」を求めて読んでも、たぶん失望させられるだろうと思う。これはそもそも実話を元にしているのだし、読者をフィクションの世界へ引き込んで登場人物に感情移入させ、喜怒哀楽を疑似体験させようという娯楽物語として執筆されてはいない(少なくともそれが主眼になってはいない)だろうから。
 読者しだいではなかろうか? と僕は思う。
 この本から、何を、どれほど得られるか、は。

090721



第1話 旅立ち

Chs01

(comic新現実 vol.4 2005年4月)

"Dai-ichi-wa / Tabidachi (meaning : The 1st episode / The departure)"

"Azuma" works at a printing plant. But he resigns from it because he doesn't belong there. He hopes to be an assistant of a professional manga artist, likes his friends. Then he finds a want ad on a comic magazine ...

 印刷工場で働く主人公、「あづま」。しかし仕事がどうにも合わず、辞めてしまう。彼は漫画を描きたがっており、友人たちと同様に、漫画家のアシスタントになりたい、と考える。そんな折、「いててどう太郎」先生がアシスタントを募集していると雑誌で見て……。

*作者たる吾妻ひでおは1968年4月、18歳の時に上京、最初は印刷工場に就職したらしく、このマンガはそうした史実をなぞって始まっているようだ。スクリーントーンを全く使わず(!)作画されているのに驚かされるが、これは、この物語の舞台となっている当時に一般的だったマンガの描き方を ”再現” しているのかも知れない(日本でスクリーントーンが画材として広く普及し始めるのは1970年代になってからではないかと思われる)?
 登場するキャラクターの多くが、その性格を誇張したような動物の姿で表現され、「その他大勢」的な脇役達は、平凡な人間の姿をしているという、かわった演出がなされている(これはジョージ・オーウェル(George Orwell)の小説『動物農場』(Animal Farm )をもじった手法だろうか?)。
 また、有機体(生物)ではないだろう物品が、生きているかのように描かれたり、魚が地上や空中をまるで海の中のように自由に動き回っていたりして、ますますこの物語が現実の事なのか空想なのか判然としなくさせている。こうした奇妙な手法に僕はヒエロニムス・ボッシュ(Hieronymus Bosch)の絵画を連想するのだけれど(ついでながら p.134 では看板に、「ボッシュ」と書かれているみたいだ……?)、それと関係があるかどうかはともかく、吾妻マンガでこうした情景が明確に出てくるのは『夜の魚』(1984年)あたりからだろうと思う。題材としてはやはり同様の、デビュー前の時期の自叙伝が根底にあるらしい『都立家政の長い午後』(1979年)という作品があるが、ここにはまだ、こういった表現は用いられていない。
 夜眠っている間に何か不安な夢をみているような世界が描かれている前者に対し、後者の幻想は陽気で、かつもう少し現実的なようだ(作者の友人たちは皆、普通の似顔絵で描かれ、人間として登場している)。本シリーズ『地を這う魚』の表現手法は、これら2者の中間的なものと言えようか。

 「赤羽」(p.2)という地名は東京都北区に実在し、かつては陸上自衛隊十条駐屯地などがあった場所。電車に「新次穴」とある(p.9)のは新宿のことで、「臀部駅」とあるのは西武新宿駅のことか(ここから出る西武新宿線には、高田馬場、都立家政、上井草などの駅がある)。
 コボタンという喫茶店は、ここから南東へ直線距離で800m ほど行った地点に存在したらしい。「ぐらこん」「COM」については既述のとおり。
 「奴々」と「ぐずり」は何なのやら……??? 「いったい何の役に立つのか分からない」(自分の作っている物と、その作る仕事に意味や価値を見出せない)という、若者ならではの苦悩が生み出した幻想なのだろうか。
 「他界母駅」(p.15)は高田馬場をさしていると思われる(「吾妻ひでお大全集」p.290 、高沢よしおによる年譜で見ると、「この頃は高田馬場に下宿していた」のだとか)。
 「不負谷」(どうも渋谷を指すらしい)でのチラシ配りのバイト(p.19)については『ひでおと素子の愛の交換日記』に回想が記されている。
 できもしない事をつい「やれる」とウソついてしまうあたり、職探しで苦労した経験のある読者ならば苦笑し共感してしまいそうなエピソードではある。
 なお、本シリーズ全体を貫く竜骨の、伏線とおぼしきくだりがこの回にあるようだ……。



*「あっ いててどう太郎先生 アシスタント募集してる」と雑誌の公募に気づく場面がある(p.15)。週刊少年サンデーの1968年5月5日号から同年10月27日号までをざっと調べてみたのだが、1968年6月16日号(25号、上の画像)で『おらあグズラだど』の途中に1コマ入っている広告(p.266)が、これだったのではないかと思われる(下の画像、オレンジの枠で囲った部分)。





第2話 仲間たち

Chs02

(comic新現実 vol.5 2005年6月)

"Dai-ni-wa / Nakama-tachi (meaning : The 2nd episode / The friends)"

"Azuma" satisfies his hunger at a coffee shop, takes a nap on a seat of a train. He puts on clothes which he picked it up on the roadside, goes to work. He feels the limits of life as the homeless, calls on his friend ...

 喫茶店のモーニングサービスで空腹を満たす、あづま。眠るには、電車の座席を利用するのだった。路上で拾った服を着、恩師のもとへ仕事をしに行く。少しずつプロのマンガの世界に触れる事は出来ているが、宿無し生活はもはや限界となる。あづまは友人の寮を訪ねるけれど……。

*ここへきて、仲間のうち5人までが顔をそろえる。人間も、動物も、ロボットのような何かも、それが全く当たり前の事であるかのように、まじり合って共存している、奇妙な世界が描かれる。
 あれやこれやと作画資料を集め、当時(1960年代末)の日本社会の情景を再現することも、むろん可能だったろう。多くの読者はそれによって、「懐かしい」「興味深い」と感じ、この物語の中へ引き込まれたかも知れない。しかし、作者はそうしたリアリズムや懐古情緒よりも、
”マンガでなければ描けないような世界”
を構築することに心血を注いだようだ。物語とはまた別に、作画上の手法を通じても、作者は個性豊かな価値観をちゃんと主張していると思う。こうした、作者の独創性の有無が、「記録」と「作品」の違いではないかと僕は考えるのだが、どうだろう。

 ここで「ドスト」とあるのは「トースト」の事か。サイコロ状の服は、益子かつみ『さいころコロ助』(昭和32年ころ「幼年ブック」に連載されていたらしい漫画)を連想させるが、はて? この時期に『さいころコロ助』から影響を受けていた、という意味かも知れないが正確な事は分からない(吾妻ひでおは『SF玉手箱』『不気味が走る』で、この作品について言及している)。
 「題刊耶麻」とあるのは代官山か(これは東急東横線に駅が実在する、東京都渋谷区の地名)。「山の手ホテル」の舞台になっているのはJR(この当時は国鉄と呼ばれた)山手線の事らしく、ここは閉じた円状の路線を同じ電車が一日中回っているため、一度乗ってしまえばいつまでたっても終点に着かず、乗っていられる。この特性を利用して仮眠を取るというわけ(『やどりぎくん』では主人公が、ここで雨宿りのため列車に乗り込むという場面がある)。「夜神」は代々木の事かも知れないが、よく分からない。
 井上英沖は月刊誌『少年』に連載した作品『遊星少年パピイ』が、TVアニメ化されたことでとりわけ有名だろう。
 「フーテン」というのは、この当時雑誌『COM』に連載されていた永島慎二の作品名で、「シリーズ黄色い涙 青春残酷物語 -その4- FUTEN RENSAI GEKIGA」というのが正式タイトルらしい(「COM」1967年9月号掲載分のトビラより)。残念ながら僕はこれを通読した経験が無いのだけれど、永島慎二の分身のようなキャラクターである、ダンサンこと長暇貧治(ながひまひんじ)の目を通し、ほぼこの当時に歌舞伎町(東京都新宿区に実在する地名)にたむろしていた ”フーテン” たちの姿を描いていたようだ。「コートさん」はその登場人物の一人で、短めの髪に真黒なサングラス、そしてダスターコートに身を包んだ、ひときわ長身の男なのだが、よほど実在感のあるキャラクターだったのだろうか(もしかすると『ふたりと5人』のレギュラーである哲学的先輩の黒メガネは、ここに原型があるのかも知れない?)。
 あづまと友人たちは、『フーテン』と同じ新宿という舞台で、さながら自身がその登場人物となってしまったかのような青春の日々を生きることになったようである。



第3話 新天地にて

Chs03

(comic新現実 vol.6 2005年8月)

"Dai-san-wa / Shin-tenchi nite (meaning : The 3rd episode / At a new world)"

"Azuma" works as an assistant at a professional manga artist's studio. But Azuma has troubles are caused by his reticence. Then two of his friends are going to move into other apartment house. Azuma was invited and makes a decision to rent a room. He lives at an apartment house which his friends live ...

 いててどう太郎のもとで働き、修業する、あづま。しかし、いろいろ話しかけてくれる恩師に対し、どうも上手に受け答えができず、会話は砂に水がしみ込むみたいに消えていって、続かない。時間に追われるプロの漫画家の仕事を手伝う日々を生きるのに一所懸命だったけれど、無口が災いして窮地に立つ。いっぽう、「COM」で結ばれた親友たち2人も、勤め先と住みかを替えようとしていた。誘われて決断し、同じ「武蔵野荘」へ行く、あづま。3畳押し入れなしの部屋に住み、親友たちと同じ屋根の下で暮らす生活が始まった……。

*青柳祐介の名前が出てくる(p.58)が、何年何月号の『COM』の事か良く分からない。氏は、1969年4月号の第二回『COM』新人賞で受賞している。
 「吐立化成」は都立家政のことらしく、これは東京都中野区に西武新宿線の駅がある。
 勤め先にうまく馴染めず模索すること。先人の仕事ぶりに驚くこと。志を同じくする親友たちとの議論。同世代の者たちの流行に対する戸惑い。そして、貧しくても、夢や希望や可能性だけは豊かに満ち溢れている毎日。こうしたことは、親元を離れ独り立ちした直後に、おそらく多くの者が同じように経験する、青春というものの特徴なのではないだろうか。

 (以下、このマンガと直接の関係はありません)
 無気力プロでは必ず夜食が出て、僕のような「アシスタントのアシスタント」でさえもが、あつかましくも食べさせてもらっていました。吾妻先生が仕事場で仮眠を取られるのを見たことがありますし、夜が明けてひと仕事終えると喫茶店「カトレア」へ行き休憩するのが習慣で、その少し前の時間には、無気力プロのTVがいつも朝の児童向け番組にチャンネルを合わせてあったのも覚えています(いててどう太郎先生が観ていたのは、どうも「ロンパールーム」であるらしい。この番組は「スーパー・サクラン」でちょっと登場)。
 吾妻先生たちはデビュー前、手塚治虫に衝撃を受けた人たちが「トキワ荘」に結集したことを手本にしていたのかも知れませんが、やはり先達たちの築いた「型」のようなものは、さまざまな形で、次の世代へと引き継がれてゆくんでしょうか。



第4話 見習いの日々

Chs04

(新現実 VOL.4 2007年4月19日)

"Dai-yon-wa / Minarai no hibi (meaning : The 4th episode / The days as probationer)"

"Azuma" and his 2 friends analyze manga the box office hit, struggle hard with writing their own manuscripts to push to a publishing company. They call on a famous manga artist, but ...

 新たな生活を始めた、あづま、まっちゃん(松久)、わてんちゃん(伊藤)の3人。ヒットしている「あしたのジョー」を分析し、「COM」の入選作を評価する。しかし、自分の「持ち込み原稿」は、どうにも進んでいないのだった。教祖的な存在である「永島慎二先生に会いに行こう!」と3人そろって出かけたら、岡田史子と村岡栄一が先客として来ていた。帰宅したら何だかうちのめされてしまい、そのうえ予想外の苦難が、あづまの身にふりかかる……。

*「佐藤プロの松森さん」とある(p.76)のは、『COM』1967年11月号、『執念に哭け』で第6回の入選者となった松森正のことかと思われる。
「あれが天才 岡田史子か~~」(p.78)と、ここで名前の出てくる岡田史子は、雑誌『COM』1967年8月号の『新人まんが家競作集』で世に知られるようになり、1968年4月号で(同年1月号に発表した『ガラス玉』により)第一回COM新人賞を受賞したらしい。
たばこ屋の電話を使う場面があるが、これと関係があるのか、「ウェルカム宇宙人」では、「現地 高田馬場 4-*-*角のタバコヤ前からナマ中継」という台詞が読める(この所番地は実在し、地図で見ると高田馬場駅のすぐそばで、吾妻ひでおがかつてふと出まかせを言ったという(「ひでおと素子の愛の交換日記」)或る予備校もここに存在するようだ)。25円のインスタントラーメンというのは「武蔵野荘のころ」で言及のあるそれと同じか。
 ここでついに、「北風六人衆」の全員が揃う。



第5話 契機

Chs05

(コミックチャージ 2007年10月2日)

"Dai-go-wa / Keiki (meaning : The 5th episode / The opportunity)"

"Azuma" works out a plot at his small room. It is very hot because there is no air conditioner. His friends are excited about an avant-garde manga. Azuma gets a shock when he watch a picture that his friend made, as it is better than his. Azuma and his friends have a hard time with the heat and poverty ...

 冷房など無い3畳間で暑さに苦しみながら、物語のアイディアをねる、あづま。友人たちの部屋をたずねると、つげ義春『ねじ式』に感銘を受けた彼らはひどく興奮していた。友人と2人で、いててどう太郎のアシスタントとして働くが、あづまはその友人の絵のきれいなことにショックをおぼえる。あづま達一同は生活に慣れてきたものの、北海道のそれとはかけ離れた東京の夏の暑さと、カネが無い事とに苦しむ。追いつめられた彼らがふと思いついた苦肉の策は……。

*異性に関しあれこれ出来事があるのは、やはり若者ならではの経験だろう。
 ここで、作者・吾妻ひでおは小さな仕事を出版社からもらい、ささやかながら自分の作品が印刷され日本中に公開されるのを初めて経験している。ここをプロデビューとして逆算するなら、吾妻ひでおは高校卒業から1年半ほどで世に出たということになり、異例のスピードに感ぜられる(もっとも、サークル「ぐらこん 北海道支部」の仲間だった女性陣は、それより先にプロデビューを果たし、大和和紀にいたってはその作品『モンシェリCoCo』が1972年にTVアニメ化されていたようなのだが)。
 『ローズマリーの赤ちゃん』は映画の題名だが、その原作本が日本で発売された時にはちょっとした演出があって、(僕の記憶が正しければ)本の後半は袋とじ状態で売られていた。で、そこには、「もしここまで読んで、先を読みたくならなかったら、袋を破らないで本をお返しいただければ代金を全額お返しします」といった意味の文言が書かれていた。かような販売戦術も手伝ってか、この作品はだいぶ話題になったらしい。
 p.110に名前の出てくる宮谷一彦は、『COM』1967年5月号で、『ねむりにつくとき』によって第二回月例新人入選を果たしている。
 人類初の月面着陸(1969年7月20日)に全世界が沸いていた丁度その同じ頃、この人類の偉業(当時にこれを「インチキなのでは?」と本気で疑う人は、けだし稀だったのではないかと思われる)に殆ど心が動かなかったとすれば、作者にとっては自分の眼前で今まさにプロの世界へ通じる扉の開き始めた事が、あまりにも重大であって月着陸をさえ凌駕していたということであろうか。



第6話 好敵手

Chs06

(コミックチャージ 2008年4月15日)

"Dai-roku-wa / Kohtekishu (meaning : The 6th episode / The worthy opponent)"

"Azuma" and his friends have confidence in their faculty. But an editor of comic book doesn't adopt their manga, so they are discouraged. Azuma's gang spend their days in arguments, to be concerned about girls. One day, some other editor approaches Azuma and his friend, with a proposal ...

 先生が原稿の下書き以前、ネームの段階で苦しんでいるのを目の当たりにする、あづま達。自分ならもっと早くできる、と自信を持っているのだが、作品を雑誌編集者に見てもらうとあっさり不採用で、その自己過信も崩されてしまう。仲間たちはそれぞれに目指す方向が異なり、一途な真摯さゆえの議論も起こる。それでも異性のこととなるとやはり若者、同じような喜怒哀楽を共有するのだった。しかしそこへ、今度は別の出版社から、予想もしなかった話が来て……。

090809

*ここに出てくる『殺し屋マック』という作品は、『吾妻ひでお大全集』でそのトビラなど、一部分が縮小画像で公開されている(p.188)。
 主人公が読んでいる『人間以上』は、この頃に早川書房から刊行されていた版のようで、いわゆる文庫本サイズではなく、外国のペーパーバックの版型を模したような独特の装丁になっており、初期のシリーズはその外見の特徴から「銀背」と呼ばれたらしい(?)。この当時の早川の出版物は推理小説と同様にSFでも、そのカバーに抽象画が1葉使われているだけで他に挿絵などは一切無くて、マニアでなければ手に取ることすら稀だったのではと(僕の様な者には)感じさせる書籍だった。



(画像はそのシリーズのうちの1冊で、特殊な版型であること(奥付に「この本の型は、縦18.4センチ、横10,6センチのポケット・ブック版です」と記されている)、および、背が銀色の装丁になっていることが分かる。これは昭和42年7月に再版されたものなのだが、福島正実によるあとがきには「一九六四・二」とあるので、同年(昭和39年)が初版だったらしい(?)。巻末には「ハヤカワ・SF・シリーズ」のリストがあるのだが、それによると当シリーズは『盗まれた街』(作者=フィニイ)から始まって、『人間以上』は46番目、定価330円。なおこのシリーズのあるものは背が金色になっているようで、このへん、残念ながら詳しい事情が僕には分からない。)

 みやわき心太郎の”ハートコレクションシリーズ”(p.130)は、『COM』1968年10月号の別冊付録である『ぐらこん』に、その第1話(?)が収録されているようだ(ハートコレクション No.1 「あざみ」)。
 「漫画の基本はすべて4コマに有り」という考え方は、この頃に大物漫画家たちがほぼ必ず唱道していたらしい。つのだじろうは「COM」(1967年9月号 p.130)で以下のように書いている。
「最近のまんが家志望の連中は、どうして四コマまんがを描かないんだろう? いろいろな本で「まんが教室」があり、各講師の一流まんが家たちが、そろって四コマの勉強をすすめているのに…?」
 手塚治虫もしかりで、その著書「マンガの描き方 似顔絵から長編まで」の中で、これを説いていたようだ。
 しかし、手塚作品や「トキワ荘」出身のマンガ家たちの作品で育った世代の人たちはこの方法論に疑問を懐いていたのか、1980年頃、竹宮恵子は自身の著した入門書で、なぜそう考えるかを説明していたと記憶する。
 ともあれ、誰もがマンガに対し、本当にひたむきだったのだろう……。

*「3段落ちのあるSF」についての詳細は分からないが、僕の記憶が正しければ、『つまんない』という題で、読みきり短篇が掲載された事があるようだ(COM 1969年1月号)。そのあらすじは、以下のようなものだったと思う。

<お人よしの泥棒2人組が、大金持ちの留守宅へ忍び込む。ところが、無人と見えたその家ではおさない少女が1人で留守番していた。独りぼっちでつまんない、と言う純真なその子を可哀相に思い、泥棒たちは計画を諦めて、さみしがっている少女と遊んでやるのだった。
 しかし突然そこへ、パトカーがやってくる。少女が警察に通報していたらしい。しかも、泥棒たちには全く身に覚えが無いのに、いつのまにかポケットにはダイヤモンドがごっそり入っていたものだから、びっくり。泥棒たちは唖然として少女を見るが、彼女はいたずらっぽく笑っている。少女の両親も帰宅し、絶対絶命、無実を叫ぶも虚しく、泥棒2人組は連行されてしまう。
 ところが警察の去った後、彼女は母親に
「あいつらのポケットへダイヤをいっぱい入れちゃったぞ!」
と言い、母親は、
「いいさあんな石コロ! 帰ればいくらでも転がってるんだから」
と笑うのだった……? いっぽう、逮捕された泥棒たちは、周囲に何も無い雪原のどまん中で、1本の杭へ手錠でつながれていた。どうもおかしい、ここは警察じゃないみたいだし? と、突然、空から何か降ってきた。それは変装に使われた小道具で、あの少女と一家のものらしいではないか!?
 ……そのころ、1機の円盤が空の彼方へ飛び去ってゆく。あの少女と一家はそれに乗っており、どうやら宇宙人である彼女たちは人間に変装し、遊んでいたらしい。そして少女であろう声がつぶやく、
「つまんないナ……留守番させられる子どもって」
 彼女たちは親が不在である間、地球へ来て時間つぶししていたのだった……。>

*ちなみに、吾妻ひでおは週刊少年チャンピオンで1971年7月19日号(30号)から『エイト・ビート』を連載開始しているのだが、その同じ30号で、つのだじろうの『泣くな!十円』がやはり連載開始したようである。



第7話 転換の時

Chs07

(コミックチャージ 2009年1月6日)

"Dai-nana-wa / Tenkan no toki (meaning : The 7th episode / The time to change)"

"Azuma" becomes unexpectedly to have to compete with his close friend for an adoption. They finished writing, and Azuma is discouraged by his friend's work. All of his gang live in poverty. One day, Azuma and his friend are introduced to the chief editor ...

 読み切り短篇の原稿を描きあげ、はからずも親友と競い合わねばならなくなった、あづま。しかし友人の原稿を読ませてもらって敗北感にとらわれ、ショックのゆえか、あと何時間で原稿が完成するかを正確に予測することさえ出来なくなる。それでも、同じアパートに暮らす仲間たちとは、その親密さに変わりが無いのだった。みんながカネに困っており、食うや食わずで生きている有様。そんなある日、あづま達は初めて「まんが王」編集長のカベムラさんに紹介され……。

*ここに出てくる『すぷりんぐ』という作品は、後に『文藝別冊 総特集 吾妻ひでお』へ収録、公開された。
 「ミロ」という喫茶店が繰り返し舞台になるのだけれど、実在したのかどうか分からない("ぐらこん北海道支部"の会誌が「ミロ」という名称だった事は、雑誌『COM』の記事から確認できているのだが……?)。風呂ぎらいのエピソードは、『ハンマー・シャーク』の一場面を連想させる(?)。
 「カベムラさん」は壁村耐三がモデルか。氏はのちに「週刊少年チャンピオン」でも編集長を務め、その期間中、1972年7月3日号では部数39万部だったこの雑誌を、1979年1月22日・29日合併号では部数250万部にまで伸ばしたらしい(読売新聞 2009年4月30日 朝刊13面 市原尚士による記事から)。
 「NHKですが受信料・・・」という1コマ漫画(p.164)は、同じ物が、のちに発表される『人類抹殺作戦』の中で登場しており、この頃に描き貯めていたアイディアが『人類……』で使われたということか。



第8話 別離れ

Chs08

(描き下ろし 2009年3月5日)

"Dai-hachi-wa / Wakare (meaning : The 8th episode / The parting)"

"Azuma" and his gang grope for their breakthrough. Presently, Azuma and his close friend become to visit an editorial department frequently, the chief editor allots an editor to them to bring up...

 あいも変わらずカネが無いのか、他所の家の庭に柿がなっているのを見るや、力を合わせてこれをかっぱらう、あづま達。現状をなんとか打開したいと願い、自分たちで本を出し、それを出版社に持ち込むという計画が語られると、全員が乗り気になる。必死に、そして楽しみつつ自身の人生を開拓してゆく彼らとは関わり無く、世の中はせわしない混沌と賑わいを見せている。あづまとゆきみちゃんは出版社へ出入りするようになり、ついに2人には担当の編集者が付く事になって……。

*さらりと台詞だけで片付いているのだが、「付録で8ページ」と言われているのは(p.178)、吾妻ひでお本格デビュー作となる『リングサイド・クレイジー』(まんが王 1969年12月号付録)のことではないかと思われる。この作品は今日まで一度も市販単行本では公開されたことが無く、多くの読者にとって幻となっているのが真に残念ではある。
 マンガに対して独自の理想と哲学を持つ編集者に悩まされるくだりは、出版社へ原稿を提出する立場になった経験をもつ読者からは苦笑をもって迎えられそうだ。ここに豚の姿で登場する「ヒキ」という担当編集者は、もしかするとW氏(このあと吾妻ひでおとは仕事の上で十年以上にも及ぶ長い関わり合いを持つことになった)なのかも知れないが、はっきりした事は分からない。W氏は大学時代、漫研にいて、吾妻ひでおと出会った時はまだ「編集1年生」であり、その最初の仕事が(『まんが王』の読者欄である)『にこにこクラブ』だったので、吾妻ひでおにそのカットを頼んだのが、どうやら馴れ初めであったらしい?(アニメージュ別冊 SFコミックス<リュウ>Vol.5 (1980年) p.174~ にある本人談から)
『失踪日記』にも出てくる(p.128)『真夜中のカーボーイ』についてやはり言及があるが、作者と酒のかかわりも、この『地を這う魚』で見ると、この映画との出会い以降に始まったらしい?
 そしてこの『地を這う魚』は、ひとつの結論が述べられて、今回ひとまず幕となっている。

(以下、この作品と直接関係ありません)
 コーラの空瓶拾いで電車賃を作る、というエピソードがありますけれど、無気力プロで沖由佳雄さんがこの手の苦労をしたという話は、僕の知る限り一度もありませんでした。唯一の例外は、無気力プロ発行のコピー新聞『ALICE』紙上でチーフアシスタントのみぞろぎさんが「ゼニくれ~! ほっきゃーどー行きたいの~!」と描いておられた事くらいでしょうか。しかし、これはむろん冗談でありましょうし、東京から北海道までの旅費と、都立家政から代官山までの電車賃(現在なら片道約440円)では、話のケタが違いますものね。



あとがき その後の登場人物たち

Chs_a

(描き下ろし 2009年3月5日)

"Atogaki / Sonogo no tohjoh-jinbutsu-tachi (meaning : A postscript / Characters, since then)"

* The sequel of characters, how they are getting along.

*題名どおり、作品中の時代からいっきに40年ほどの時間を飛び越して、現在みんながどうしているかを描いている。
 努力にもかかわらず、なるようにしかならない世の中。残酷な浮き沈み。何が成功と勝利で、何がそうでないのか分からない様々な人生。

 トビラはとりわけ興味深く思った。ひときわ劇的場面といえそうな5つの状況が1コマずつさらりと描かれ、いっきょに並べられている。
 ここに、吾妻マンガの強い個性と特色の一面が出ているような気が、僕はした。なぜなら、ここに見られるこういったエピソードこそが、普通のストーリーマンガだったらたぶん「クライマックス」に設定され、独立した5つの物語に仕立て上げられているのではないか、と思えるからだ。
 作者たる吾妻ひでおは、そういった正攻法なドラマを描く機会を、なんら惜しむこともなくあっさり見送って、それぞれをたったの1コマ、あまつさえそれを全部ひとまとめにたった1ページで片付けてしまっている。
 凡人の読者としてはこの1ページを見、「なんてもったいない事を!?」と仰天させられる。
 しかし吾妻ひでおという人は、どうも根本的にそういう漫画家であるらしい。正統的な作劇を否定こそしないにしても、そこに前衛的な可能性はさほど無さそうだとばかりに、興味や熱意を持ってくれないのだ。
 これは仕方のない事なのかも知れない。喜怒哀楽で人間を描くドラマはともすれば、月並みな作品にとどまる場合がとても多いのはけだし事実なのだろう。(僕は素人なので正確な予測などできないけれど)出版を商売として計算するならば、そういう凡作の方がむしろ、マンガというものに対して高度な期待や要求はしないであろう大多数の普通の読者からは好まれ、より多くの拍手が得られるのではと思え、惜しい気がする。でも拍手の多寡は、作品の価値に必ずしも正比例はしないのも、たぶん事実だろうと思う。
 吾妻ひでおは、拍手喝采よりも、自身の実験の成果を探究してしまわずにはおれない人なのではないか……。

 実を言えば僕には、このシリーズの題名がなぜ『地を這う魚(ちをはうさかな)』なのか、よく分からない。作品中に夥しく姿を見せている「魚」たちの正体が何なのか、つかめないのだ。全てが単なる幻想であって実在しない錯覚でしかないのか、それとも何らかの寓意を背負ってこういう姿をとっている存在なのか? 退屈で可能性の無いこの現実世界をせせら笑うかのように、魚や海洋生物や、ありとあらゆる動物、実在しないだろう妖精、はては機械だか何だか得体の知れない連中までが、美もグロテスクも、楽しさも不安も、なにもかもがごちゃ混ぜになり、そして何にも支配されず(重力の影響さえ受けることもなしに)そこいら中を漂い、動き回っている。
 現実的な光景を描くことは、ある意味ではそれほど難しくないだろう。しかしそうやって現実をできるだけ正確に模して描く事に、その営為のどこに、「創作」があるだろうか? 大切なのはむしろ、

”自分の頭の中にしか存在しない光景を、絵と言う形で取り出して、誰の目にも見えるよう、鮮やかに表現する事”

なのではないか……? 
 この作品群は物語とはまた別に、視覚効果の点でそういった主張をしているように、僕は感じた。
 かような幻想の充満した世界を描いて見せることができるのはやはり、吾妻ひでおの他に誰もいないだろうと思う。

 吾妻ひでおも、ひょっとすると「魚」なのかも知れない。「魚」が水中ではなく陸にいるのは、ふつう、おかしな事である。泳がずに、這っているなら、それも変である。そうだ、常識だの平均だの現実だのを基準に判断するなら、何だか変な事をしている……でも「誰がそんなルールを決めた?」とばかりに、あり得ないような事を自由にやっている。自由な、あるいは常に自由でありたいと願い、どこでも動き回っている。実はそういう、「魚」なのかも……。




地を這う魚 ひでおの青春日記 (角川文庫)



(平成23(2011)年5月25日初版発行)

"Chi o hau sakana / Hideo no seishun nikki (meaning : )"

* This book is a pocket edition of "Chi o hau sakana / Hideo no seishun nikki". The author explains a little, his expression and a style of painting, in a preface and a postscript. And, this book has an afterword by Yoshikazu Yasuhiko the famous animator.

 これは単行本『地を這う魚』の文庫版だが、以下の作品を新たに収録している。

まえがき (1ページ)
文庫版あとがき (4ページ)
人類抹殺作戦 (16ページ)
アヅマさんとボク (2ページ)



 『まえがき』では、なぜ「化け物だらけの世界」で描いたか? を、『文庫版あとがき』では、なぜ「女の子の絵」が変わってきているか? を、それぞれ作者が、ちょこっと理由説明している(後者には、本編だとホットパンツらしき服装でいかにも当時らしい感じだった「妖精ちゃん」が、今時ふうの装束に着替えて再登場)。



 『人類抹殺作戦』は、これが初めての単行本収録となるようで、掲載誌を入手して読むのが難しい作品であっただけにたいへん貴重だ。初出誌についての解説に、「この別冊付録は宇宙ものの特集で、表紙がアポロ十一号の月面着陸の写真だった」とある(p.206)けれど、より正確に言うと、「SF」の特集であり(宇宙と関係ない記事や作品も複数収録されている)、月面着陸の写真が載っているのは表紙をめくったP.2~3の見開き部分のようである。とはいえ、同誌の編集後記には「宇宙世紀の夜明け。科学が、わたしたちの生活にあたえる影響は、ますます多くなっていくと思います」とあって(p.204)、解説の理解はけだし的を得ているだろう。



 『アヅマさんとボク』は、吾妻ひでおと同じ北海道の出身で、しかも年齢はわずか2年とちょっとの違いという、安彦良和によるマンガ(文章ではなくマンガになっているのはたぶん、珍しいのではないか?)。

 それにしても、何ゆえに、「魚」なの? ……という謎については、残念ながら作者がこれをまだ明かしていないようだ。あるいは吾妻ひでお本人でさえ、その理由が分からないのかも知れない。心理学だと、魚は男性やその性器を象徴する場合があるとか、小耳にはさんだ事がある。また、人が何かペットを飼っている場合、常に新しいものを欲しているタイプの人は魚を飼うケースが多いとか聞いた事もある。どうしてそういう解釈になるのか知らないのだけれど、前衛的な実験を好む吾妻ひでおにとって、やはり「魚」は相応しいというべきなのだろうか。 



失踪日記2 アル中病棟



(イースト・プレス 2013年10月10日第1刷発行)

 のっけから脱線するが、変な本である。
 発売前に予約しておいて入手したのだが、奥付を見たら「2013年10月15日第 2 刷発行とある。まあこうした日付は実際のそれと合致しないのが常であるけれど(僕の所へ本が届いたのは10月6日)、奥付を鵜呑みにするなら、初刷から5日で増刷した計算になる。
「凄いな、そんなに売れているのか」と驚き、これは実にめでたい、と吾妻ファンの端くれとしてうれしく思った。しかし……。
 写植をヘマこいたのか? と思うようなページが何箇所かある。本を開いたとき左下の欄外になる位置へ時々、各章のサブタイトルが入っているのだけれど、余白ではなく、タチキリを超えて絵が描かれている部分へこれを貼ったページがある(p.11、133、145)。何だいこれあ……? ひょっとして初刷で何か失敗を発見して即座に回収し、増刷になったのか? などと邪推した。
 しかしインターネットで調べてみると、この本の初刷はちゃんと市場に流通しているらしい(実物未確認)。ほう?
 とすると、これはすごい。
 初刷の発行部数がどれ程の数字だったのか知る由も無いけれど、もしかしたらこの『失踪日記2 アル中病棟』こそは、現在までに出版された吾妻マンガ単行本のうち最も多く売れた本、となるのかも知れない……(などと、なかば「商売」の視点で考えるのは、よろしくないであろうか)。

 さて。
 それほどの速さで売れている本なのだとすれば、内容の紹介や、感想もまた、おびただしい人数の読者によってたぶん、既に書かれているだろうと思う。そこへ今さら僕ごときが駄文を書いても……。説明は簡単に済ませましょう。

説明:作者がアル中治療で入院した期間(1998年12月26日~)のうち、1999年1月下旬以降から4月5日に退院するまでの経験を記したマンガ。

 以上です……。

(付記:本書で何度か言及のある「オブジェ」(p.33、156、224など)は、東京・中野の「まんだらけ」で、いくつかが「AZUMA BOX」として小箱に収められ、販売されているようだ(2013年12月現在)。価格は15,750~31,500円ほどで、(吾妻ひでおの手作り作品に間違いない事を示す)保証書が付いている。)

(付記2:日本精神神経学会の指針(2014年5月28日公表)によれば、いわゆる「アル中」ないし本書で用いられている「アルコール依存症」は、「アルコール使用障害」という名称が適切とされる。)



(注:以下、ただの読後感想)

 なにしろセミ・ドキュメンタリーだろうから「あらすじ」を紹介するというのも変かなあ? と思うので、一個人の読後感想を作文してみます。

 まるっきりの私事ですけれど僕が「無気力プロ」に出入して何度か吾妻ひでお先生にお会い出来ていたのは1977年から約4年間、とても短いです。だから先生について知っている事などあまりにも少ないのですが、強く印象に残っている点のひとつは、先生の、人並み外れて穏やかなお人柄なのでした。
「もしも吾妻先生が怒ったり怒鳴ったりするような事態が本当にあり得るとしたら、そりゃ数十年に一度有るか無いかの、極めて稀有(けう)で異常な場合であるに違いないな」
 そう僕は感じ、今現在でもそのように思っているのですけれど、それだけに僕が『失踪日記2 アル中病棟』を読んで最も驚いたのは(ここが、みんなと少し違うかも知れないけれど)、入院中には先生の堪忍袋の緒が切れた時があるというくだりだったのです(p.183~、p.251~など)。
 そこには結論として(?)「やっぱり人間キレる時はキレとくもんだな」とありますけれど(p.186)、どうかなぁ……。一般論ではなさそうな気がする。およそ怒る事など皆無であろうと思える人が大爆発するからこそ、出しゃばりで自己を盲信しているような人物でさえもが驚き、事の重大さに気付いて、その態度を改めるに至ったんじゃないでしょうか? わりとつまらない事でも腹を立ててしまう僕らがそういう態度に出ても事態が好転する可能性って低いんじゃないかしらね? 自分の望みを押し通そうとして恫喝(どうかつ)の戦術に出ているに過ぎないと判断され、逆に怒鳴り返されるのが関の山なんじゃなかろうかと……。とどのつまり、こうした挿話こそは、吾妻先生のけた外れに穏やかなお人柄を証明しているのでは、と僕は感じるんですよ。
 だもんで最初は、こうしたくだり、「そんな事あるはずがない」と、どうにも信じられなかったのですけれどね。本を読むにつれ、「これは、よほど病棟での経験が過酷なものだったという証拠なのかも知れないなあ」と考えました。



 そもそも、「刑務所じゃないんだ 俺は出たい時にはいつでも出られる」(p.87)とはいったものの、外出等に制限のある一種の軟禁状態が続くのは、やはり精神的につらそうです。
 加えて作者は閉所恐怖症であるらしいのだから(p.174)、屋外へのドアが閉まったままで、窓さえもちゃんと開けられない、そういう建物の中に入れられてしまうというのは、さながら拷問のようであったのではと思えます(脱線しますけど僕もこの閉所恐怖症の傾向があるらしく、4人乗り小型飛行機に乗った時以来それを自覚していたので、その、まるで「生き埋め」にでもされてしまったみたいに感じて息が詰まる精神的苦痛を、少しは想像できました)。
 そのうえ、入院すれば他人との共同生活を強いられるのですから、対人関係のストレスもある事でしょう。これは娑婆(シャバ)で暮らす僕らでさえ、近所付き合いや職場で、多かれ少なかれ強いられているかも知れません。しかし近所や職場なら、苦手な人物と顔を合わせないで済む時間や日もあります。入院生活にそれは無く、毎日100%の確率で会ってしまい、あまつさえ同じ部屋で寝起きしなければならぬなどという事態さえ発生する場合がある。嫌な人物の顔や姿を毎日必ず見なければならず、しかも同じ空間へ一緒に閉じ込められるというのは、大変な苦痛になるのではないでしょうか。
 で……。これらの点は、けだし入院患者にのみ課される桎梏(しっこく)でしょう。勤務している、病院スタッフに、たぶんこういった苦痛はさほど、ありますまい(勤務時間さえ終われば後は自由でしょうからね)。
 ところがどっこい、気になる事には、とげとげしい態度のナースが数名いたりする(p.64、90)。そりゃあ、そういったナースはどこの病院にも存在し、珍しくはない、ひとつの性格タイプであるかも知れません。もともと短気でちょっとサドい人だとか。或いは、過労で苛立っているのと、「女はキツい態度を示さなくてはナメられてしまって秩序が保てない」と考えているんでしょうかね。が、興味深くもここでは、男性である看護長までが、患者たちへの回答書に愚痴のようなことを書いてしまい、猛烈な抗議を受けて謝罪するといった失敗をしでかしている(p.179)。このへんからするとアル中病棟というのは、患者のみならず病院側の人たちにも多大なストレスがかかる場所なのでは? などと思えてきます。



 なにしろ病院とはいっても、身体の疾患のみを持つ、ごく普通の患者たちを収容している訳ではないらしく、アルコール中毒と同時に認知症(2005年までは痴呆症と呼ばれていた)を併発しているのでは? と思える人も一緒のようだし(p.58、118など)。
 加えて、患者たちの顔ぶれにはえらくクセがある。面会に来た吾妻夫人がその雰囲気に怯えて逃げ出し(p.123)、それっきり面会に来てもらえなかった、という位なのだから、やはり「アル中病棟」というものはきっと、ただならぬ環境になっているのでしょう。
 吾妻夫人のこの直感は果たして正しかったようで、病棟には、女性にとって身の危険を及ぼしかねないような性体験を持っているらしい者たちが含まれていたり(p.260)、酒のみならず違法薬物の中毒でもあるのでは? と思える人物が居たりする(p.138)、と、後になって著者は知り、驚いていますしね。単なる「大酒飲み」などと言う表現には、とても納まりきらないでしょ、こうした人たちは……?
 「退院したくない」と語る人も患者の中にはあったようだけれども(p.127)、あれやこれやの諸条件ゆえ、入院せずにすむなら居たくないと考える患者のほうがやはり多そう(p.11など)なのは、うなづける気がします。
 こうした、病棟内の環境が一因なのかどうかは分からないですけれど、「退院しても1年後の断酒継続率はわずか20%」だとある(p.279)。治療の成功率が半分にも満たない(!)というこうした数値は、もしこれが商売か何かであったなら「失敗」と評価され、撤退もしくは徹底的なテコ入れが決断されていそうに僕には思えます。しかしそうなってはいないわけで、これは、アルコール依存症の治療がいかに困難であるか、そしてその方法論ではいまだに模索が続いているらしい事を裏付けているかのように感じました。
 この、模索という点では、病院での治療プログラムの内容だけでなく、退院後の患者を支援する「自助グループ」も同様らしい。それは「AA」と「断酒会」に大別されるようだけれど(p.97)、後者には「全日本断酒連盟」に所属するものと、そうでないものがあるのだとか(p.207)。



 なんという厄介なことでしょう。いったい、希望を持てる「確か」な何かは、存在するんでしょうか? 著者は独白します、「酒無しでこの辛い現実にどうやって耐えていくんだ?」と(p.283)。しかり、不安や苛立ちや悲しみの皆無な、誰もが幸福に生きられ、「耐える」必要などない世界が、1年後には実現するとかというのでもない限り、どうすれば良いのでしょう? そして飛躍でないとすれば、その辛さの元凶なのではと思えるのは、この人の世にうごめく無数の、奇怪で恐ろしい「人間」達なのではあるまいか? と見えてきます。
 とはいえアル中病棟での日々にあっては、人間と言うものの不思議さをも垣間見させられる。対人関係であれやこれやとカドを立てる厄介な女性患者(p.122)が、作者にふと親切にしてくれたり(p.130)。優しいところのある男が(p.27)、えらく物騒な過去を持っているらしいと後で分かったり(p.260)。
 醜さと美しさの、相反し矛盾する2面の奇妙な共存。それが人間と言う生物の本質であり、人の世の本質でもあるのでしょうか。
 著者は本書の冒頭で語っています。
「アルコール依存症はどうしたら回復するのか(中略)自分が病気であることを自覚し 気長に付き合っていくこと 他に生きがいを見つけるよう努力してみることでしょうかね」(p.4)と。
 これってアル中の治療のみならず、人の世で生きてゆかねばならぬ僕らの人生そのものについても当てはまる、普遍性を持つ指針なのでは……?
 たしか、和製の絵本の古典的な作品として評価を得ているであろう『ぐりとぐら』について、誰かが新聞でこんな事を言っているのを読んだ記憶があるんですよ、いわく、「良い本は、地下水のようにじわじわと売れ続け、読まれ続ける」と。
 『失踪日記2 アル中病棟』が爆発的にヒットしているなら無論それは大いに喜ばしい。けど、一過性の大騒ぎに終わらず、「じわじわと」読まれ続けて欲しいと僕は願い、またそうあって然るべきではないか? と思うのです。

 なお、作者のアルコール依存症について記された書籍としては他に、実録! あるこーる白書が存在します。



狂想曲 美少女コレクション 1969-2013



(河出書房新社 2013年10月30日初版)

 手元に配達されたのは10月27日だった。サイズはおよそ260 × 187 mm、堅表紙の装丁で128ページ、ずっしり重い。



 題名に「1969-2013」とあるのだが、これは作者のデビューから現在までを網羅するという編集意図を示したもののようで、「内容」を説明したわけではないらしい。というのは収録されている絵で最も初期のそれと思われるのは「ふたりと5人」(1974年)単行本カバーの原画で(p.48-49)、それより前に描かれた絵は見当たらないからだ。


(カバーを外した状態)

 この点は残念であり、個人的には恨めしく思う。比較的初期の作品である「エイト・ビート」(1971)や「きまぐれ悟空」(1972)が、いつも必ず除外される。
 しかたないと言えば、しかたないのかも知れない。「美少女」は吾妻マンガの世界に殆ど最初から存在していたとはいえ、彼女達が少年マンガという舞台で主役並みの活躍をするまでになるには数年の時を待たねばならず、その結果、連載中にほぼ単身での肖像が描かれる事も皆無に近かっただろうからだ。ましてやカラーでのそれなど、望むべくもあるまい……。1980年代になってリメイク的にちょこっと描かれた「メチルちゃん」の肖像などは存在し、ここにも収録されているのではあるけれど(p.67、ちなみに書籍『マジカルランドの王女たち』では、同じ絵のキャプションが少し異なり(同書p.32)、右上が「色っぷる」、右下は「猫山美亜」となっている)。


(カバーを外した状態)

 そういった個人的な不満はさておき。
 紙質と印刷はやはり、とても良いと思う。僕が真っ先に気付き驚いたのは、「ピンク」の発色が、これまでに発表されている印刷物でのそれとずいぶん違っている事だった。



 最も分かりやすいのは「ポロン」の肖像ではないかと思う。この画集だと(p.52)衣服が珊瑚みたいな薄紅色なのに、これまでの印刷物ではもっと赤みの強い色調だったようなのだ(このサイトの表紙で借用している画像と見比べてみてほしい)。



 印刷の段階でわざと色調を変えたのか、インクの発色などに限界があってそうなったのか、事情はわからない。ともあれ、原画をより良く再現した絵を見、その複製を入手したいと望むなら、この本が必要だろうと思う。
 描き下ろしや、未発表だった美人画も9葉ほど収録されている。また、単行本初収録であろうものの中には、東京精神科病院協会による展覧会への出品作(p.118-9, 124-5)などもあり、これなどは会場へ行けた人いがい、これまで見る機会も無かったろう。なお「不思議な木の実」(p.72-73)という作品は、スライドショー形式で、フロッピーディスクを記録媒体として頒布された珍しいものの原画であるようだ。おそらく書籍への収録はこれが最初ではないかと思われ、これまた貴重なはずである。
 「あとがき」には作者の言葉と共に、「次の画集はこんな感じです」と記入された、エロティックなSFっぽい(?)カットがある。果たしてこれは本当の予告なのだろうか? それは時がたってみないと分からない……。



 そしてこの本には、「吾妻ひでお原画展」(2013.11.21-25、東京・池袋、2014.3.19-24、福岡)のチラシが入っていた(105 × 148 mm)。



カオスノート



(イーストプレス 2014年9月9日第1刷発行)

 カバーをめくると「『カオスノート』一問一答」と題された、以下のような紹介文がある。

Q 新作ですか?
A 8割方、『アル中病棟』の後に描きました。
Q エッセイ漫画ですか?
A 日記風ですが、ナンセンスギャグです。
(中略)
Q こういう幻覚を見ていたとか。
A 完全に創作です。
(後略)

 コシオビには、高橋留美子、吉田戦車、東浩紀ら3氏による一言コメントが記されている。

 内容は、1コマや2コマ、あるいは数ページで完結(?)している掌編を集めたもの。
 あまりにも大雑把な計算ではあるけれど、仮に、1ページで2つずつアイディアが埋め込まれているとしたら、本書は254ページなのでその倍、508ほどの(変な)アイディアがこの1冊に詰まっているという、どえらく高密度な数値になる。
 あまつさえ、カバーの裏には「没」になったアイディアが数例、載せられている。こういう(変な)「没」アイディアがどれほどあるのか知らないが、それらも加算したら、さらにとんでもない数値になるのだろう。
 ……こういう(変な)事をやってのけられる人というのは、ちょっと他にいないのでは……。

 作者自画像を別にすれば、この本に、「(創作された、いわゆる普通の)主人公」は出てこない。だから「(全体を貫く、起承転結の)物語」や、「(登場人物たちの絡み合いで発生する)ドラマ」は無いし、更にやや極端な言い方をすれば「(喜怒哀楽の)感情」も無い。

 個人の無価値な感想を言うのがもしも許されるなら、それらの(けだし)定石であろう諸要素が、全部わざと捨てられたのを残念にも感じる。
 しかしマンガは決して、アニメや映画や小説の代用品ではないはずだ。

 表現方法としてのマンガの、前衛的な可能性を実験しまくった、興味深い1冊になっていると思う。



ひみつのひでお日記



(角川書店 2014年9月30日初版)

 公式サイトで公開されていた日記マンガを収録した書籍。以下のような台詞が「まえがき」にある。

「この本は自費出版した「ぐだぐだひでお絵日記」の続きです」「2011年6月までホームページで描いてましたが 疲れちゃったのでやめた」しかし「日記をやめたおかげか描き下ろしの仕事に専念でき」、「「アル中病棟」やっとアップ 8年かかった」

 収録されている日記マンガは全部でおよそ16ヶ月ぶんになる(2009年10月~2010年8月、2011年3月~2011年6月、2014年4月)。このうち、最後のものは2014年4月(から6月)の経験に基づく描き下ろし新作。萩尾望都の出版記念トークショーにゲスト出演した時の裏話も記されているのだけれど、吾妻ひでおが骨の髄までSF人間であることを聴衆に再認識せしめる催しとなったようだ(?)。
 巻末には「あとがき」マンガ1ページのほか、Twitter(2014年)での珍発言なども収録してある。

 (最高にどうでもいい蛇足だが)僕は、本の題名とカバー画像を最初に見た時、「ひょっとしてこれは、主人公の「ひでお」が魔法の鏡に「ネリマク・マヤコン!」とか呪文をとなえて変身し、「ひみつのヒデ子ちゃん」になって東京都ネリマ区で活躍する魔法少女マンガか?」などと一瞬(そんな事あるわけないのに)妄想した。アホです……。




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