Home / Site Map / Previous / Next

60 (年表など)

I write at this page;

(1) a timeline,
(2) fan clubs,
(3) animated cartoons,
(4) coterie magazines

...and so on.

はじめに

 このカテゴリーでは、

(1)年表
(2)ファンクラブ事情
(3)アニメ事情
(4)同人誌事情

などを扱っています。



年表

<TimeLine of Hideo Azuma>


(注意1:"作品リスト"としては大幅に省略してあります)
(注意2:"*月"というのは出版物の場合"*月号"の意で、実際の日付と必ずしも一致しません)





1950, Hideo Azuma is born at Urahoro-chou, Tokachi-gun, Hokkaidou, Japan

昭和25年(1950)
 北海道十勝郡浦幌町に生まれる。

-------------------------------------------

1963, Hideo Azuma watches TV show "My Favorite Martian" (?)

昭和38年(1963)
 (『うつうつひでお日記』のインタビューで「アイラブ火星人」を観ていたとあるのは「ブラボー火星人(My Favorite Martian アメリカでは1963年から放送)」のことではないかと思われる)


1965, Hideo Azuma gets into a highschool

昭和40年(1965)
 高校入学。

-------------------------------------------

1966, Hideo Azuma reads a how-to book that is written by Shoutarou Ishimori the manga artist, begins to paint original cartoon at coterie magazine

Hideo Azuma begins to read Sci-Fi stories

昭和41年(1966)
 (インタビューによれば「ゴジラ」映画の他にTVの「ウルトラQ」も観ていたらしい?)
 高校2年の時、石森章太郎『マンガ家入門』を読む。秋田県の「砂時計」という同人誌に参加。SFを読み始める。


1967, Hideo Azuma joins "Gra-Com" the club for amateur manga artists

昭和42年(1967)
 高校3年の時、同級生の松久由宇の紹介で"ぐらこん北海道支部"に入会、会誌「ミロ」にコメントを載せる。("ぐらこん"とは、虫プロが発売していた"COM"という月刊マンガ雑誌が全国のアマチュアを組織化していた一種のサークルの名称らしい。"COM"は青林堂の"ガロ"とともに、前衛的なマンガを発表する場になっていたようだが、現在どちらも休刊。)


1968, Hideo Azuma goes to Tokyo, gets a job
Hideo Azuma resigns, lives off his friend
Hideo Azuma is employed as an assistant of Rentarou Itai the manga artist (in summer, exact date unknown), rooms, live alone

昭和43年(1968)
 上京し就職。退職して友達の所に居候。
 夏、板井れんたろうのアシスタントに応募、採用される。このころ高田馬場に下宿。


1969, Hideo Azuma begins to draw cuts at monthly comicbook
November, Hideo Azuma paints "Ringside-crazy", makes his debut at monthly comicbook

昭和44年(1969)
 アシスタントのかたわら「少年サンデー」や「まんが王」にカットやコママンガを描く。
 11月「リングサイド・クレージー」でデビュー、「まんが王」に毎月作品を発表するようになる。


1970,"Futsukayoi Dandy" appears on May.
Hideo Azuma reresigned from Rentarou Itai's studio, in summer, became independent.
"The Iropple" appears on September.
"La Bamba" appears on December.

昭和45年(1970)
 5月、『二日酔いダンディー』の連載を開始。このころ都立家政(武蔵野荘?)に住む。
 夏、板井れんたろうのアシスタントを辞めて独立。
 9月『ざ・色っぷる』連載。(『失踪日記』p.128でみると、この時アシスタントを雇っていたらしい?)
 12月『ラ・バンバ』連載。

-------------------------------------------

1971,"Eight Beat" appears on June.
"Suki! Suki!! Majyo-sensei" (Its original author is Shohtarou Ishimori) appears.

昭和46年(1971)
 このころ上井草に住む。
 6月『エイト・ビート』連載、初めてアシスタントを雇う(注:『吾妻ひでお大全集』の記述による)。
 石森章太郎が原作の『好き!すき!!魔女先生』連載。


1972,"Kimagure Gokue" appears on January.
"Futari to Gonin" appears on September.

昭和47年(1972)
 1月『きまぐれ悟空』連載。このころ大泉へ移る。
 9月『ふたりと5人』連載。


1973,Hideo Azuma got married.
"Animal Company" appears.

昭和48年(1973)
 結婚。
 初めて青年マンガ(『アニマル・カンパニー』)を連載。


1974, Hideo Azuma's first book "Futari to gonin" published.
"Yakekuso Tenshi" appears on December.

昭和49年(1974)
 5月、初の単行本『ふたりと5人』発売。
 12月『やけくそ天使』連載。


1975,"Oshaberi Love" appears on January.

昭和50年(1975)
 1月『おしゃべりラブ』(プリンセス)連載。

-------------------------------------------

1976, "Midare Moko" appears on October.

昭和51年(1976)
 10月『みだれモコ』連載。


1977, "Olympus No Polon" appears on September.

昭和52年(1977)
 9月『オリンポスのポロン』連載。


1978, "Parallel Kyoushitsu" appears on March.
A first special feature article of Hideo Azuma appears on July.
"Fujyohri-nikki" appears on November.

昭和53年(1978)
 3月『パラレル狂室』連載。
 7月「吾妻ひでおのメロウな世界」(月刊OUT)、初の特集記事。
 11月『不条理日記』発表。


1979, Hideo Azuma won a prize of "Seiun-shoh" on August.
"Fujyohri-nikki" published on December.

昭和54年(1979)
 8月星雲賞コミック部門で受賞。
 12月『不条理日記』(奇想天外社)発売。

昭和55年(1980)
 1月『スクラップ学園』連載。
 『SFファンタジア6 マンガ編』(学研)で吾妻作品が紹介される。
 7月 『吾妻ひでお作品集』1~4(奇想天外社)発売開始。
-------------------------------------------
昭和56年(1981)
 4月『ハイパードール』(マイアニメ)連載。
 7月 『陽射し』(奇想天外社)発売。

昭和57年(1982)
 1月『プリティギャルズ・シリーズ』
(マイアニメ)連載。
 5月『オリンポスのポロン』がTVアニメ化され放送開始。

昭和58年(1983)
 4月『ななこSOS』がTVアニメ化され放送開始。
 5月『魔ジョニア☆いぶ』連載。
 AZICON1(第1回吾妻ひでお大会)開催?

昭和59年(1984)
 12月『ミニティー夜夢』発売。
    『Hideo Collection』1~7(双葉社)発行開始。

昭和60年(1985)
 2月『ぱるぷちゃんの大冒険』発売。
 4月『あめいじんぐマリー』発売。
-------------------------------------------
昭和61年(1986)
 7月『ななこSOS ななこ&ひでおのイラストーリー』(『ななこSOS 5』(光文社))。

昭和62年(1987)
 5月『UWF流スケバン刑事』(別冊Comic Box 2 セーラー服少女伝説)執筆。

昭和63年(1988)
 6月『ひでおと素子の愛の交換日記 4』に執筆。

平成1年(1989)
 8月『ハンマー・シャーク』(SFマガジン 8月号)発表。
 9月『新・吾妻ひでおの“読書絵日記”』(週刊宝石)発表。
 11月 失踪。

平成2年(1990)
 4月『続・吾妻ひでおの“読書絵日記”』(週刊宝石)発表。
-------------------------------------------
平成3年(1991)
 7月『バイバイ スクール -学校の七不思議事件-』(講談社)に挿絵を執筆。

平成4年(1992)
 2月『Dr.あじまのどーしました?』(モノ・マガジン)発表。
 4月 失踪。

平成5年(1993)
 2月『ガス屋のガス公』を社内報に発表。
 3月『定本不条理日記』発売。

平成6年(1994)
 (このころ、投稿したが本物の「吾妻ひでお」ではないと誤解された?)
 『美美&亜衣』発売。

平成7年(1995)
 8月『Oh!アヅマ』発売(コシオビに「10年ぶり」の文字)。
 10月『池猫』を『筒井漫画涜本』に発表。
-------------------------------------------
平成8年(1996)
 3月『アズマニア』(ハヤカワ文庫JA)発売。
 7月『ハヤカワ文庫 夏のブックパーティ'96』に執筆。

平成9年(1997)
 『エイリアン永理』、『クラッシュ奥さん』を執筆。

平成10年(1998)
 9月『クラッシュ奥さん 1』発売。
 12月 入院。

平成11年(1999)
 12月『吾妻ひでおの不自由帖』発売。

平成12年(2000)
 『エイリアン永理』発売。
-------------------------------------------
平成13年(2001)
 『産直 あづまマガジン 1』発売。

平成14年(2002)
 『クラッシュ奥さん 2』発売。
 『産直 あづまマガジン 2』発売。

平成15年(2003)
 『産直 あづまマガジン 3』発売。

平成16年(2004)
 3月『便利屋みみちゃん』連載開始。
 7月『うつうつひでお日記』執筆開始。

平成17年(2005)
 2月『オリンポスのポロン』(早川書房)発売。
 3月『失踪日記』発売。
   『ななこSOS』(早川書房)発売。
 5月 第34回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 12月 第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。
-------------------------------------------
平成18年(2006)
 5月 第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。
 7月 第37回日本SF大会星雲賞ノンフィクション部門受賞。

Sissou3
*画像は『失踪日記』(2006年5月19日第13刷)のカバーとコシオビ。

平成19年(2007)
 1月『ネオ・アズマニア3』発売
   『逃亡日記』発売

平成20年(2008)
 1月『ぶらっとバニー完全版』発売
   『チョコレートデリンジャー』(青林工藝舎)再版
 8月『うつうつひでお日記DX』(角川文庫)発売
 9月『うつうつひでお日記 その後』発売

平成21年(2009)
 3月『地を這う魚 ひでおの青春日記』発売

平成22年(2010)
 3月『失踪入門』発売
 11月『産直アズママガジン増刊 ふらふらひでお絵日記』発売

-------------------------------------------

平成23年(2011)
 2月、米沢嘉博記念図書館で『吾妻ひでおマニアックス』開催
 4月『吾妻ひでお美少女実験室』(明治大学博物館特別展)開催
   『文藝別冊 総特集 吾妻ひでお』発売
 5月『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川文庫)発売
 12月『失踪入門』(徳間文庫)発売

平成24年(2012)
 1月『Azuma Hideo Best Selection』として『21世紀のための吾妻ひでお』発売
 2月『ぶらぶらひでお絵日記』発売
 4月『ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお』発売
 7月『文藝別冊 総特集 吾妻ひでお』が第43回 星雲賞 ノンフィクション部門で受賞
   『よいこのための吾妻ひでお』発売
 12月『産直あづまマガジン増刊・ぐだぐだひでお絵日記』発売

平成25年(2013)
 3月『実録! あるこーる白書』発売
 4月『さまよえる成年のための吾妻ひでお』発売
 9月『あるいは吾妻ひでおでいっぱいの吾妻ひでお』発売
 10月『失踪日記2 アル中病棟』発売
    『狂想曲 吾妻ひでお 美少女コレクション 1969~2013』発売
 12月 フリースタイル「THE BEST MANGA 2014 このマンガを読め!」で『失踪日記2 アル中病棟』1位となる

平成26年(2014)
 3月 『デビュー45周年記念 吾妻ひでお原画展』開催(博多阪急)
 5月 『対談集『愛するあなた 恋するわたし』』(萩尾望都)発売記念トークイベントにゲスト出演
 9月『カオスノート』発売
   『ひみつのひでお日記』発売
 10月 『チョッキン[完全版]』発売
 12月 『癒しとしての自己表現展』(東京・八王子)に出品
     『朝日チャリティー美術展・第87回大阪展』に出品



ファンクラブ事情

 この件については『吾妻ひでお大全集(奇想天外社1981年)』に記述があるのだが、この雑誌は遊びで作られたような部分をかなり含んでいるようで、どこまでが真面目(事実)でどこからが冗談なのかあまり判然としない。記録されている当時のクラブには以下のような名称が見られる(順不同)。(追記:雑誌「SFイズム」の記事によれば1983年夏の時点では全国に20から30の組織が存在したという。また、以下の記述には他の出版物や、『吾妻ひでおマニアックス』(2011年 於:米澤嘉博記念図書館)での展示物解説文などを参照し加筆した部分もある。)

(1)大日本吾妻漫画振興会

   (東京。1979年に世田谷区代沢で発足、同年12月「吾妻ひでおに花束を」(A5版、本文112ページ、限定500部、1部送料とも500円だったらしい)発行。その版元である虎馬書房は、振興会が出版物を出す際の名称であった由。)

(2)知佳舎

   (東京。(1)と同一クラブか。"クルムヘトロジャンの「へろ」"など発行。)

(3)東大吾妻会

   (神奈川県。会誌「キアズマ」発行。)

(4)はあど・しゅ~る新聞社

   (神奈川県。発行部数2500部だったという。「はあど・しゅ~る新聞」は、大日本吾妻漫画振興会の出版部である虎馬書房が発行していたらしい。)

(5)あじましでお不安倶楽部

   (神奈川県。「吾妻ひでお不安倶楽部」と同一であるとすれば、「やけくそ天誌」「プティアジマ」、更に会誌「アジマフ」を発行したらしい。)

(6)シッポがない

   (京都府。「どこでも会誌」および月刊の会報「イトミミズ」を発行。(追記:スタジオRAMIと共に「吾妻総進撃」(第1回吾妻ひでお大会=AZICON1のオープニングアニメ)を制作したらしい。1983年秋に会長が転居し引退、解散したという。)

(7)大日本吾妻ひでお翼賛会

   (広島県。「うろ~ん」発行(この「うろ~ん」はもともと広島大学SF研究会会誌「アレフ・ゼロ」の吾妻ひでお特集だったのだが、後に独立したファンクラブ活動を始め、その会誌となったらしい)。月に1回"暗い青春の会"を開催。別称"全日本吾妻主義者共闘会議"(略称"アジ研(あじましでお研究会)")、下部組織"民聖同盟(民間聖少女愛好同盟)"。「吾妻ひでお氏直々の黙認を受けている唯一の団体」との説明あり。)

(8)吾妻ひでお友の会

   (1971年頃結成。石森ファンクラブのメンバーが中心で、『エイト・ビート』の単行本化を目標に活動してこれを実現したという。)

(9)POCO

   (神奈川県? 1978年、女子高生により結成された。一般に会員を募ったファンクラブでは最も古いのだとか。なお「Poco」というのはクラブの名称ではなく、「吾妻ひでおF・C」の会誌の誌名、というのが正しいらしい? その創刊号の表紙には、吾妻ひでお直筆の『美美』の肖像画が用いられていたようだ。他に会報として「どーでもいんなー新聞」を発行したという。)



アニメ事情

 吾妻マンガはTVアニメ化される以前にも、自主制作映画という形で掌編アニメが何本か作られたようだ。『吾妻ひでお大全集』には『シャン・キャット』のアニメ化が進んでいる事を報じたページがある(p.256。制作:映像企画集団マッドマウス、16ミリカラー、11分。ただ残念ながら完成には至らなかったらしい?)。なお『シャン・キャット』はこれ以前にTVアニメ化の企画もある程度まで進んだのだが頓挫したという(詳細不明)。



("AZICON OPENING ANIMATION"の登場人物)

35c

(2009年1月11日付記:
 このアニメ作品に関して、大西秀明氏(「シッポがない」事務局長)から資料を提供して戴くことができました。この記事で使用している画像は全て、氏が所蔵しておられたスチール(背景画の上にセルを置き写真撮影したもの)からおこしています。映画は8ミリで撮られたゆえに不鮮明な箇所もあり大変惜しまれるのですが、その元となったセル画はかように美麗なものであったことが分かります。
17

 この記事では主に、登場キャラクターと原作たる吾妻マンガのつながりに関し記しています。映画作品それ自体については、別のカテゴリーでより細かい紹介をさせて戴いています。)
46b

 『オールスタァ十三大キャラ 吾妻総進撃』(9分48秒(? 本編のあと、後半にメイキング映像を含む)というのがこのアニメ映画の正式題名かと思われます。画面字幕によれば「制作 スタヂオラミ しっぽがない」。
 題名には「十三大キャラ」とあるのですが、どうも以下のようなキャラクターが顔を見せているようです。

ドンちゃん(太陽夕子『翔べ翔べドンキー』
02

長万部(アニメ版『ななこSOS』
Mr.ウイ(『ラ、バンバ』他)
01

ギガゲンゴー(メカ、『ぶらっとバニー』
猫山美亜(『スクラップ学園』
08

ロボット・ブキミ(巨大、『メチル・メタフィジーク』他)
チョッキン(『チョッキン』
チョッキンの担任(『チョッキン』)
Wさん(担当編集者)
ななこ(『ななこSOS』
絵美(『チョッキン』)
18c

沖由佳雄
ナハハ(ロボット、『シッコモーロー博士』他)
くぬやろ(『スクラップ学園』?)
12

三蔵(『チョコレートデリンジャー』
13b

イトー(『ネムタくん』他)
のた魚(怪戦闘機、『ひでお童話集』他)
ポロン(『オリンポスのポロン』
23b

アポロン(『オリンポスのポロン』)
ゼウス(『オリンポスのポロン』)
美美(『美美』
犬塚信乃(『贋作ひでお八犬伝』、ほんの一瞬だけれど彼女の胸があらわになるカットがあって、この映画で唯一、ちょっぴりエロティックな場面となっている。)
26b

(「シベール」の看板)
シャン・キャット(『シャン・キャット』
42b

ブラックちゃん(『ぶらっとバニー』)
ネコだましのジョー(『シャン・キャット』)
ぱるぷちゃん(『ぱるぷちゃんの大冒険』
45b

どろろん忍者(『どろろん忍者』
くの一るみ子(『どろろん忍者』)
40b

新井素子
チョコレート・サンデー(『チョコレート・デリンジャー』)
41b

モコ(バズーカ砲の少女(『みだれモコ』))
35b

アーさん(吾妻ひでお自画像)
阿素湖素子(『やけくそ天使』
しっぽくん(大トカゲ、『るなてっく』他)
54b

 舞台が大阪であるため、かの「くいだおれ人形」(らしい)も、某菓子メーカーの陸上競技選手も、或る役で出演。
 『ふたりと5人』以前の時代の吾妻キャラクターは、残念ながら登場していないようです。
36

 効果音とBGMのみで、俳優による声のお芝居はほぼ皆無ですが、制作には大変な手間と予算がささげられているものと思われます。

(2009年1月6日付記)
 この映画については葉影立直氏(アニメ化された『TOKIO機動ポリス』や、小説『宇宙船ダイアナ号の叛乱』作者)が当時の事情をご記憶で、いろいろ教えて下さいました。それによると、制作費は会員のカンパと、ポスターやシールの販売利益でまかなわれたそうで、しめて数十万円(このころ新入社員の月収が十万円程だったかと思われる)が投じられているようです。また完成後に当作品は、ゼネプロ(現・株式会社ガイナックス)によりOVA(オリジナルビデオアニメ)化されているとの事でした。
__8

(画像資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長))
 「スタジオラミ」(吾妻ひでおFC「シッポがない」の会員が、FCとは別に作った自主アニメ製作のサークル)がアニメの原画、動画、背景、撮影、編集などを行い、「シッポがない」の会員がトレスと彩色を担当したそうです。



(吾妻マンガとアニメ)

 吾妻ひでおはTVアニメもけっこう観ていたのか、自作品のなかでちょっと言及している例がある。1つは『アニマル・カンパニー』の『アルプスの少年とか少女とか』の回(プレイコミック 1974年2月23日号)で、ここでは『アルプスの少女ハイジ』がネタになっている。しかし最も熱が入っていたように感ぜられるのは『女王陛下のプティアンジェ』(1977~1978年に放送)という作品だろう。こちらは『やけくそ天使』の『オレたちには明日があ~る~さ~♪』の回(プレイコミック 1978年4月13日号)で主人公がコスプレ(仮装)をしたりしている。そしてそれにとどまらず、このTVアニメはその後も吾妻マンガに影響を及ぼしている(らしい?)のだ。
Siori1Siori2
 どのようないきさつで企画が整い作品が誕生したのかは不明だが、吾妻ひでおは『ハイパードール』(1981年)というシリーズをアニメ雑誌「マイアニメ」に創刊号から連載しており、そのキャラクターデザインはどうも『女王陛下のプティアンジェ』が元ネタになっているらしいことがうかがえる。『ハイパードール』は全9話で終了したようだが、吾妻マンガのなかで特異な位置を占める作品と言えるのではないかと思える(画像は連載当時1981年9月号のふろくであった"しおり"の表と裏)。
Cardcase
 『ハイパードール』連載終了の翌年には、「アニメージュ」で『ロリコンキャラのきわめつけ「プティ・アンジェ」』という記事が掲載され(1982年4月号)、吾妻ひでおはヒロインのアンジェと手をつないで踊る自画像を発表していたようだ(実物未確認)。さらにこの号には「児童用 ロリコントランプ」なるふろくが付いていて、吾妻ひでおはそのカードケースのイラストレーションを描いている(画像)。テニスルックの3人はどうもラナ(『未来少年コナン』)・クラリス(『カリオストロの城』)・アンジェ(『女王陛下のプティアンジェ』)らしいのだが、その隣の女学生(? セーラー服の夏用上衣に水玉模様の学生鞄)はアンジェ単独のパロディのようである。
 そんなこんなでアニメ雑誌にも執筆連載するようになった吾妻ひでおだったが、そのあと自作品である『オリンポスのポロン』と『ななこSOS』がそれぞれ1982年、1983年にTVアニメ化され放映されるに至っている。

__9

(少し記述が前後するが、画像は、月刊誌「OUT」の1981年3月号表紙(資料提供:大西秀明氏(吾妻ひでおFC「シッポがない」事務局長)。ここで吾妻ひでおは、TVアニメ『未来少年コナン』に登場し大変な人気者だった少女・ラナ(だろう)に日本の女学生の服を着させた表紙画を描いている。言わずもがな原作のTVアニメに、彼女がこのような装束で登場する場面は、無い。)


(2008年8月10日付記)

 21世紀になってから作られた吾妻アニメとしては、神戸芸術工科大学の学生たちによる実習作品『ななこSOS ネコの首風雲録』が存在するようだ。



同人誌事情

 吾妻ひでおが寄稿した同人誌には以下のようなものがあるらしい(ファンの発行したファンジンを除く)。

(1)砂時計
 秋田県の同人誌。「作品は1本の半分を発表した」(『吾妻ひでお大全集』インタビューより)とのこと。
(2)ミロ
 北海道ぐらこんの会誌。作品の発表はなく、コメントのみ載ったらしい。
(3)
 バンパイアクラブの会誌。No.1、2、5に作品発表したらしい。

*VAMPIRE CLUB は、1970年に発足したものと思われる。創始者であるらしいM.A.氏のお話によれば、「たんに、まんが好きだけの集団」で「理念があるわけでは」ないという。氏は石森章太郎ファンで、それゆえ石森先生に名誉会長を引き受けて戴くことができたようだ。1980年頃の会の代表は真乃呼(まのこ)氏で、『光の結晶』(2ヶ月に一回の機関誌)、『赤いバラ』(肉筆回覧誌)、そしてオフセット会誌(A5版らしい)の『鏡』を発行している。このうち『鏡』は「多くの方から評をいただくための役割」を持ち、『赤いバラ』は、「”鏡”に収録できなかった作品と”鏡”をみて技術的に作品をみたいというためのもの」であるという。(アニメージュ増刊SFコミックス<リュウ>Vol.5(1980年)、p.249~『ふぁんだむガイド第1回 バンパイヤ クラブ』の記述から。)

(4)赤いバラ
 バンパイアクラブの肉筆回覧誌(印刷物ではなく生原稿をファイルしたものの事で、コピーが普及する前の時代にはこうした方法がとられていた)。表紙を描いたりしたという。
(5)ALICE
 「無気力プロ」がファンサービスとして発行したもの。
(6)ミャアちゃん官能写真集
(7)シベール
 VOL.1の奥付は1979年4月8日、定価300円だったようだ。





inserted by FC2 system