Home / Site Map / Previous / Next

97 (映画『シベールの日曜日』など)
(1)はじめに



 吾妻ひでお作品に関係する話が持ち上がる時、しばしば言及される映画のひとつに『シベールの日曜日』(1962)があります。既に何度か書きましたとおり僕はこれを1978年7月14日、無気力プロでお手伝いさせて戴いている時、吾妻先生や沖さんがおられたその部屋で一緒に、TVで、初めて観た(らしい)んですが、当時何をどれほど理解していたやら、今になって映画を観なおしてみるともう全然自信無いです。どういう事かと申しますと……。

 吾妻ひでお作品からは話題がそれてしまいますけれど、この映画の事、同人誌『シベール』の事(こちらは、知っている事が非常に限られているのですが)などを、少し書いてみようかと思います。

注意! 映画のあらすじやその結末についても感想に交えて全部書きますので、まだ観たこと無いかたは、以下の記事を読まず、(17)まで、とばして下さい。『シベールの日曜日』はアカデミー外国語映画賞などを受賞した作品なので、お近くの公立図書館にビデオテープ等が所蔵され、無料で借りられる場合もあるはずです。なおここで記した映画の台詞は、東芝EMI版ビデオの日本語字幕(小林ユリカによる)と英語字幕の両方を参考にしています。)



(2)風見鶏



 例えば、この映画において要の1つとなるであろうくだりで、少女シベールが、なにゆえ尖塔(照明の指示をしている人が神父みたいに見えるので教会堂か)の頂上にある風見鶏などという物品を欲しがるのか、よく分かりません。およそ女の子らしからぬ要求と思えるうえに、どちらかといえばこれを必要としたのは青年ピエールのようですし(彼はこれを取り外すのに成功した直後、それまでずっと苦しめられていた「めまい」を突然、感じなくなっています)。
 まるで、この金属製のまがいものの鳥(だから言わば”飛行機のような物”でもあるのでしょうか)を地上へと引きおろす事は、復員した今もなお遠い異国の戦場の空にあった彼の心がやっと着陸できた、という暗示みたいに見えますが……?
 初めてこの映画を観たあの当時、僕はそうした点を全く考えませんでした……。



(3)変態さん



 この映画を初めて観た後でも僕は、これが「ロリコン映画の古典」みたいな認識を持っていて(また、あちこちでそのように書かれているのを読んだ気がする)、だから年月が過ぎ、今度は民放の吹替え版ではなく、NHKで字幕版が放送されていると気づいた時に、「お堅いNHKがねえ?」とか考えた記憶があるんですよ。
 しかしそれって、劇中、終盤で、ピエールのことを「変態さん(サティール)」とみなし、あげくに死なせてしまった、町の人たちと同じではないかと思うんです。
 とどのつまり僕は主人公の内面について何もつかんでなかったんでしょう……。



(4)狂言回しの二人



 主人公の心を理解するという点では、芸術家のカルロスが、正しくこれを把握し適切な助言を最初からしていたように見えます(彼の家の玄関には天使像があり、その部屋を訪ねるにはエレベータで上へ昇らねばなりませんが、これは彼の発言が天からのものである、といった暗示なのでしょうか)。初めのうち戸惑っていた恋人のマデリン(マドレーヌ)は、カルロスにさとされて理解することが出来るようになりピエールと少女の間柄を安心して見ていられるようになるみたいで、ためにクライマックス、自動車の中の場面では、医師であるらしいベルナールに向かって、ピエールを弁護する発言をしているわけなのでしょう。
 ところがなんということか、僕はカルロスとマドレーヌ、この2人の事を、21世紀に入ってみると全く忘れていました……。



(5)春画の幻



 ロリコン映画だとかの認識を何によって僕が吹き込まれたのか正確には分からないんですが、そもそもこの映画にエロティックな要素などは皆無に近いし(真冬の物語だから少女シベールは脚さえあらわにしてはいないのです、父親の無思慮の結果なのかコートの下に半そでの服を着ていたりはしますが)、もし映像にそういう条件で注目したらせいぜい前半に、マドレーヌが下着姿で登場する1カットくらいしかないのではと思うんですね。
 青年ピエールとうちとけてくるにつれ、少女シベールが事あるごとに彼へ抱きついてくる場面は何度もありますけれど、それは彼女の孤独の、子供らしい発露であって、何か性的な暗示と受け取れるような描写は無いだろう気がします。どうも、映画を観る前(そして後)に、これはロリコン映画であるといった評価を繰り返し読み聞きして、そう思い込んだような気がします。



(6)明かされない真実



 青年ピエールの記憶喪失はこの物語で根底を成す要素かと思うんですが、その描写は(原作だとどうなのか知らないのですけれど少なくとも映画では)曖昧なところがあり、それがために作品が分りにくくなっている気もします。
 記憶を(それも戦地での事だけではなくて自身についてのあらゆる事を)失うくらいなのだから、本人がよほど強烈に「全てを忘れたい」と切望したのではないかと思うんですが、そうまで自身を追い込んだという事はやはり、青年ピエールが実際に少女を死なせた確率が高いのでは、と感じさせます。しかし劇中にそれを明言した箇所は無いみたいで、マドレーヌが彼と出会った時を回想し、病院へ運び込まれた時に”彼女は死んだのか? 僕が殺したのか?”と言っていた、という話をカルロスに告げているくらいのようなんですね。



(7)ハリウッドだったなら



 もしピエールが戦地で実際に少女を死なせたというのであれば、物語的には幾らか単純になって、分かり易くなりそうに思えます。つまりは、ピエールが自ら閉ざし封印した記憶の扉を開くには、過去になした事への「贖罪」が必要であって、その鍵となるのが少女シベールであり、肉親から愛されずに育ったゆえ愛される事に飢餓のある彼女を孤独な運命から救済することが、彼自身の救済ともなるのだ、と。それゆえ双方が補い合うように引かれていった彼らの「恋」は他人の目にどう映ろうともふたりが救われて生きてゆく為にはどうしても必要なことだった、にもかかわらずそれを知らぬ者たちが年齢差だけに注目し、彼ら2人の関係を異常なものと否定して破壊するのだ、と。



(8)乙女心の厄介さ



 しかしピエールとシベールの関係をどう認識すべきなのか、映画が観客に与えているのはむしろ混乱であるかに見えるんです。
 シベールの台詞を追ってみると、ピエールの部屋から修道院へ帰される直前、
「みんな あなたを私のお父さんだと思うわ ね 私たちきっと楽しくなる わたしいい子でいるし あなたをうんと愛するわ 独りにしないで」
と頼んでいます。この段階だと彼女は父親を欲しているかのようです。これが、次の日曜日に再会して湖のほとりを歩いている時になると、
「私が18の時あなたは36歳ね まだ若いわ 私が18になったら結婚しましょうよ」
と言っているんですね。そして、
「できる事ならずっと一緒にいたいわ わたし あなたの婚約者なんだもの」
と加えています。
 人間の、異性に対する要求は、そういった二面性を持つのがむしろ普通なのかも知れないですが……。



(9)代弁



 いっぽうピエールの内面については、彼自身よりも、彼の周囲に登場する男たちがいろいろ興味深い事を言っているようです。シベールが「私の木」だと決めているそれを絵に描いていた男はピエールに、
「僕は美しいものを見るとすぐ描きたくなる でもそんな時間は日曜日しかないんだ そのうえ女房も理解してくれないんだよ 僕のこの情熱を 理解しないどころか 非難ごうごうなんだ」
と言っていますが、別に妻を捨てて絵を描く事を選ぶという二者択一をするつもりなどは無いらしい彼のありさまは、ピエールの内面を考えるうえでもヒントになりそうに思えます。
 また、カルロスはマドレーヌに相談された返事に、
「でも大騒ぎしちゃ駄目だ ピエールは君を愛してるよ」
と言い、
「彼は恋してるのさ それだけだ 恋人たちが秘密を持つのは自然な事 嘘とは違うだろ」
と弁護して、
「彼の想いは純粋無垢だよ 子供だった頃を生きなおしてるのさ」
と説明しますが、マドレーヌに対してさらに、
「信頼を取り戻すのが良かろう 彼に分からせるんだ 彼が君を必要なのではなくて 君が彼を必要なのだとね 彼だって話したいはずだよ」
と結んでいます。



(10)不満あるいは危惧



 マドレーヌのピエールに対する献身的な愛情が報われないかのようで、僕はいささか釈然としない部分があるんですが、その点もこの映画が僕にとって分かりにくい作品になっている一因なのかも知れません。愛情が単純明快な足し算や引き算で成り立つものではないとしても、カルロスの発言の趣旨はいったい、ピエールが過去の呪縛から自由になったあかつきには彼がマドレーヌのもとへ戻るだろうという事なんだろうか、しかしそうだとすればシベールが孤独から救済されずに捨てられるのではないか、と悩まされてしまうんですね。つまりは、シベールの幸福とマドレーヌの幸福が同時に両立しうるんだろうか、と。更に言えば、はてそれでピエールは幸福になれるのだろうか、と考えてしまうんです。



(11)反戦映画



 そうした、愛情というものについて論じられている柱がこの物語の中央にあるとして、同時に、権力が個人の自由を圧殺するという社会構造を告発する側面もまた、この映画にはあるように見えて、なおややこしい。
 たとえばピエールとシベールが初めて湖へ行く場面では軍艦の模型が湖面にうかんでいたりしますし、結婚式によばれたピエールが待降節(クリスマスの約21日前から始まる期間)だかに移動遊園地(? 欧米にはよくあるらしい)へ行くと休暇中らしき水兵たちの姿があったりします。このへんから推すとピエールはインドシナ戦争でフランス海軍航空隊のパイロットとして航空母艦から発進して機銃掃射したのかと思えますが、それはさておき、このように「軍隊」がピエールにつきまとっている描写は、彼を軍人に復帰させるべく世間が圧力をかけているようにも見えます。



(12)フランスの社会構造



 加えて、宗教組織や警察への不信も描かれているような感じです。少女シベールはギリシア人である祖母から与えられたその名前が「キリスト教的でない」という理由でフランソワーズと改名(?)させられていますし、ピエールがクリスマスツリーを運んでいるのを発見して父親に言い付ける少年は警官の仮装をしているように見えます(60年代だとフランスの警官はああいう、ピケ帽にインバネスみたいな制服だったと思う)。この少年を殴った、という事実があったせいで警察はピエールを危険だと判断し、そのうえ悪い事にナイフの意味を知らないから、射殺してしまったのかも知れませんが、ともあれ警察の行動によりシベールは救いを失っているわけです(人々は逆に、彼女を救出したと思い込むのですけれども)。彼ら二人が一体どんな重罪を犯したというんでしょう、生きるため愛し合った、ただそれだけの事だったでしょうに? 少女へ押し付けられた名前が、イザベルでもカトリーヌでもジャンヌでもブリジットでもなくて、フランソワーズで、最後に彼女がその名前を拒んでいるくだりを観ると、それが、
「フランスの自由はどこへいった?」
という問いかけであるかのように、僕には思えたんですが、どうなんでしょう。ともあれ、ひとりの少女の悲鳴が冒頭にあるこの映画は、ひとりの少女の嗚咽と叫びで幕を閉じています……。



(13)不明瞭な判断理由



 ピエールの死亡については医師であるらしいベルナールが彼を危険だと考えたのが一因のようですけれど、はてそれは純粋に医学的な誤診だったのか、それともマドレーヌへの横恋慕(これはマドレーヌが気づいており、結婚式へ出かける前にピエールへ話している)が入って判断を曇らせたのか、明確な描写は無いような気がします。
 マドレーヌにベルナールが説明している台詞では、
「君が僕に言っただろう 彼はかつて逃れた罰にあまんじるために人を殺すかも知れないって それによって強迫観念を取り除く 精神病患者はね」
と、なっているようですが……。
 フランス語での原文がどうなっているのか分からないのですけれど、僕は最初、ベルナールの所見を以下のように理解してました。すなわち、言ってみればピエールは少女の「亡霊」にとりつかれて(罪の意識にさいなまれて)いて、その(過去の記憶の)呪縛から自由になろうと願うあまり、(少女の「亡霊」を倒すようなつもりで)シベールを殺してしまう恐れがある、といった意味なのだろうと。
 しかし映画の字幕からすると、そういう意味ではないみたいにも見えます。ピエールが苦しんでいるのは、軍人として祖国に対する使命を果たさなかった(敵国の少女を殺さなかった)という一種の「敵前逃亡」の記憶であって、この時の不作為を償うべく、混乱して、少女シベールを代わりに殺してしまう恐れがある、というものなんでしょうかね……(してみるとベルナールは、ピエールの言ったらしい、”彼女は死んだのか? 僕が殺したのか?”という台詞を、殺した事への後悔ではなく、殺さなかった事への後悔であると理解しているように思えるのですが……)? もしそうだとすればこの作品は、そういった点からしてもまず第一に「反戦映画」たるべく撮られている(だから「ロリコン映画」云々と言う評価はおかしいのだろう)ように感じられるんですけれども……。
 なお、ベルナールがピエールを危険と診断したのは、彼が遊園地のダツゼム(dodgem cars)で、ぶつかってきた水兵たちに驚き、キスしてきたマドレーヌを殴ってしまい、ついには乱闘まで引き起こしたのを目撃しているせいかも知れませんが、マドレーヌに対しベルナールは、この事件を診断の論拠としてあげてはいないようです。これは何となく不自然ですし、やはりベルナールの意見には結論と言うか思い込みが先にあって、事実の観察を積み重ねたうえでの判断をしてはいないのだ、という描写にも見えますね……?



(14)地名の「なぜ」



 物語の舞台となっているヴィル・ダヴレイは実在する町のようで、それがあえて選ばれているということも、そうであらねばならない理由があるのでしょうし、原作の題名"Les Dimanches de Ville d'Avray "(『ヴィル・ダヴレイでの日曜日』という意味らしい)でははっきりその地名が述べられているほどですけれど、僕には理由が分かりません。フランス人ならすぐ合点が行くのかも知れないですが……。
 なお、映画の正式な題名は冒頭の字幕をみるに”CYBELE ou LES DIMANCHES DE VILLE D'AVRAY”(『シベール あるいは ヴィル・ダヴレイでの日曜日』という意味らしい)であるようです。『シベールの日曜日』という邦題は、この実在する地名が、日本人の観客にとってはあまり意味を持ち得ないだろうと読んで、簡略にし、書き換えたのではないでしょうか。
 


(15)教会の立場



 フランス社会の全域に深く強い権力を持っている(らしい?)カトリック教会への風刺もあるのかも知れませんが、あまりにもあからさまな表現は劇中に無いような気がします。
 ピエールと2度目に外出し、初めて公園へ行った時シベールが、
「パパは死んだわ」
と述べており、天にまします父なる神は私にとって存在しなくなった、という暗喩(あんゆ)の宣言なのだろうかと思いきや、その直後に彼女はこっそり、
「神様 ありがとう パパの代りに優しいピエールを私に」
と祈って十字を切っていたりするんですね。シベールはべつに、キリスト教(徒)を敵視するキャラクターではないようで、してみると原作者は、彼女とピエールの出会いを”神からの贈り物”であったとし(それで、キリストの生誕を祝う日とされるクリスマスに、シベールは本名を教え、ピエールは約束を果たして)、めでたくまとまる、だのに無理解な人々はピエールを殺してその神慮を破壊した、という趣旨で描いてるんだろうかとも思えます。
 そもそもイエス・キリストが政治権力者(ローマ帝国)と宗教家(ユダヤ人の祭司たち)によって殺されてしまうというのが福音書のあらすじでしょうから、ピエールの死は、それを暗示したのだろうかとも見えますし。



(16)お手上げ



 とにかく、二重三重に寓意があるかのようで、僕などは途方にくれるばかりです。しかし重要に思えるのは、そうした理屈を全て脇に置くとしても、
「これこそは僕の観たかった映画だ」
というような感動を、自分は、してなかったらしい点なんです。
 つまりは、結局、感受性ってものが、僕には無かったらしいんですね……。
 既に書いた通り、沖さんと蛭児神さんの意見が分かれたため、僕が同人誌『シベール』に参加する機会は無かったんですが、今にして思えばもし招かれて参与していたとしても、何一つ作品を描けなかったろう気がします。この件に関しては、初対面の後での短い会話で蛭児神さんが、僕という人間に才能が無いのを直感し、そしてそれが正しかったのだろうと思います……。沖さんが僕を誘って下さったのは氏が僕との交友から「声をかけてやらなくちゃ可哀相だ」と同情し、それで判断が鈍ったのが真相なんでしょう。



(17)吾妻マンガへの影響

 さて、やっと本題ですが、では、この映画『シベールの日曜日』は、吾妻マンガにどのような影響を与えているのでしょう。
 ……正直申しまして、よく分からないです()。薄幸な少女、というと『ちびママちゃん』が真っ先に頭に浮かびますが、彼女の登場は1975年で、ずいぶん早いですしね。
 個人的には『やどりぎくん』(1978~1979)が、ちょっと気になります。
 むろん、『やどりぎくん』に、シベールみたいな少女が登場するわけではありませんね。しかし、年齢差の大きい男女のラブストーリーである(男女の立場は逆転してますけど)という点、また、愛し合うことの自由、たとえ世間からどんなに奇妙に見られようとも、必要として求め合うのは本人たち2人が決める事である筈だ、といったテーマを副次的にかも知れないけれど描いている点(どちらも、吾妻マンガにおいて表現されているのは、これが唯一の作品ではないかと思う)に、僕は、なにか通ずるものがあるように感じるんですけど、どうでしょう。
 それと、美少女が登場するかどうか、というのはあくまでも絵画的表現においての事で、影響がそうした視覚的な部分にのみ出ると考える必要は無いのでは、とも思うんですよ。マンガは「絵」と「物語」、少なくともこの2つを構成要素に持つものなので(ここが、イラストレーションとマンガの違いだろうと僕は考えてるんですけど)、もっぱら後者のほうへ影響が出る場合もあるのでは、という気が、僕は、しまして……。
 少女を描く、という点に絞り込むとすれば(少女マンガである『翔べ翔べドンキー』(1979)を別にすると)、1980年に雑誌『少女アリス』で発表された一連の作品群(『陽射し』など)あたりがその開花だったんでしょうか。ただし、『翔べ翔べドンキー』では幸福なクリスマスが大団円になっており、映画『シベールの日曜日』では残酷なクリスマスで幕になって人々に踏みにじられた雪だけが最後に映る、という、ちょうど逆転させたみたいな締めくくりになっているようですが……。



(18)同人誌『シベール』

 むろん、最も直接的な影響が出たのは、同人誌『シベール』(1979年4月から81年にかけて全7冊が刊行されたらしい)に執筆された作品群なのでしょう。とはいえ、読者として僕が受ける印象では、『赤ずきん in わんだあらんど』(1979)など一連の作品に、映画『シベールの日曜日』の影響とおぼしきものは特に無いような気がするんです。
 何と申しますか、同人誌『シベール』で発表された吾妻マンガの作品群は、もともと作者の内面に醸造されていたものが、言わば種が機を熟してついに地上で発芽するように、形を得て目に見えるものとしてこの世に生まれ出たんじゃないだろうか? と。



(19)『シベール』と沖さん

 そんなふうに、影響というよりは「契機」のひとつを吾妻マンガに与えたのではと(僕には)思える『シベールの日曜日』なんですが、吾妻先生と同じ日に同じ部屋で、(おそらく)初めてこの映画を観た、沖さんはどうだったのかも気になるところです。
 単行本『失踪日記』p.144では、
「コミケからやおいを駆逐するぞ!」
という、シュプレヒコールと申しますか、勇ましい叫びがあり、たった1コマで説明されているここを読むと、いかにも決然と美術運動を開始したという印象を受けるかも知れませんが、僕はこのコマを読んだ時、ちょっと意地悪な思い出し笑いをしてしまいましてね。それはナゼかと申しますと、沖さんは、少なくとも当初の、同人誌『シベール』創刊準備の時期にはまだ、裏でこっそり、恥ずかしそうに隠れて何かやってる、みたいな感じが、傍目にはあったからなんです。



(20)喫茶「まんが画廊」

 沖さんには全く、お世話になる一方だったんですけれど、「まんが画廊」へ連れて行って戴いた事もその一つでした。ここには、誰でも自由に記入や閲覧のできるサイン帳みたいなのが置いてありましてね、既に何度もこの店に来ていたらしい沖さんはこれへ、何か描くべくシャーペンをとりました。一瞬迷って、苦笑しつつ沖さんは僕の顔を見るや、
「君には俺がロリコンなのバレてるから、いいか……」
とおっしゃられ(この言葉を逆にとれば、氏は「ロリコン」を知られたくなかったと考えられる)、何かをさらさらと描き始めたんです。それが完成し、見せてもらったら、竜子ちゃん(手塚アニメ『悟空の大冒険』に出てくるキャラクター)のファンアートが描かれているのでした。構図は、裸身にバスタオル1枚で前を隠しただけの彼女が背を向けて(だから赤ん坊みたいな可愛らしいお尻がちょっと見えてる)、誘いかけるかのようにコケティッシュな笑顔でこっちを振り返っている、というものでした。



(21)サイン帳

 絵が下手くそな僕は、この時サイン帳へ何も記入しなかったんですが(何も見ないで手塚アニメの似顔絵をすらすら描いちゃうような沖さんの隣のページに、ヘボい絵を描いて恥さらすなんて嫌ですよ!)、パラパラめくってみると、なかにはかなり上手な人もいて、ひときわ鮮明に覚えているのは、牧羊神パーンみたいに下半身だけ動物の姿をしている女の子が、右から左へと歩いてゆくさまを、連続して描いてある絵でした。もしかするとこれは、孤ノ間和歩さんによるものだったのかも知れません。
(うへぇ、これはすごい……)
と僕がうちのめされていたら、沖さんもこの絵に注目していたらしく、
「(その人は)アニメーターの卵なんだって」
と教えて下さいました。孤ノ間和歩さんに直接お会い出来た経験は僕は無いんですが、後日、氏は同人誌『シベール』へ参加された(?)ようで、このサイン帳はどうやら、そうした邂逅(かいこう)の場を提供していたらしいんですね。ともあれ、デビュー前の吾妻先生に喫茶『コボタン』があったように、沖さんにとって『まんが画廊』は、それに近い存在だったのかも知れません。



(22)雑誌の違い

 さて、言わずもがなですが「ロリコンすなわちヌード」ってわけではなかろうし、可愛らしい少女を美しいと感じる美意識なり美感覚とその表現意欲は、常にエロティックなものになるわけでもないでしょう。沖さんはルイス・キャロルの『アリス』シリーズに凝っておられましたけど、あの作品に性的な要素がべつに無いだろう事はご存知のとおりです。
 むしろエロ中毒だったのは沖さんじゃなく僕のほうだったと思う(唯一、これだけは沖さんが”負けてた”はず……)。ただ僕の場合、アメリカ的グラマー主義とでも言うような感覚にとらわれていて、それで(1975年7月に創刊された)日本版PLAYBOYとか読んでたんですが、沖さんの下宿を訪ねると、その手の雑誌は見当たらなくて。二十歳になったばかりの男が独り暮らししてりゃ、そういうのが何冊かは置いてあってもよさそうな気がするのに、無いんですよ。じゃ、何があったかと言うと、2つのスチール本棚(四畳半にこれがあるのはかなりの面積を占拠します)をびっしり埋めていたのは、航空雑誌と少女マンガだったんですね。それもまるで図書館みたいにきちんと並んでるんです。



(23)美意識が違う

 沖さんの好みと美意識には「流線型」というのが主概念としてあったようで、それが、ほとんど胸のふくらみも無くいたいけな少女や、大空を飛んでゆく航空機や、波を切って海面をゆく艦船につながっていたのではと思うんですが、僕はその逆に近くて、これからは日本でも国際化が進んでアメリカ的な女性美が力を持つだろうと予測していたような記憶があります。
 いっぽう沖さんは、そうした美感覚がこの日本に定着することも主流になることもないであろうと読んでおられたのか、「PLAYBOY」的な領域へ分類されそうな雑誌や写真に興味は持たず、調べてみようとさえされなかったような気がします(いわゆるアメコミについては、別にお好きでもないのに一応読んでみて、物語が単純過ぎて内容に乏しいと語っておられたのに)。沖さんのそうした、僕よりも現実的なところに立脚し、日本女性ならではの少女たちの美しさや可愛らしさに注目し研究したうえで得たと思しき(?)直感は、正しかったのでしょう、世界中で発行されている「PLAYBOY」の日本版は2009年1月号でついに休刊し、いっぽう、少年マンガと少女マンガの境界が曖昧になったような絵柄の美少女たちが、ある程度は男女共「楽(がく)」な文化であろうアニメ等を中心にすっかり世へ定着して現在に至っている、という印象です。



(24)同人誌『シベール』創刊

 沖さんは、無気力プロが発行していたコピー新聞の『ALICE(アリス)』で、自己紹介として確か次のように書いておられました。
「アリス狂い、ロリータコンプレックス、戦記マニア」
 ここで氏は、ご自身を説明するのに「ロリータコンプレックス」としておられるのですから、この段階ではそれを告白するのに躊躇(ためら)いが無くなっていたみたいですけれど、そう書いてあっても新聞の読者からは(音楽グループである)「アリス」(1971~)に熱中しているのかと誤解されたようですので、そもそも当時の日本では、「ロリコン」という言葉も概念もさほど知られておらず、話が通じなかったかも知れませんね。
 それでも、1人また1人と、同じ美感覚を持つ同志が集まってくるにつれ、沖さんの胸中には安堵や自信が構築されてゆき、こうした美は探究するに値すると確信できた段階で同人誌『シベール』が創刊のはこびとなって、
「コミケからやおいを駆逐するぞ!」
と決意されるに至ったのではなかったでしょうか……? むろん、そこへ到達されるまでには、誰よりも、吾妻先生と議論を重ねられたのでしょうけれども……。



(25)顔ぶれ

 しかしそれでもなお”同人誌『シベール』の刊行は地下抵抗運動である”といった認識は、沖さんの脳裏にあったのだろう気が、僕はします。というのは、当時に無気力プロでチーフアシスタントとでもいうべき立場におられた「みぞろぎ孝」さんが、最後まで全く関与しておられない(らしい)からなのです。
 みぞろぎ孝さんは『ミャアちゃん官能写真集 Part.3』には参加しておられて奥付にそのお名前が明記されているので、このへん、どうも釣り合いが取れていないではないか? と思うんですよ。本編たる『スクラップ学園』の延長として、作画上のアシストをしておられただけだろう、と考えるならまあ、それでハナシは終わりますが……。
 これといった証拠は無い推理ですけれど、沖さんとしては同人誌『シベール』が、禁断の領域である地雷原へ踏み出すものであったため、健全な少年マンガを描いておられる氏(実物未確認なのですが、吾妻先生の『空手ウーマンりぶ』が掲載された『冒険王』 1977年お正月増刊号には、『シャンプーくん』を発表しておられたようです)を巻き込んで、もしも不名誉な経歴となってしまったらいけない、という躊躇(ちゅうちょ)があったのでは、という気がします。なんにせよ、みぞろぎさんが同人誌『シベール』に不参加だったのと、僕が不参加だったのは、全く事情が異なると思う。僕の場合は才能も実力も無かったのが理由ですけれど、みぞろぎさんにこれらは当てはまらないからです。



(26)分解と消滅

 しかしその、実験的あるいは革命的な要素と意図を持っていた同人誌『シベール』は1981年に7冊目をもって終わってしまったようで、吾妻マンガ作品『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』(1982年)によれば(果たしてどこまで事実が反映されているのやら僕には分からないのですけれども)、メンバー各人の間で理想とする美感覚にズレや違いが発生し大きくなってゆき、学生運動の内ゲバみたいな感じで(?)崩壊に向かったらしい事がうかがえるようです。
 それは残念な結末だったかも知れませんけれど、各人が独自に、最善と考える方角へさらなる探求を自由に深めてゆくという、発展的な解散であったならば、それもまた良かったと考えるべきなのでは、と僕には思えます。「才能が終わったところから様式が始まる」といった事はよく言われますけれども、実際、他の人がやっていない独創的なところや、常に進歩を続けているところが乏しいとすれば、作品というものはその存在意義が弱くなってゆくでしょうし、その為には、『シベール』参加者たちが「派」のようなものを形成して硬化しなかった事を、そうした点だけに限って言うならば、むしろ喜ぶべきなのでは、という気が僕は、するんですね……。



(27)たかがエロな地下出版物

 ポルノ的な創作物なんて下らないうえに有害だ、という評価がなされるとしても、それに異を唱えて反論ないし否定を試みるつもりは無いです。ただ、エロティックな表現って、あれ、みんなが考えているよりもはるかに難しいだろうと思う。
 裸や性器さえそこにあれば何でもいい、ってわけじゃなく、構図とか演出とか、技術的な点だけに絞っても作者の技量による差ってものは明確に出ると思うんです。絵なら人体デッサンや背景での透視図法、文章なら描写力がある程度はないと無価値でしょうし。また、冷静な自己制御や計算が不足すると、ただどぎついだけになってしまい、魅力を感じて引き込まれるよりむしろ、げんなりするんじゃないでしょうか。
 それと、どんなものであれ、絵でも文章でも何でも、人の手になる結果には、その作者の内面が大なり小なり必ず反映され現れるようです。そういった意味では、テーマを内包していない作品というものは存在しないのかも知れません。同人誌『シベール』に掲載された作品群はおそらく玉石混交で、完成度の高いものも低いものも、成功作も失敗作もあったろうと思うんですが、未開の領域を開拓してみようという、若い情熱や理想、美への憧れが、そこにはあったことでしょう。あの頃に同人誌『シベール』が有した最も重要な意味と価値は、ひょっとすると、それだったのかもと僕は思うんですが、どうなんでしょうね。



(28)終わらない放浪

 人が生きている間に取り組むあらゆる命題には結局、答え、というものが無いのかも知れません。
 「女性美とは何か、それを描くとはどういう事なのか、そして、描く自由、公開する自由とは?」
 誰にも、何も、いつまでも、分からないのかも知れません。
 それなのに人間は、模索を続ける生物であるようです。どこまでも、どこまでも続く、答えを探す放浪が、人を人たらしめるのでしょうか。それが、結果として、表現し創造するうえで前衛と呼ばれる営為となるのでしょうか。
 同人誌『シベール』はもはや伝説として過去のものになったのかも知れないですけれど、その精神は今でも、あちこちに、さまざまな形で、こっそり生き延びて、引き継がれているように、僕には思えるんです。
 何といってもとりわけ、流行に逆らって、まだ絵柄、とりわけ美少女の描き方を変えてやろうとたくらんでおられる様子の吾妻先生を見ていると、どうしても……。



(注)



 ほかならぬ吾妻ひでお先生ご自身が、あれやこれやと述べておられれば、分かり易いでしょうけどねぇ。ある程度のまとまった量を持つ発言記録が思い当たりません。
 たとえば『吾妻ひでお大全集』(奇想天外臨時増刊号、1981年)のP.281に、
「(映画『シベールの日曜日』と)吾妻ひでおとの関わりについては「映画宝庫」13号を参照のこと」
という一文があるので、現物(季刊映画宝庫 第13号<夏> 集まれ!フレッシュ・ギャル 芳賀書店 1980年7月25日 上の画像はその表紙)を調べてみたのです。するとそのP.96から107までに座談会の記事があるのですけれど、インタビューではないため、吾妻ひでお自身の発言は非常に少ない。以下、引用してみましょう。

吾妻:あんまり映画って見てないんですよね。映画館まで行くのがめんどうで。テレビで放映したのは見ましたけどね。『シベールの日曜日』は好きですね。あと『禁じられた遊び』とかテンプルちゃんのとか。
--:テンプルちゃん、好みでしょ。
吾妻:いいですね。でもちょっと明るすぎるかな。もうちょっと暗いというか、哀愁をおびてる方がいいですね。
--:例えば?
吾妻:やっぱりシベールかな。

--:吾妻さんは『シベール……』のどういう所がお好きですか?
吾妻:大人っぽい性格というか、あの男の人を見守っているという感じが良かった。男の人も気弱そうで、最後、破滅というか死んでいくのが良かったですね。


 映画『シベールの日曜日』に直接言及があるのは、これら2箇所だけでした。





inserted by FC2 system