吾妻ひでおの自由帖

(2018年7月30日初版発行)

 これは単行本『吾妻ひでおの不自由帖』(1999年)を増補・再編集した書籍、と考えて良いようだ。
 本書のサイズはおよそ 216 × 154 mm で、200 ページ。


 『吾妻ひでおの不自由帖』を僕は所持していないため、正確なデータは記せない。
 この書籍『吾妻ひでおの自由帖』は堅表紙の装丁で、ちょっとした文学書みたいな外見。


 あまつさえ、厚紙製のケースに入っている。


 知らない人が見たら、児童文学の書籍か? と勘違いしそうだ。



 で、この書籍と一緒に『らくがきbook』が収納されている。
 サイズは『吾妻ひでおの自由帖』と同じで、64 ページ。


 市販されている縦書きノートそっくりの外見だが、これはフェイクで、印刷されているもの。


 版元の『復刊ドットコム』へ直接予約した場合には、特典として『吾妻ひでおの自由帖 PINUP』がもらえた。
 その大きさはおよそ 516 × 366 mmで、上段の2人にはサインと日付が入っているのだが、それによれば原画は2003年3月と4月に描かれたものであるようだ。

 本書の内容や特長、および「底本」になった『吾妻ひでおの不自由帖』については、版元である「復刊ドットコム」のサイトに記述があるので、そちらを直接、読んでいただくのが良いだろう(僕ごときがそうした所から無断で引用して知ったかぶりをここに書くのはあまりにもおこがましい)。

 なお、この書籍には定価の表記が無い。奥付けを見ると「定価は外箱に表示してあります。」という文言が読める。しかし外箱に定価の表示は無いようなのだ。それゆえ一応ここに記すと、値段は 5,400 円(本体価格 5,000 円+消費税 8 %)で、版元からの購入だと送料無料だった。

 マンガ本が 5,400 円。
 お世辞にも安いとは言えないと思う。コンビニで売られている、読み捨て雑誌と同程度の紙質のそういった単行本の、10 倍以上の値段だろう。とてもじゃないが、人さまへ気軽に購入をお勧めはできない。

 しかし(いつも同じ理屈で恐縮だが)やはり、この価格でも「買い」だと僕は本気で考える。「底本」にされた『吾妻ひでおの不自由帖』や、ここに収録されている諸作品を「初出」掲載している雑誌を、直接入手して読んでやろう……などと企んだら、数万円の予算を費やしてさえ、完遂出来ないだろうからだ。これは、本書の販売促進を狙って大げさな事を言うのでは決してない。その手の事を試みて、国立国会図書館だのマンガ図書館だのマンガ専門古書店だの古書店街だの古本市だのへ通いまくり、ネット通販だのネットオークションだのを自分で探しまくった(そして金銭と時間をさんざん費やした)経験がある「おばかさん」たちには、それがわかるだろうと思う。

 加えて、おそらく本書で史上初公開となって、読めるようになった作品も複数ある。


 巻末には2ページ、各作品の初出データと、作者自身によるコメントが収録されている。

 では、収録されている作品を順に紹介させていただこう。

(本書 P. 160 より)

 先に『らくがきbook』の方から。

 前半32ページ(ただし、片面のみ印刷されているので、絵の枚数は半分の16葉)が、主に2003年の作品。

 そして後半32ページには、

・『あづま通信』1~5(2018年5月 描き下ろし)
・『日々の穴』1~3(2018年5月 描き下ろし)
・『今日のJKウオッチング』(2017年 描き下ろし)

が、収録されている。


 巻末の文言によると、
「本付録は、2004年「第2回 吾妻ひでお原画展」に出展された「らくがきbook」をA5判サイズで再現するもの」であるらしい。

 『吾妻ひでおの不自由帖』発売が(その奥付けによれば)1999年12月18日。よってこの『第2回 吾妻ひでお原画展』が開催されたのはそれから5年後であったようだ。インターネット上に発見できた情報では、2004年3月22日~4月3日、東京都の『COFFEE & GALLERY ****』(何かご迷惑をおかけしてはいけないので、詳しくはここに記さない)にて行われたらしいのだが、それ以上の事は、わからない。

 このころの出来事については、内容が重複してしまうけれど旧サイトの年表に書いたデータをもう一度、ここに記しておこう。


・平成10年(1998)
 9月『クラッシュ奥さん 1』発売。
 12月末日「アル中病棟」へ入院。

・平成11年(1999)
 4月 退院(?)
 12月『吾妻ひでおの不自由帖』発売。

・平成12年(2000)
 『エイリアン永理』発売。

・平成13年(2001)
 『産直 あづまマガジン 1』発売。

・平成14年(2002)
 『クラッシュ奥さん 2』発売。
 『産直 あづまマガジン 2』発売。

・平成15年(2003)
 『産直 あづまマガジン 3』発売。

・平成16年(2004)
 3月『便利屋みみちゃん』連載開始。
   『第2回 吾妻ひでお原画展』開催。
 7月『うつうつひでお日記』執筆開始。

・平成17年(2005)
 2月『オリンポスのポロン』(早川書房)発売。
 3月『失踪日記』発売。
   『ななこSOS』(早川書房)発売。
 3月4日 公式サイト開設。
 5月 第34回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 12月 第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞。



 吾妻ひでおは1999年4月5日に「アル中病棟」から退院したらしく(?)、このころ執筆された(?)作品としては『クラッシュ奥さん』がある(「みよこクラブ」(1999年7月号掲載)の回以降)。

 また、単行本『失踪日記』に収録されている『街の1』は、殆ど同時期の1999年8月号(『お宝ワイドショー』掲載)で発表されている。

 作者は1999年の後半、退院から程なく執筆を再開しており、その後『吾妻ひでおの不自由帖』が上梓(じょうし)されたようだ。

 今回『吾妻ひでおの自由帖』は、やはり作者の「退院」後、世に出ることとなった。奇妙な偶然と言うべきか。


 作者の入退院(2017年以後)およびそれからの闘病については『あづま通信』と『日々の穴』以外に、『吾妻ひでおの自由帖』のほうでも語られている(後述)。

 ファンとして作者の健康を心からいのりつつ、興味深く読ませてもらった。


 さて、『吾妻ひでおの自由帖』だが、その中味(トビラ)は『2000年 年賀状イラスト』で始まっている。龍にまたがる美女がカラーで描かれたこれには「'99.12.あ」というサインが読めて、『吾妻ひでおの不自由帖』が発売されたその月(1999年12月)に用意された絵であるらしい事がうかがえる(何とも象徴的な幕開けだ)。

 そして本文の最初が『復活記念「不条理美少女イラスト展」前説』。巻末にある『初出とコメント』によれば、1993年10月に開催された初の原画展で発表展示された作品のようだ。

「イラスト原画展ったって」という台詞で始まるカラー4コマ漫画なのだが、ここに登場している作者自画像を見て僕が「ふむ?」と思ったのは、手前に「箱」が描かれていること。

 この「箱」がいったい何なのか、若い読者にはたぶん、さっぱりわからないのではあるまいか?

 余計なお節介を述べると、これはおそらく木製のミカン箱(またはリンゴ箱)なのである。

 なぜそんな物が描かれているかと言うと、これが「貧乏」を象徴するギャグの小道具だったからだ。
 作者がデビューした1969年当時、ミカンやリンゴの出荷には普通まだ木製のやや大きな箱が用いられていた(注:この時代考証に正確な裏付けのデータは無い)。この木箱が頑丈だったので、輸送に使われた後、何らかの用途に再利用される場合が結構あったようなのである。で、作者の場合はこれを「机」に代用しています、という描写になるわけ(貧乏ゆえ机を買えず、持っていないという意味)。
 さすがにこの定番表現は、もはや用いられなくなった。いつの間にか木製の箱がダンボール箱へと変わり、そもそもミカンを箱買いするといった事もまれになって、さらには、座卓型の勉強机を畳敷きの和室に置いてそこで読み書きをする、などという生活習慣も、すでに日本人の家屋における一般的な光景としてはほぼ絶滅したという事なのだろう。
 いやはや、かように図像学めいた説明が必要(?)になろうとは、ずいぶん歳月が流れたものだ……。

 次いで登場するのは『戦う日曜日』(HANAKO 1989年1月26日号)と『夏休み日記』(HANAKO 1990年9月20日号)。



 どちらも単行本『あるいは吾妻ひでおでいっぱいの吾妻ひでお』(河出書房新社 2013年9月30日初版発行)に収録されたことがあるが、今回はフルカラー版。


(モノ・マガジン1991年5月2・16日号)

 新入社員の若い女性を、柱の陰から見る男がいる。彼、山本くんは彼女に声をかけてお茶に誘うのだったが、あっさり失敗。そのあと独りでヤケ酒を飲んでいたら、店に居た正体不明の二枚目が「グルーミングセット」をくれた。「これさえあれば あなたも明日からモテまくり」なのだそうで……。

*当節はグルーミングと言うともっぱら犬猫関連の生物学的な用語として使われ(?)、「毛づくろい」と訳されている観がある。しかし、このマンガが発表された1990年代初頭の日本では、人間の男性が(ムダ毛の処理などを入念に行って)「身だしなみを整える」事をも、この語で呼ぶのが流行し始めたらしい(?)。
 さすがに30年近くも過ぎると単語の指し示す意味は変化してくるようだ。それとも、ペットたちの地位が日本社会において向上し、語の用法の対象として人類の男性をしのぎ、今や首位に登りつめたのだ……と考えるべきであろうか???
 ふと気づいてみれば『吾妻ひでおの自由帖』しかりで(?)、お猫様のメルが書籍の顔をつとめている……。果たして人類男性の未来やいかに?


(描き下ろし 2018年5月)

 闘病中である作者の日常を、ちょこっと報告。作者と同じ位の頭身になって『スクラップ学園』の主人公ミャアちゃんも登場する。そして……なぜか「昭和」なオチ(?)になるのであった。


(小説ハヤカワ ハィ! 1989年6月)

 本書『吾妻ひでおの自由帖』は、前半が「Part1:1998年までの作品」で、後半が「Part2:1999年からの作品」という構成になっている。
 なぜこうした編集がなされたのか定かではない。
 『吾妻ひでおの不自由帖』が発行されたのは1999年末であったようなので、本書の半分はそのあとに発表された作品を収録している(だから単に『不自由帖』の復刻再版をしている内容ではない)、という事を明確にするためであろうか?

 巻末収録の、作者自身による解説を読むと、この『おぢさん日記』は最初、高千穂遥が日記を書いて吾妻ひでおが絵日記を描く予定であったらしい(この企画はかつて新井素子との合作連載がなされた『ひでおと素子の愛の交換日記』を彷彿とさせる)が、なぜか企画変更となったようだ。



 本書巻末の『初出とコメント』によれば、『モノ・マガジン』1990年5月2・16日~1991年8月2日に発表された作品で、奥田英朗のエッセイに、イラストとして添えられていたらしい。復刊ドットコムの説明では「未掲載の4編を復元掲載」してあるらしいのだけれども、その未掲載の理由が何だったのかは不明。
 以下の16作品が収録されている。サブタイトルはいずれも、初出時のそれから変更されているようだ。なおこのシリーズは初出(雑誌連載)時、『平成モノ作法』という題名だったようである。

・「車」(1990年5月2日)
・「ビジネスシーンの虚と実」(未掲載
・「ゴルフ」(1990年7月2日)
・「田舎の品川ナンバー」(未掲載
・「電話」(1990年8月2日)
・「暑い日」(1990年9月16日)
・「成金」(1990年10月2日)
・「過去」(1990年10月2日)
・「オシリの拭き方」(1990年12月2日)
・「整髪」(1991年1月2・16日)(引用者注:『不自由帖』収録時タイトルは「散髪」か)
・「職人気質」(1991年1月2・16日)(引用者注:「プロフェッショナル」とルビがふってある)
・「服を買うのは面倒だ」(未掲載
・「ビール」(1991年4月2日)
・「税務署」(1991年6月2日)(引用者注:「税金」とルビがふってある)
・「ゴキブリ」(1991年7月2日)
・「ロック・コンサート」(未掲載



*『モノ・マガジン』に発表された4コマ漫画。6本連続で収録されているが、初出はそれぞれ異なる。

・ソムリエ(未発表、『吾妻ひでおの不自由帖』(1999年12月18日)で初公開?)
・エコロジー(1992年2月2日号)
・フェミニズム(1992年3月2日号)
・社会主義(1992年4月2日号)
・霊(1992年5月2日号)
・つづく(『吾妻ひでおの不自由帖』(1999年12月18日)のための描き下ろしだったようだ)

 当時に流行(?)した言葉を題材にしているらしい。例えば『社会主義』などはえらく硬派な話題だが、これは1991年12月にソビエト連邦が崩壊したことから採用されたのではないかと思われる。

 台詞に『無能の人』とあるのはおそらく、つげ義春の同名マンガ作品が1991年に映画化されたゆえだろう。


(モノ・マガジン1993年4月2日~1996年8月2日号)

*巻末コメントによれば「発表順に全作品を収録」したようだ。全部で38本ある(p.44 冒頭の解説4コマを除く)。『吾妻ひでおの不自由帖』に収録されていたのは21本で、なぜそうだったのか事情は不明なのだが、作者による解説4コマで「原稿も全部はありません」と語られていることからすると、生原稿が行方不明であったもの、および「ボツネタ」となった回が除外されていたのだろうか。
 初登場でほぼ3頭身(これは吾妻マンガには珍しい?)だった主人公だが、少しずつ背は伸びて写実的な体型に近づいていったようである。色気ムンムンの容姿に、少しいかれている(何をどう考えているのか、理解と予測を許さない判断や行動をする)人柄にも、回を重ねるごとに微妙な変化があったようだ。


(OUT 1994年3月~1995年5月)
(MEGU 1995年5月、9月~1996年2月、4月、5月)

*『月刊OUT』で始まったシリーズなのだが、1995年5月号で休刊となったため、青磁ビブロスの『Magazine MEGU』に場を移して連載が続いたようだ。


 吾妻マンガの主要登場人物たちのほか、このコーナー独自の、干支(えと)にちなんだオリジナルのキャラクターも2人描かれている(残念ながら「物語」は付されておらず、彼女たちがどのように活躍するのかは、謎のまま)。
 登場人物たちは、全く歳を取っていない者が大半である一方、中には初登場当時からちょっぴり成長した幼女もいたりする。ふむ?

MERU

*この作品は紹介ずみなので略。

きりがくれ

*この作品も、紹介ずみなので略。


(ダビスタコミック 2R 1995年6月)

 主人公は『箱庭競馬』なるシミュレーションゲームを購入した。騎手の格好をしている、女性の小人みたいな「取り扱い説明ロボット」が言うには、「遺伝子操作によって生産された馬体10cmサラブレッドがあなたのお部屋で迫真のレースをくりひろげる」らしい。「なかなか面白そうだな」と喜んで、ゲームを開始してみると……。

*冒頭の書き込みによればこのマンガの題名は、フィリップ・K・ディックのSF小説『火星のタイム・スリップ』をもじっているらしい。ディックの作品はいくつかが映画化されており、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(『ブレードランナー』の原作)や『追憶売ります』(『トータル・リコール』の原作)などは有名かと思われる。
 しかしなぜ『火星のタイム・スリップ』が題名の元ネタにされたのか、よくわからない。過去を変えようとする男の物語であるようなのだが、反対に、未来(結果)を変えようとあれこれ苦労するのがこのマンガの主人公だ。
 アスキーの出版物『ダビスタコミック 2R』で発表されたが、これは同社の発売したゲームソフト『ダービースタリオン』(1991年)がヒットしてシリーズ化し、あげくに専門誌まで発行されるに至ったもの。


(ダビスタコミック 3R 1995年9月)

 主人公の山本が自分の馬を散歩させていたら、友人である(らしい)娘・鈴木が同じ事をしているのに出くわす。
 話を聞けば彼女は、自分よりもすぐれた成果を上げているようで、馬鹿にされた主人公は怒り、彼女の挑戦を受けて立つのだった。けれどあっさり惨敗してしまい……。
 
*題名の「BC」は、劇中の台詞でルビがふられてある通り「ブリーダーズカップ」の略であるようだ。これはゲームソフト『ダービースタリオン』でも同名のモードが選択でき、複数ゲーマーが各自の育てた馬を出場させて対戦する事が可能であった事を反映しているらしい。
 で、このゆえに主人公の対戦相手の中には、とんでもない馬(?)を育成していたヤツが混じっていて……。

 ディックのSF小説『火星のタイム・スリップ』では様々な幻覚が描写されているようなのだが、自分の調合したデータの結果である馬に熱中するゲーマーたちもまた、ある意味では架空の幻覚に熱中していると言えようか?

 初出時の題名は『地球のBCトリップ 箱庭競馬 II』であったらしい。


(SFマガジン 1998年2月号)
 作者のもとへ早川書房から若い女性が訪ねて来る。実は彼女、「タイムマシン付アンドロイド」であり、「SFマガジンとの出会いと云うテーマで 吾妻さんには当時に遡っていただきます」と言うのだった。かくて時間旅行が始まり、若き日の作者を観察するのだったが……。

*煙草のパッケージにある警告文みたいな題名だけれど、考えてみればSFには強い「惑溺性」があるかも知れない。ともあれ、その「素質」を持つ者はSFに出会うや、生涯その引力の圏内に自らとどまるのだろうと思う。
 作者は自身が(実は)「創元育ち」だと白状しているが、このへん、時代を反映していると言えようか。

 1970年代後半にはSFの流行があったようで、僕などはその頃に興味をもって覗き込んだくちなのだけれど、初めて手に取ったのは「ハヤカワSF文庫」だったろうと思う(そしてその後『SFマガジン』にまで手を伸ばした)。なぜかというと、創元と比較したとき早川の出版物は当時、文庫カバーなどで視覚に訴える点へ力を入れており、中味の小説が最近作の場合には(背表紙の地が白だったのですぐ判別できた)挿絵までが入っており、門外漢にとって敷居が低く、親しみやすかったのだ。古典の場合(これも背表紙の地が水色だったのですぐ分かった)だと挿絵は無かったものの文庫カバーには絵が描かれており、本の内容を推し量るのが容易かったのである。こういった要素はけだし、僕みたいなにわかSFファンを増やすのに威力を発揮したであろうと思う。
 これに対して、文庫よりも以前のハヤカワSFは、外国のペーパーバックを模した縦長の判型でカバーには抽象画を使ってあるという装丁で、推理小説でも殆ど同じ装丁だったので両者の区別は判然としないものだった。逆に言えば、それでも手に取って読み始めた世代は、視覚的な要素に左右されぬ筋金入りのSFマニアだったのだろうと思える。
 何はともあれ、SF文化との出会いがどのようなものであったか、それによって世代が分かるというわけか。

 ハヤカワSF文庫の『キャプテン・フューチャー』シリーズ等で挿絵を担い、原書のパルプマガジン風の楽しさを伝えてくれた水野良太郎も2018年10月30日に逝去なされた。時は流れる、あまりにも速く。

める MELU

産直 あづまマガジン 2~4 2002年7月~2004年7月)

 「める」は野良猫であるようだ。誰が名前をつけたのか定かでない。オスであること、かつて人間に飼われていたこと、ヒトで言えば大人のようだが配偶「猫」はおらず独り身であるらしいこと――僕らが彼について知り得る事情は限られている。自由だけれど野生の暮らしではなく、人間の社会で生きている。彼の目を通して見た、この世界はいったい……?

*吾妻ひでお版『吾輩は猫である』といった感じのシリーズ。本書ではここで Part 2 が始まり、1999年からの作品(すなわち、主に『吾妻ひでおの不自由帖』には収録されていなかったもの)が読める。
 猫というものは吾妻マンガでけっこう初期からよく登場しているような気がする。しかし単独で、人間を押しのけて主役をつとめるまでになった猫は、「める」がたぶん最初だろう(?)。モデルが実在するのかどうか、気になるところではある。
 マンガの主人公となるのは『m4.875』(しっぽ猫)という出版物(詳細不明、1995年12月30日号)で初登場を果たしてからのようだが、実はそれよりも早く『吾妻ひでおイラストカレンダー』(月刊OUT 1994年3月号付録)に姿を見せていた子猫が、彼であったらしい(?)。このカレンダーは旧サイト「33(その他の作品)」で紹介した。今回は書籍の顔となって現れ、直立歩行しているトカゲ(?)を見つめている。

 半分だけ世を捨て(?)、社会のあらゆる事柄にちょっと距離を保っている彼の立場は興味深い。読者たる僕ら人類とは異なり、カネも名誉も理想も主義も関係なく日々を生きている。飲食などを別にすれば殆ど何のしがらみも持たず自由な彼は、ちょっと羨ましい主人公と言えるかも?


(吾妻ひでおの不自由帖 1999年12月)

「'98年12月から'99年4月まで入院してました」と最初のフキダシに明言されているので、その2か月ほど後の当時の、作者の状況がわかる。で、その入院中に作者は(『吾妻ひでおの不自由帖』の版元たる)『まんだらけ』へ出向いたことがあるようなのだが……。

*21世紀になってから執筆・発表された『める』の後で、ちょっと年月をさかのぼり、この作品が収録されている。この書籍『吾妻ひでおの自由帖』を読み進むうえでは、年代順序に関してちょっとややこしいかも。さらに、このあと続く『アイデア・ノートより』(p.130~)および『あとがき日記 1999.7』(p.161~162)も、『吾妻ひでおの不自由帖』が初出だったようだ。

 ところが、『アイデア・ノートより』には、未発表だった作品が複数、サンドイッチされた状態で今回収録されているみたいなので、ますますややこしい。この点は以下、作品ごとに書いてゆこうと思う。


(吾妻ひでおの不自由帖 1999年12月)

*『銀河放浪』(1994)や『コスプレ奥さま』(同年)を描いてた頃のもの、と冒頭の作者前説にあるが、他にも『幻影学園』の舞台裏や、手塚治虫の作品についての言及などがある。

 で、ここに差し込まれている未発表作品が、まず『はちどりぶんぶん』(p.140~)と『ぜいたくコマ割り ひでお日記 1999年5月』(p.141)。前者は「奥さまもののボツネタ」なのだそうだけれど、何故これが「はちどり」なのやら、良く分からない??? そして……。




 今回この書籍『吾妻ひでおの自由帖』で僕が最も驚いたのは『ロリポップ ロリちゃん』だった。

 作者コメントによれば「持ち込まなかった作品」であり、その理由は「特殊すぎるので、自粛し」たのだとか。

 たしかにアブノーマル(この言い方は古い?)な主人公ではある。大昔に「女の魔性」といった語句が用いられていたのを思い出したのだけれど、全くもって、常識的な価値観や美感覚と正反対だろう方角に憧れを抱いているこの美少女は実に物騒な存在で、男たちはただ翻弄され戸惑うばかりとなる。他人が羨むであろうような恵まれた境遇にもこれといった感慨を持たず、まるで汚辱や破滅をむしろ希求しているかのような素行は、もはや困惑を通り越していささか恐怖をそそる。清楚な印象の外見とあまりにもかけ離れているこの少女の内面は、極端な対比によってなおさら強調されているようだ。

 いわゆるマゾヒスト、自虐趣味のある人たちに、そうした傾向が多少なりとも有るのだとすれば、ある種の領域のメディアにおいては、さほど珍しくはないタイプの主人公なのかもしれない(?)。実のところ、大昔のことだけれどマイナー系のマンガでは、女性の作者が(!)こういった、大人しく、物静かでしとやかな主人公に、ぞっとするほど猟奇的な経験をさせているのを何度か読んだことがある。

 人は――僕らの大多数は――それを倒錯と呼ぶかもしれないが、当人にしてみれば幸福や充実はそうした世界にこそ有るのであって、僕ら他人の意見など「余計なお世話」でしかないのだろう。

 吾妻マンガでは、まれにこうした、「奇妙」や「不可思議」を通り越している、爆弾女とでも言うべきキャラクターが突然変異的に出現するようだ。『やけくそ天使』はたぶんその典型的な例ではないかと思うのだけれど、この『ロリポップ ロリちゃん』は、もしかすると危険さで、それを凌駕し得る可能性を秘めているのかもしれない……。



 道路工事に汗を流す美女がいる。いささか荒っぽい、この娘の正体が、実は……。

*『クラッシュ奥さん』や『ななこSOS』のボツネタ公開に混ざって、今回こっそり(?)初収録されたのがこの作品。作者解説によれば「『まんがシャワー』という本に投稿してボツった」のだそうだ。没になった時の事は単行本『Oh!アヅマ』巻末の『あとがき』に語られていたのだが、そのさいに送った作品が何だったのかはずっと不明のままで、その一部として含まれていたこの『オヤジなあの子』が、今回初めて陽の目を見たようである。

 雑誌『BLUE'S MAGAZINE』(株式会社感電社)2016年06号に掲載されたインタビュー記事、『マンガから逃走して過ごした ガス管工1年の健康的すぎる日々』にあった、作者自身による1コマ解説マンガによれば、「事務の女性新卒社員が入った時は、形ばかりの一日現場研修があって、私たちの組にも一度だけ女の子が来たことがある」という。ひょっとすると、その時の珍しい経験がヒントになったのだろうか。

 で、本作のかわりに連載開始となったのが『コスプレ奥さま』だったという。


(1998~1999年)

*これはマンガとイラストレーションの中間、といった感じの作品で、「深い意味はありません」と書かれている。物語は特に無く、謎めいたイメージが描かれる。

(吾妻ひでおの不自由帖 1999年12月)

*ちょっとややこしいのだが、『吾妻ひでおの不自由帖』に収録されていた「あとがき」が、これ。「アル中病棟」から退院した後で描かれたにもかかわらず、酒の冗談(ギャグ)があって驚く。今後の執筆予定ないし予告が語られているのだけれど、それらのうち幾つかは『産直 あづまマガジン』において実現したようだ。

 ここでひとまず『吾妻ひでおの不自由帖』の復刻再版は終了。



 本書ではこのあと、『ひでお日記 2001~2004』として、『産直 あづまマガジン』で発表された 前書き と 後書き が収録されている。

前説 2001 (産直 あづまマガジン 1 2001年7月)
ひでお日記 ~2001.5.27(産直 あづまマガジン 1 2001年7月)

前説 2002.5.14(産直 あづまマガジン 2 2002年7月)
ひでお日記 ~2002.5.20 (産直 あづまマガジン 2 2002年7月)

前説 2003.6.15(産直 あづまマガジン 3 2003年7月)
ひでお日記 ~2003.6.13 (産直 あづまマガジン 3 2003年7月)

前説 2004.6 (産直 あづまマガジン 4 2004年7月)
ひでお日記~2004.7.1(産直 あづまマガジン 4 2004年7月)

後書き (産直 あづまマガジン増刊 うつうつひでお日記 2004年12月)

 これらはマンガの形式をとっているものの、創作としての物語は特に含んでいない。作者の当時の日常、および内面がわかる。
 いずれも短いけれど資料価値は高いだろう。漫画家の生活そして人生ってどういうものなのか、僕ら読者にはまず見る機会の無い楽屋裏であるし、ましてや「吾妻ひでお」だ……(もし僕の極めて乏しい経験から発言するのが許されるなら、かなり寡黙なおかたなのである……)。

 ふと読むのが止まったのは金銭についての発言があるくだり。社会保険事務所からの電話を受けたら「入金していただかないと年金出ないことになりますよ」と言われ、「こちとら江戸っ子でい 年金なんかはなから当てにしてねーや」と啖呵を切った(北海道人なのに)という、笑うに笑えないギャグがあったりする(p.178)。「年金は払ってない」というナレーションも見える(p.187)。
 (『産直あづまマガジン5』の『あとがき』紹介でも僕は書いたけれど、)かつて、老齢年金を受け取るには資格期間(保険料納付済期間)が25年以上必要だったわけだが、平成29年(2017年)8月1日からはこれが10年に短縮された。吾妻家の事情を僕は知らないが、けだし日本の行政は、吾妻ひでおの年金危機を一応解決し救ったのではないかと思われる。

 また、作者は現在闘病中であるらしいのだけれど、もしその医療費があまりに高額な場合は、「高額療養費」制度によって、自己負担額の上限を超えた時には、超過分の還付を受ける事が可能になっているだろう。

 金銭は、現実の生活において切実な問題だ。その重要度は人が年齢を重ねるにつれ増してくる。

 作者は歳を取った。読者である僕らも同様だ。マンガ創作に対するのと同じ位かそれ以上、金銭について熟慮すべきなのだろうと思う。