ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2

(p.126 『同人誌カット コレクション』から)


(復刊ドットコム 2016年3月25日 初版発行)

 画像は表紙カバー(コシオビの付いた状態)。ちょっと分かりにくいが、黒地に銀の箔押しで題名が入っている。


 版元へ予約すると、特典があった。全員もらえたのはカラーの複製原画で、大きさは297×210mm、雪女(?)とタバコおばけが描かれている。一見、生原稿ふうで、高品位な印刷だ。


 本書の収録内容は以下の通り。

生物の時間「今週は人間の解剖です」
ななこと鴉(イラスト)
鶴の恩返し
カオス日記 「池」
死にたいクラブ
カオスノート
たい焼きの行方
文字の反乱(コラージュ作品)
ガス屋のガス公(リメイク版)
ガス屋のガス公(オリジナル版)
マンタのひるね
でんじゃらすももちゃん:外人差別
でんじゃらすももちゃん:天丼の効きめ
でんじゃらすももちゃん:拾いもの
でんじゃらすももちゃん:焼肉奉行
でんじゃらすももちゃん:焼却処分
でんじゃらすももちゃん:車内植毛
でんじゃらすももちゃん:街中漂流
充電少女 チャージガール
UWF流スケバン刑事
セーラー服少女伝説 表紙(イラスト)
女戦士(イラスト)
まんが笑学校 表紙(イラスト)
吾妻ひでおのマンスリー・ギャラリー CD-ROM WORLDの巻
ひでおと素子の愛の交換日記 早春物語のこと
ひでおと素子の愛の交換メール
新井さんの胸のうち Q&A
ついに日本で初めて試験管の中で人間が製造された!
ハレハレ アニマルミステリー
真冬のミステリー
宇宙ラッシュ! 希望にみちたきみたちの未来図
エスパーの六大超能力!
栄光の1970年! YOU ONLY LIVE TWICE
直滑降思考によるイチャモン学入門
一分間まんが
愛の花
映画(卒業)を見てるといくらかおもしろいよ!
チャンスくん
銃猫(イラスト)
「幸せを売る男」(イラスト)
吾妻ひでお 不滅のキャラクター特集!
おーマイ・パック:壮烈!変身大作戦
ふたりと5人 ふるさとへ帰ろう
ふたりと5人 ヒモつき
ふたりと5人 ごぞんじヒモつき
ふたりと5人 番外
POKO Vol.1 表紙(イラスト)
吾妻ひでお伝!
絵日記
無気力日記
ファンクラブ集会(ショートショート)
激描! 無気力プロの全貌!(イラスト)
通信販売返信用ラベル(イラスト)
祝・ズッコケター御出版
生活まんが がんばれ知佳ちゃん
くらっしゃー じ、じょおー
ほとんど実録 吾妻ひでおの 良いファン悪いファンとんでもないファン
はあどじゅーる新聞Vol.8 (カット 他10葉)
公式ホームページ (2009)より
失踪日記のこと
人生で一番うまかったもの、まずかったもの
’06年4月からの予定
7月○日「うつうつひでお日記」発売
コスプレ奥様
うつうつひでお日記 〇月〇日 断酒会会報届く
うつうつひでお日記その後 (4コマ 2本)
米沢さんありがとう
米やんは何でも知っている
米沢さんどうしてるかな
断酒会と私(2)
がんばれ小さな本屋さん(エッセイ)
しっぽがない会歌ジャケット(イラスト)
吾妻ひでおの“読書絵日記” これであなたも太宰ファン
吾妻ひでおの“読書絵日記” 筒井康隆『串刺し教授』全17編!
吾妻ひでおの“読書絵日記” 清水義範『イエスタデイ』!
吾妻ひでおの“読書絵日記” スティーヴン・キング『ミザリー』
吾妻ひでおの読書絵日記 『リプレイ』ケン・グリムウッド
酒中日記
’77年春に狂う吾妻ひでおの仕事部屋 あの助平マンガはここから生まれる!!!(1コマまんが)
お父さんはフィリップ・マーロウ
風のひょう太郎 No.1
風のひょう太郎 No.2
ゴタゴタマンション No.3
新年コト初め!?
花のメルヘン
公衆便所で
いちヌケ君 その1
いちヌケ君 その2
いちヌケ君 その3
グルメあじまの特に名を秘す近所のえぐい店
生もの地球紀行

 以下、旧サイトで紹介できなかった作品について、順に見てゆこう。もっとも、ほぼ全てが、そうなのだが……。この点で本書は、どえらく貴重な書籍になっている。マンガの単行本が定価2400円なんて法外だ、と感じるかも知れないけれど、決してそんな事はない。ウソだとお疑いならば、上記リストにある作品のどれか1つで良いから、「初出の現物」を何らかの方法で探し出し、読む努力を試みて欲しい。……カネと時間に糸目をつけぬと言うのならば別として、およそ成功できぬハズである。いち個人の力では実現不可能な作業を、本書は完遂しているのだ。

(高一キャンパス 1965年)

 どうやらデビュー前、作者がまだ高校生であった時の1コマ漫画であるらしい。筋金入りの古参である吾妻ファンでも、これを以前に見たことがある人はいないのじゃあるまいか? 詳細は知る由も無いが、『こうして私は漫画家した』で学生時代について回想している、その当時に描かれた作品か。
 万物の霊長として全生物の頂点に君臨しているはずの人類が、なぜかその地位を失っているという、ブラックユーモア。作者の個性は、この頃すでに発揮されていたようである。

 ……このあと、折り込みポスターの様な形式で、以下の2作品が登場。

ななこと鴉(イラスト)


(2016年2月9日)

*「美少女実験室」用に描いたななこはデッサンを意識し過ぎて可愛くなかったので、描き直しました――という作者の台詞が読める。
 ここで言及されている『美少女実験室』とは、2011年4月23日~5月23日に明治大学博物館にて開催された「吾妻ひでお美少女実験室」という催しの事と思われる(旧サイトに紹介記事あり)。
 この時『吾妻ひでお 作画の過程』という記録映画が会場で上映されていたのだが、その中に映っているイラストレーションが新たに描き直されたらしい。



(「第2回 心のアート展」(2010年4月21日 ~ 25日))

 狭いアパートの一室で、若い男性が寝そべり、タバコをふかしながらTVを観ている。そこにノックの音がした。
「新聞なら取らないよ 宗教は嫌いでピザは頼んでない」
 ドアを開けたとたんに彼は言い、どうせロクな客は来ないと確信している事をうかがわせる。ところがそこに立っていた、学生みたいな制服姿の美少女が言う、
「こんにちわ 今日は本当に ありがとうございました」
 彼女は自分が、昼間に罠から助けてもらった鶴であると称する。しかし若者に、そんな記憶は無くて……。

*出版物ではなく展覧会において発表され作品のようだ。都市部に部屋を借り、独りで住んでいると、まあだいたい誰もがこうした調子で、「人を見たら泥棒と思え」の価値観になってくる。逆に言えば、誰もが最初からそうだった訳ではない、という事になるだろう。


 さて、ここから内容が始まる。

 本書は実に多種多様な短編や掌編などを収録しているのだが、目次によればそれらを以下の6つに分類したようだ。

・近作と美少女
・デビューの頃
・少年まんが
・無気力プロの頃
・日記と友人たち
・青年マンガ

 最初に「近作」が置かれているので、単行本『失踪日記』(2005年)で吾妻ひでおを初めて知った、という人にも読みやすい導入部になっているだろう。また「美少女」という主題は、吾妻ひでお作品において主要な特徴のひとつであると同時に、多くの読者から好まれそうに思える。こうした編集と配列により、本書のいわば玄関となる部分が、広くて入りやすいよう、設計されていると言えそうである。


 『近作と美少女』の扉を飾っているのは、『スクラップ学園』のヒロイン、猫山美亜。



(2010年12月15日、『第2回 心のアート展』で発表)

 作者自画像とおぼしき人物が池の畔(ほとり)に立つ。そして何をするのかと思えば……。

*本書を読み進むとわかるが、ち密に描き込まれた絵で奇妙な光景が展開する手法は、デビューまもない頃の作品ですでに散見される。現実離れした場面に説得力を与えるべく考えられたのだろうか?



(2014年12月3日、『第21回 ”癒し”としての自己表現展』で発表)

 作者が道を歩いていると、美少女から声をかけられる。
「『死にたいクラブ』に入会しませんか?」
「うん 入る」
 そう返事をしたのだが……。

*奇妙な世の中の、奇妙な出来事を、奇妙な主人公(かように誘われて全く動じずあまつさえ承諾している!)が淡々と先へ進む。ところが上には上がいて、そいつは……???



(2015年6月17日、『第5回 心のアート展』で発表)

 咳(せき)が止まらない作者。かーっ、ぺっ! と吐き出してみれば……。

*擬人化によるブラックユーモア。たった1ページ、その最後の1コマで仰天させる演出と構成は絶妙。



(『第22回 “癒し”としての自己表現展』で発表 2015年12月2日)

 作者は、たい焼き屋へ向かう。その看板には「オリジナル型作ります」と書かれている。で、
「いつもの あじま焼き3個」
と注文したら、出てきたそれは……。

*おそらく日本中どこにでも「たい焼き」の店は存在するだろう。その極めて日常的な場所で起きる、およそ日常的ではない変な出来事が、さも日常的で珍しくも何ともないかのように展開している。



(2009年4月)

*これは何かから切り出された活字によって作られているコラージュ。昔の犯罪ドラマでは、「筆跡」を隠すため、こういう方法で通信文を作成して送る場面がよくあった……。
 文字が並んでいるのを見かけると、僕らは反射的にそれを読もうとする。これは文字というものが人間にとって、伝達を目的とする道具また手段であるからなのだろう。使われているのが母国語である場合はなおさら、読もうとするのが普通ではあるまいか。
 ところが、その、いつもの習慣で「読もう」とすると、全然「読めない」のに気づく。
 文字が並んでいるのに、読み取れるような「意味」が、ここには無い。せいぜい「意味のある単語」、二字熟語くらいまでが理解できる限界で、ここには文字はあっても「文章」は無いのだ。
 奇妙な戸惑いを味わわされるのは、なぜだろう? どうも、当たり前の約束事である役割を、ここに並んでいる文字「たち」が、全く果たしていないゆえではないか、と思える。
 書き手の内面にある考え、感情、見ている情景など、その当人にしか把握できないものを整え、形を与えて外に出し、他者へ伝えることを可能にするのが、文字というものだろう。
 それが、なされていないのだ。
 使い手たる人間が存在しなくなる時、文字は制御を失う。文(章)の構成要素として意味を持たない時、文字は、表意や表音の「記号」とも、単なる「形」ともつかない中間的なものへと変質するようだ。
 活字で切り張りされた手紙は筆跡を隠す。いっぽうこのコラージュは、作者の内面を隠しているかのようで面白い。文字たちが反乱を起こして、人間の意思から自由になり、好き勝手に自らが望む(?)とおり流れることによって。



(2011年2月)

単行本『失踪日記』などで明らかにされたとおり、作者は一時期、ガス屋さんとして働いていた経験を持つ。そしてその当時、とあるいきさつで執筆・公開されたのが、わずか1ページだった4コマ漫画作品『ガス屋のガス公』(オリジナル版)だったようだ。
 リメイク版は、『吾妻ひでおマニアックス展』(旧サイトで紹介済み)においてその存在が知られたのだが、この時はショウケースの中に生原稿のトビラが展示されただけで、内容は知り得なかった。本書でやっと読めるようになったのは、ありがたい。

 動物(二足歩行をこなし、人類と同じ程の背丈があり、かつ人間の言葉を使う)が、全く当たり前のように人類と共存している奇妙な世界は、吾妻マンガに関して見ると、『夜の魚』(1984年)あたりから始まった手法だろうか。
 このやり方は『地を這う魚 ひでおの青春日記』でも引き継がれており、自叙伝的な作品で用いられることが多いのかも知れない。


ガス屋のガス公(オリジナル版)
(1993年2月)



(フェアリーダスト 10 1989年1月)

 二人の女子高生、ユミとジュンは、失恋の痛手から、一緒に美しく死のうと決めて、冬山に入る。
 ユミが寒さに耐えられなくなり、ジュンが励ます。ところがジュンは片手間に、「ひよこの雌雄鑑別」を始めた。変に思ったユミは、ジュンが持ってきている大荷物をいぶかり、その中身を調べようとする。そして……。

*劇中に登場する光景や台詞に、いろいろクセがある。それらについてここに脚注を記すと、まだ読んでいない人に内容がばれてしまうので、やめておこう。

 ぎょっとするのは、自殺するつもりで冬山に行く、という、ヒロインたちと同じ行動を、作者が実行したらしい(!)ことで、これは単行本『失踪日記』の『夜を歩く』に詳しい。

 そして作者が最初の失踪をしたのが1989年11月、すなわちこの作品『マンタのひるね』が発表されたのと同じ年なのである。 

 それにしても、なぜ『マンタのひるね』という題名なのやら。そもそもマンタ(実在する大きなエイの仲間)が昼寝をするのであろうか???

でんじゃらすももちゃん


(モノ・マガジン 1993年5月2日~)

*1993年4月号から1996年8月号まで連載された4コマのシリーズ。

 よって冒頭の『外人差別』に描かれているのは、主人公が登場したほぼ直後の姿だ。話題もそうだけれど、ヒロインの髪型や服装に、当時の世相が色濃く反映されているようである。

 このころの日本は、いわゆる「バブル景気」で変な熱狂を経験しており(そしてその栄華の崩壊が目前に控えているのを知らなかった)、若い女性たちの中には、その勢いに乗って遊びまくる者もあって、彼女らには、共通する独特の風貌が目立っていた。

 細かいパーマをかけて波打たせたロングヘアや、前髪に特徴を持たせるやり方はその一種で、主人公もこれらにならっているかに見える。

 また、妙に婀娜(あだ)っぽく放埓(ほうらつ)な印象を与える、身体にぴったりした衣服も、当時の流行を取り入れているらしい(?)。後半では、だいぶ大人しい着こなしに変わってきているようだが、はて……。



(増刊ファミコン通信 Vol.3 1991年2月8日号)

 主人公の少年は下校した後、路上でふらついている少女を見かける。突然倒れた彼女を助け起こしてみれば、どうも同じ学校の生徒であるようだ。
「あたしの家 貧乏で電気止められちゃったんです このところずっと ご飯食べられなくて…」
 そう語る彼女を助けてやることにした主人公だったが。

*珍妙な出来事と、珍妙な人々。奇々怪々な喜劇であると同時に、現実そっちのけとなりがちなビデオゲームのマニアが読めば、おぼろげな風刺にもなっている(?)一品。



(別冊Comic Box 2 セーラー服少女伝説 1987年5月1日号)

*『スケバン刑事』(すけばんでか)は1975年から雑誌連載された少女マンガが原作で、ここに言及されているのはそれを実写でTVドラマ化したシリーズ(1985年~)のほう。
 吾妻ひでおが漫画家としての立場から「原作」について語ってくれていたらより面白そうな気がして、この点いささか残念ではある。添えられた文章には、見せる格闘技としての楽しさについて意見が述べられている(?)ようだ。タイトルにあるUWFは「ユニバーサル・レスリング連盟」の略称で、日本のプロレス団体のことである。


 セーラー服の美少女が戦う物語は吾妻ひでお自身が『ななこSOS』を執筆しており、こちらもTV化されたわけだが、日本の視聴者はこうした題材がよほど好きなのか、同じ系譜にあげられそうな『美少女戦士セーラームーン』(1992年~)も原作マンガをTV化し大ヒット作となっている。不可思議であると同時に興味深い。

女戦士

(レモンピープル 1983年12月1日号)

マンガ笑学校表紙

(劇画悦楽号 1983年7月5日 増刊)

 全ページ白黒で1色の印刷、というやり方を基本とする日本のマンガ雑誌において、着色原稿、それも2色とかではなくフルカラーのものを発注される機会は、かなり稀(まれ)だ。逆に言えば、そういう仕事が来るようになれば、かなり人気が出てきた事を意味する。
 ここに収録されている2葉はどちらも1983年、『ななこSOS』がTVアニメ化され、作者33歳で絶好調だった時期に描かれており、後者の様にとうとう雑誌の表紙を任されるまでになった事がわかる。

吾妻ひでお CD-ROM HIS WORKS AND DATABASE


(MEGU 1996年3月)

*これは月刊誌『OUT』に連載された『吾妻ひでおのマンスリー・ギャラリー』につながりを持つ作品らしいのだけれど、初出時の現物が僕の手元には無く、詳細不明。
 『吾妻ひでおCD-ROM WORLD』については旧サイトに書いたとおり。
 「Windows95」が登場してから、パソコンというものは少しづつ一般家庭へも普及し始めたように思える。とはいえ、ごく普通のマトモな人たちにとって1996年当時、パソコンはまだ、「何の役に立つのか全然わからないくせに恐ろしく高額な電気製品」でしかなく、自宅にそれを持っている人は限られていた。このゆえ作者の吾妻ひでお自身が「うちはコンピューターないんで見られない」と台詞で語っているのは無理からぬ事だろう。

ひでおと素子の愛の交換日記 早春物語のこと

(バラエティ 1986年6月 別冊角川映画大全集)

ひでおと素子の愛の交換メール

(Net Works 1994年2月)

新井さんの胸のうち

(月刊カドカワ 1989年11月)

*1969年から秋田書店の少年マンガ雑誌を主な舞台として長い間活躍してきた吾妻ひでおは、1980年代になると、マンガが主体ではない雑誌でも連載を持つようになる。
 「マンガ」と「挿絵」の中間といった作品形態のものが発表されるのはたぶん『ひでおと素子の愛の交換日記』(1981~86年)あたりがその最初で、ここに収録された3点はいずれも、新井素子との合作といった造りになっており、この流れをくむものと言えそうである。
 仕事を通じて人脈が広がると、未知であった領域への扉が開く機会も出てくる。『ひでおと素子の愛の交換メール/素子のパソコン通信事始め』によれば、彼女にパソコン通信(今となっては古色蒼然たる単語だが、とどのつまりインターネットやメール等の「はしり」)を教えたのはSF作家の高千穂遥であったらしい。
 (いささか不可思議な気もするのだけれど)SFマニアの誰もが科学技術の進歩に興味津々でいるわけではないのが現実のようで、ここでも吾妻ひでおは「私 パソコン通信って 何だか知らないんですけど」と台詞で語っている。


(エクルス人間情報I 女 1969年1月)

*処女作を読めばその作家の全てがわかる、といった説をきいた事がある。その真偽はさておき、極初期の作品群には作者の根源的な個性がはっきり出るように思う。あれやこれやの経験を積むにつれ変化発展してゆく前の状態を見られる、とでも言おうか。
 どういう「つて」でこの仕事が入って来たのか知る由も無いけれど、ここであからさまにSFマンガを描いているのは、さもありなんという感じだ。
 題材は、僕の記憶がもし正しければ、当時(1969年)「試験管ベビー」という流行語があったので、そのへんがヒントになったのかも知れない。ただしこの「試験管ベビー」は体外受精による不妊治療を目的とした研究だったはずで、このマンガのように「人間が製造され」る事を前提としたものではない。このへんが(風刺とかではなくて)SFだ。
 なお、女性が読んでいる『性生活の知恵』は実在する書籍であり、初版が1960年、大ヒットして続編も出版されたようだ(1963年)。


(別冊まんが王 1969年11月15日 秋季号)


(まんが王 1970年1月号)

 デビュー間もない新人へは、ちょっとしたカットを描く仕事がまず与えられ、やがて1ページとか2ページといった分量の、埋め草っぽい原稿が依頼されるようだ。
 ここで当時の吾妻ひでお(クレジットには「吾妻日出夫」とあったらしい)は、1コマや3コマといった掌編をいろいろ描いている。ブラックユーモアや奇妙な幻想に、独特の個性と作風がうかがえるように思う。
 読者である少年たちの集中力が長い時間は持ちこたえられない、といった編集サイドの配慮もたぶんあったのだろうけれど、TV番組で『ゲバゲバ90分』(1969~1971年)というのが視聴率を稼いでいたという世相も、あるいはこうした企画に影響を与えていたのかも知れない(?)。

宇宙ラッシュ! 希望にみちたきみたちの未来図
まんが王 1970年1月号 付録

エスパーの六大超能力!
まんが王 1970年1月号 付録

*これらの2作品については旧サイトで紹介済みなので割愛。

(まんが王 1970年2月号)

(まんが王 1970年4月号)


一分間まんが

(まんが王 1970年2月号)

 これら3つのうち、『一分間まんが』は古典的な様式の4コマ作品なのだが、同時期の『栄光…』と『直滑降…』はいささか独特で、TV番組になぞらえるならバラエティのような造りになっており興味深い。編集部からどのような原稿依頼が来たのか知る由も無いけれど、「6ページ発表場所を提供するから、好きなようにやってみろ」とでも言われ、まかされたみたいな仕上がりだ。


 6ページという容量があれば、正統的なマンガを描くにも十分だったろう。だのに吾妻ひでおは、それをやっていない。あれやこれやのアイディアを詰め込み、多様な芸を見せている。
 こうした「引き出しの多さ」と「前衛性」は、注意力や集中力が長い時間は持続しにくいはずである少年誌の読者たちに合っていたろうと思え、吾妻ひでおの出発点が少年マンガだったのはやはり、相応(ふさわ)しい事だったのだろうと感じさせられる。


 また、青年マンガ向けの様な大人じみた要素が混入しているのにも気づく。例えば『栄光…』の英文 "You Only Live Twice" はおそらく『007は二度死ぬ』(映画なら1967年公開)の原題を借用したものだ。『直滑降…』は「垂直思考」(「水平思考」に対立する概念として1967年頃に知れ渡った)のパロディと思われる。こういった点は、ちょっと背伸びをして「もう自分は幼稚な子供ではない」と主張したがる少年たちの関心を引いたのではあるまいか。

 未来予測ネタで作者ならではのSF的な感性が見られたり(『パチンコ天国月世界』)、魚が空を飛んでいる奇妙な光景があったり(『どうなる国電ラッシュ!』)――これは後に「フキナガシ」というキャラクターが誕生するその前触れだったのかも知れない――はては大手出版社の週刊誌に連載されていた有名企画のパロディまでやってのけている(『モーケツ人生相談』)。しかもそのパロディは原作の設定をちゃんとふまえたうえで急所を突くような風刺(?「いいとしこいて ひとりもの」)を含んでいるのだ。これは当時、ライバル誌で「カバゴン」こと阿部進が人生相談をしており、性について肯定的に取り上げていたのに対し、こちらがたいへん保守的な立場をとっていた点に着眼したのではないかと思える。

 いやはや、吾妻ひでお恐るべし……。



(少年マガジンコミックス あしたのジョー 7 1970年7月10日)

 美女に男が花束を渡そうとする。けれど彼女の反応は冷酷で、なんたることか、彼を射殺してしまうのだった。この娘、やたらモテるようだが、はたして……。

*「女性が優しいものだなどとは考えるな」といった雰囲気の警告ギャグ(?)。現実離れした結末にはSF味も見られる?

映画(卒業)を見てるといくらかおもしろいよ!
(COMコミックス 1972年3月号)

旧サイトで紹介済みなので割愛。



(テレビランド 1973年6月号)

 ローラースケートを買ってもらい、喜んでさっそく滑り始める主人公の少年。ところが「予算のかんけいで」片足ぶんしかない(!)。そんな変な状況にもくじけず、知恵を絞って遊ぶのだけれど……。

*日本ではローラースケートで遊べるような場所があまり無いかも知れないが、1968年からTVのスポーツ番組『ローラーゲーム』が始まると、ちょっとした流行になったようだ。



(2010年ころ 未発表)

*写実的な画風で描かれた奇妙なイラスト。3匹のネコが混ざり合い、それに加えて拳銃などの機械も見える。大人しそうにも見えるし、危険でどう猛なようにも見えるが、はて……。



(1971年 予告のカット)

*詳細不明だが、これの替わりに描かれたのが『荒野の純喫茶』だと説明文にはある。してみると掲載されたのは『少年チャンピオン』か。
 ただし、『荒野の純喫茶』は1970年8月ころに発表されており、年度が前後するため、辻褄が合わない。一方、このカットから僕が連想できるのは読み切り短編の『セールスウーマン』だ。こちらの初出は(『少年チャンピオン』ではなく『別冊少年マガジン』だったが)1971年7月号で、時期的には適合する(?)。
 こうした点から、このカットの説明文は史実と食い違っているかも知れないと僕は考える。

 蛇足だが、1959年から日本でTV放送されていたアメリカの西部劇『コルト45』では、その主題歌に「おいらは平和を売る男」という一節があったようだ。世代的に吾妻ひでおはこの番組を見ていて、そのへんがこのカットの題名のヒントになっていたであろうか?



(吾妻マガジン ALICE むちむち号 1977年5月7日)

 コピーによる新聞『ALICE』については旧サイトに少し書いたので割愛。なにしろ発行部数が(おそらく)20にも満たなかったので、ほとんど現存しないだろうと思う。これが書籍に復刻収録されたのは非常に重要な出来事であり、貴重なはずだ。

 すっかり忘れていたけれど、『エイト・ビート』に登場するメチル・アルコール警部が、手塚治虫のマンガ『エンゼルの丘』からきているという説明は興味深い。主人公ではなくて脇役、それも殺し屋二人組の片方(たぶん、黒髪である『ベター』)に注目したあたり、吾妻ひでおらしいと言うべきか? 手塚治虫の原作を調べれば分かるけれど、メチル・アルコール警部の髪形はこの『ベター』と全く異なるので、『エイト・ビート』連載当時にこうした点を見抜いた人は、古参の吾妻ファンにさえいなかったのではないかと思う。

 なお、ページの下の方にちょこっと描かれている『黒マクさん』および『黒幕さん』は、当時に読者から「正体を明かせ」というリクエストが来ていた(と、沖さんが確か語っていた)ようなのだが、結局、正体不明のまま新聞が休刊してしまったと記憶する。僕は「吾妻夫人の自画像なのではないか?」と推理していたのだけれど、いまだに真相を知らない……。

おーマイ・パック:壮烈!変身大作戦

(少年チャンピオン 1972年10月2日号)

ふたりと5人:ふるさとへ帰ろう

(少年チャンピオン 1976年2月23日号)

ふたりと5人:ヒモつき

(少年チャンピオン 1974年7月22日号)

*これらの作品については旧サイトで紹介済みなので割愛。

ふたりと5人:ごぞんじヒモつき


(少年チャンピオン 1975年5月5日号)

 戸外を歩いているユキ子へ、おさむが声をかけて走り寄る。
「ラジカセでユキ子さんの おならの音とって毎晩聞くの」
と言う彼を、怒ったユキ子は蹴っ飛ばして拒絶する。しかし、おさむが断念するわけもなく……。

*これもナショナル製品のCMマンガだったようだ。前回の「水に浮くラジオ」では赤・黒2色刷りカラーで2ページだったが、今回は白黒4ページとなっている。製品の写真を貼り込む技法は、今回なぜか使われていない。また、上段にはマンガと直接関係の無いカットが描かれているのだけれど、掲載された雑誌の現物をまだ調べていないゆえ、詳細は分からない。

 1960年代まで、音楽などの記録媒体はモノラルのみだったが、1970年代に入るとステレオが一般的となり、その音質と臨場感は飛躍的に向上した。加えて、それまで録音といえばオープンリールのテープを使う大きくて重たい機材しか存在しなかったのが、カセットテープおよび(電池で作動するため持ち運びの可能な)小型テープレコーダが普及し、誰でも手軽にステレオ録音をする事が出来るようになった。こうした諸条件の進歩向上は、音にこだわる人々を発奮させたようで、今回おさむが、にわかマニアとなって音の収集を始めているのは、そういった世相の反映だったのかも知れない。(複数個所で彼が右手に持っているアンテナ付きの道具は、製品に標準装備されていたワイヤレスマイクであるようだ。)

ふたりと5人:番外


(少年チャンピオン 1976年6月28日号)

「いててて」
「おさむくん どーしたの!?」
 彼は虫歯があるらしい。ユキ子が口を開けさせて中を見たら……。

*6月4日が『虫歯予防デー』なため、そのキャンペーンに発表されたマンガであるらしい。オチからすると何かの製品のCMでもあったのだろうかと気になるが、これも、まだ掲載された雑誌の現物を調べていないゆえ詳細不明。

POCO Vol.1 表紙

(1978年)

旧サイトにも少しだけ書いたが、POCOというのは『吾妻ひでおF・C』の会誌の題名で、神奈川県を拠点とし、他に『どーでもいんなー新聞』を発行していた、女子高生によるファンクラブだったらしい――といった事しかわかっていない。

 なんにせよ、これまた発表された会誌が果たして現存するかどうか定かでないうえに、オリジナルのキャラクター(登場するマンガ作品がたぶん存在しない)としてデザインされ描かれたものと思われ、大変貴重だろう。


(ALICE 1977年9月11日)

*題名の次、最初のコマにナレーションがある。

「ぼくの修業時代のことを知りたいという手紙が多数(一通)あったらしいので かくことにしました。」

 この「一通」を出した犯人が、どうやら僕だったらしい。郵送でALICEを受け取ってこれを発見した僕は感謝感激したのだが、

「原稿料の入らん仕事は もひとつ のれない」

という台詞があったので、申し訳なく思い、数日後、吾妻先生とお会いできた時にこの件をおわびした……という話は、既に旧サイト((12)ついに先生の執筆現場へ)で書いたとおり。

 もしかするとこれは、吾妻ひでお自叙伝マンガとしては「最初」のものだったのかも知れない。

 作者がどんどん多忙になってゆく上り坂の真っただ中に執筆されたせいもあってか続編は描かれなかった。もし制作されていたら、今となっては作者自身にさえ回想するのが困難であろう初期の日々の出来事が記され、大変貴重な資料となり得たのかも知れない。そうした点、まことに残念ではある。


(ALICE(?))

*僕はコピー新聞『ALICE』に関しては、創刊号から最終号まで全部をもらう事ができ、当時に読んだと思う。しかしこの『絵日記』という作品は目にしたおぼえが無くて、これは何か別の場所で発表されたものなのではないか? と考える。

 むろん、僕の記憶なんぞおよそ当てにならないのだが(例えば『不滅のキャラクター特集』では『観音さま』が描かれているのに僕はこれをきれいさっぱり忘却していた)。

 しかし上段の記述、高校卒業からコボタンでの再会までの話は、自伝マンガ『吾妻ひでお伝!』と内容が重複している。おそらく1号毎に十数部しか発行されず(送料も含め予算の全額が吾妻先生のポケットマネーから出ていた事を考えても、発行部数はその位だったはずなのだ)、創刊から休刊までたしか5号ていどだった『ALICE』で、内容の重複する記事が掲載されるのはいささか考えにくい。

 加えて1978年、月刊OUTが8月号で特集記事『吾妻ひでおのメロウな世界』を組んだ直後あたりから、吾妻ファンは加速度的に増えてゆき、独自の活動を始めて、それと機を同じくして『ALICE』は、その役割を終えたと判断されて(?)いつの間にか休刊した。

 そういった点から推理するに、この『絵日記』という1ページの作品は、『ALICE』以外の、何か別の場所で、ファンサービスに執筆・発表されたのではないか?

 もっとも、掲載された現物が存在するのであれば、推理もヘチマも無いのだけれど……。


(Poco Vol.1 1978年12月30日)

*忘年会(?)を級友たちと行い、さらに大晦日から新年の三日間を寝正月で過ごす……という内容。後半は予定(あるいは空想)だったのだろうか?

 コマの枠線は手描き、ベタ(黒く塗りつぶした箇所)無し・トーン(模様)無しで、線画の走り描きといった印象の1枚。いかにも生原稿の複製といった感じがするせいもあってか、当時、ファンとしてはこういった作風をうれしく思った記憶がある。

(ショートショートランド 夏号 1981年7月10日)

*初出がショートショートの雑誌であったらしく、この作品は文章のみ(!)で、挿絵は無かったようだ。
 これはとんでもなく珍しい事であるはずで、吾妻ひでおによる掌編小説といった作品はおそらく、他に存在しないのではなかろうか? (雑誌に「コメント」として短文が載った例は幾つかあるかも知れないのだが。)
 読んでみると頭の中に映像が浮かぶ。吾妻マンガの絵柄、コマ割り、フキダシ付きだ。ファンが読むと脳内で自動的に、活字から視覚的な変換がなされる。慣れ、というものか、これは?
 現実的な(?)前半の細部は、ファン事情など、当時の作者の環境がわかって興味深い。結末が幻想的なのは、いかにも吾妻マンガのそれらしいと言うべきか。


 この書籍では挿絵が2葉、付されている。一つは『激描! 無気力プロの全貌!』(ALICE 1977年)。僕の記憶が正しければ、左上の「人生につかれた時用」と「元気わき出し器」などの細部はギャグのフィクションとしても、確かに室内の配置はこの図の通りであったと思う。題の「激……」という造語は当時の流行だったようで、写真集や食品CMなどで使われていた。「……の全貌」というのは、右下の「北岡くん」が研究熱心なマニアで「……兵器の全貌」といった題の分厚い図書をしばしば読んでいた事が影響しているのかも知れない(?)。

 もう一つ、『通信販売返信用ラベル』(1980年代)というのは、何に使用されたのか僕には分からない。女の子が宇宙服(?)を着ているのは、当時、SF映画やアニメで宇宙を舞台とするものが流行していた事の反映だろうかと思われる。

祝・ズッコケター御出版

(だ作者くらぶ 1982年8月1日)

『ズッコケター』というのは、三鷹公一
によるマンガで、一説によれば虎馬書房から上梓(じょうし)されたらしい(実物未確認)。しかし『だ作者くらぶ』については詳細が今のところ不明。三鷹公一はTVアニメ版『ななこSOS』の絵本でも作画を担当した。


(はあどしゅ~る Vol.9 1983年8月7日)

旧サイトで少し書いたが、「はあど・しゅ~る新聞」は、大日本吾妻漫画振興会の出版部である虎馬書房が発行していたようだ。

 ここに登場している「知佳ちゃん」は吾妻ひでおの御息女で、「はあどしゅ~る」ではいち早く、その誕生からすでに「すく~ぷ」として報じていたようである。「あぽぉ」という台詞はおそらく、当時にドリフターズがTV番組のコントで、プロレスラーのジャイアント馬場のモノマネとして流行させたそれだろう(?)。


(はあどしゅ~る新聞 Vol.8 1982年12月16日)

 『クラッシャージョウ』は、高千穂遙によるSF小説だが、のちアニメ化され、1983年に劇場用映画(監督:安彦良和)として公開された。これに、『アヅマジロ』(?)なる宇宙生物が、ちらっと1カット出演したようなのだが、ここに描かれている奇妙な生物は、どうやらそれであるらしい(?)。


(はあどしゅ~る 第11号 1984年8月)

 この題名は当時のTV番組『欽ドン!良い子悪い子普通の子』を、もじっているものと思われる。描かれている自画像を信じるならば、作者はこのころ、くちヒゲをたくわえたようだ。

 1970年代と1980年代では吾妻ひでおの絵柄も作風もかなり大きく変化しているため、これを惜しむファンもけだし多く存在したのだろう、そういったファンからの手紙で苦痛を味わわされた旨が記されている。そのたぐいの、好ましからざるファンの典型だった僕なぞは、旧サイトで白状した通り1970年代末には『無気力プロ』と疎遠になっていたのだが、この作品を読むとあらためて冷や汗が出る……。

 作者が1980年代初頭に手掛けていた連載作品『スクラップ学園』の主人公・ミャアちゃん(猫山美亜)も、1982年に『はあどしゅーる新聞』の紙面を飾ったようだ。当節ならば「塩対応」とでも評されそうな不愛想さは、何者にも自身を好きなようにはさせない彼女の強固な自我が現れていると言えようか。誰にどう思われようと全く意に介さないその態度を、作者は羨ましく思っただろうか……?

 同人誌またはファンクラブ会誌で発表されたカットも幾つか収録されている。

 『プチシベール』(の表紙)については旧サイトでも紹介した。同人誌『シベール』の増刊号みたいな位置づけになるものであったらしい(?)のだけれど、詳細はよくわからない。『シベール』誕生のいきさつは『蛭児神建氏のこと』に記されている回想が、普通に入手でき読めるものでは最も詳しい資料になるだろうか。

 『ASOKO』については全く何も分からない。『やけくそ天使』のヒロイン・阿素湖と進也、二人の肖像だと思うのだが、ずいぶん美男美女に描かれている。阿素湖(?)は髪形が本編と異なる(ロングヘアではない)ため、ますます別人みたいに見える。

 『どこでもめいぼ』も詳細不明。ただ、丁半博打のツボを振る(?)阿素湖が描かれたこのカットは、ファンクラブ『シッポがない』によって作成されたカレンダーでも同じものが使用されているので、そのつながりから作成された同人誌であろうか。

 そして長い時が流れ……。

 平成17年(2005)3月にかの単行本『失踪日記』が発売されて、このころ(同年3月4日)公式サイトが開設されたみたいなのだが、この、インターネットという新しい伝達手段を利用した広報では、しばらくの期間、作者についての最新情報と共に、描きおろしのカットやマンガなどが毎月、公開されていた(この時期の作品を主に収録した書籍には『うつうつひでお日記 その後』がある)。『吾妻ひでお公式ウェブサイト』は2012年9月にURLが替わり、『吾妻ひでお公式HP』として現在(2017.9)に至っている。




 ニュース性のある話題を伝えるのにより適正があり、かつ更新もより簡便であるゆえか、広報の重点は最近、Twitter (吾妻ひでおは2010年6月に登録・使用開始しているようだ)へとやや移って来た感があるが、なにはともあれ、こうした公式のアナウンスは、ファンにとって大変ありがたい。

 新刊が発売されると、それを機に作者サイン会などを実施する書店もあったようで、中には、関連キャンペーンの期間中、会場で特製のフライヤー(ちらし)を配布した場合もあるようだ。こうした印刷物は、その期間に現場へ行く事ができた者でないと入手不可能だっただけに貴重であり、こうした書籍へ収録掲載されるのはとても有意義であると思う。ちょこっと発表された、掌編よりも短い作品なども単行本に収録される機会が少ないため、ものすごく助かる。



(『COMIKET PRESS 25』(コミックマーケット準備会(有)コミケット)2006年12月29日)

 米澤嘉博(よねざわ よしひろ)氏は2006年10月1日に逝去されたけれど、吾妻ひでおとも親交があったらしく、吾妻マンガにいろいろな形で出演したり、著書に吾妻ひでおが挿絵を描いたり(『戦後SFマンガ史』など)、様々なエピソードがある。


(『米澤嘉博に花束を』(虎馬書房)2007年8月19日)

 極めつけは、氏がニンジンをひどく嫌っていた事がそのままヒントになった(?)ような吾妻マンガ『ニンジン嫌いの魔法使い』が存在する事であろうか(実際、氏は小さな妖精(?)の役で、似顔絵キャラクターがちょこっと出演しているようだ)。


(『米澤嘉博に花束を 3』(虎馬書房) 2010年8月15日)

 のち『米沢嘉博記念図書館』が設立されると、展覧会などで吾妻ひでお関連の行事が開催されており、氏と作者とのつながりは、なおも続いていると言えそうだ。
 ここでは米澤嘉博が世を去ったのち、追悼出版物に掲載された3つの吾妻マンガが収録されている。


(こぶし 2015年4月16日)

 「アルコール使用障害」で入院した経験を持つ作者は、現在も『断酒会』に所属しているらしい。その組織の会誌に掲載されたらしいこの作品は、文字通りの部外者である僕らには読む機会が皆無で、大変貴重だ。
 入院中の出来事は、単行本マンガ『失踪日記2 アル中病棟』に詳しい。

(本の旅人 2012年1月号)

 吾妻ひでおは大変な読書家であるようなのだが、ここでは極めて珍しい事に、マンガではなく文章で、若かりし頃の読書体験をつづっている。掲載されたのがマンガ雑誌ではなかったのが理由かと思われるのだが、正確な事情は分からない。
 これによると、「私の生まれた北海道の小さな村には本屋がなかった」らしい。もしかすると、そうした生活環境は、読書する事への飢餓感や渇望をあおったのだろうか?
 ともあれ、社会人となってから「著者」の側に身を置くこととなった吾妻ひでおは、そのまま熱心な読書人でもあり続け、とうとう後には、読書の指南役として原稿を依頼される立場にまでなったようである。


(週刊宝石 1988年12月2日号)

吾妻ひでおの“読書絵日記”:筒井康隆『串刺し教授』全17編!

(週刊宝石 1989年2月10日号)

吾妻ひでおの“読書絵日記”:清水義範『イエスタデイ』!

(週刊宝石 1989年9月28日号)

吾妻ひでおの“読書絵日記”:スティーヴン・キング『ミザリー』

(週刊宝石 1990年4月26日号)

吾妻ひでおの読書絵日記:ケン・グリムウッド『リプレイ』

(週刊宝石 1991年2月21日号)

 読書をして、その感想をのべ、内容を紹介する……といった作業は僕らにも或る程度まで可能だろうが、ここで吾妻ひでおはところどころ、「楽屋裏」からの視点で書いているようだ。これは「著者」の立場にいる人間でないと無理なわけで、とりわけ興味深い。
「願望充足だ 逃避だと言ってたら 芸術は生まれないぞ」
といった一言なぞはニヤリとさせられる。
 同じ本を読んでも、読後に抱く感想は人それぞれ異なるものだ。本について自分以外の他者が語るのを聞き、面白く感じるのはそうした、自分との差異に驚かされる時ではあるまいか。そうした個性の発露が、感想や紹介をもまた「作品」にならしめるのだろうと思う。


(はあどしゅ~る新聞 Vol.8 1982年12月16日号)

 これが描かれた1982年は、5月に『オリンポスのポロン』がTVアニメ化されて放送開始した年だ。
 どんどん上り坂になる毎日だったかと思えるのだが、本音なのかギャグなのか「おぼえている楽しいことって飲んだことだけ」という独白が読める。多忙を極め、人付き合いは広がる一方の日々をおくるうち、酒量が少しずつ増していったのだろうか。


(コミックギャング 1977年3月号)

 たしかこれは掲載誌の「目次」のページで発表された1コマ作品だったと記憶する。同年の秋には『オリンポスのポロン』が女児向け月刊誌で連載開始したのだが、それに先立つ1974年には『やけくそ天使』の連載もすでに開始しており、児童マンガと青年マンガという、両極端を同時に執筆するようになる。そうした混沌(こんとん)? と多忙の毎日が、作者に「空中ぶらんこ」なる幻想を思い描かせたのだろうか。

 右上で原稿を指し示しているのは沖さん、左下で食事中(?)なのは、みぞろぎさんだろうと思う。


(ハヤカワ文庫 夏のブックパーティ'96 1996年7月)

 フィリップ・マーロウは、レイモンド・チャンドラーによる探偵小説の主人公の名前。そのシリーズは1930年代から発表されているため、もはや古典と言えるのだろう(江戸川乱歩によるキャラクター、明智小五郎の登場が1920年代だから、推理小説としてはその次の世代になろうか)。

 で、そういうハードボイルドな人物像が、現代の日本人である「お父さん」だったら……という設定(?)なのがこの4コマのフィクション。いやはや。

 早川書房はSF小説だけでなく推理小説も発行しているので、吾妻ひでおにこういうマンガの依頼がきたらしい(?)。また、実際、吾妻マンガにも「探偵もの」は複数存在する。

 関係があるのかどうかは不明だが、フィリップ・マーロウの携行しているような拳銃と似た、旧式な回転弾倉式のそれを、吾妻マンガの私立探偵『エイト・ビート』も時折使っているようだ。

風のひょう太郎
(漫画アクション 増刊 がんがん野郎 1974年7月20日号)

風のひょう太郎
(漫画アクション 増刊 がんがん野郎 1974年8月23日号)

これらの2作品については旧サイトで紹介済みなので割愛。

ゴタゴタマンション(第3話)

(プレイコミック 1974年8月10日号)

 三蔵がにおいをかぎながら廊下を進み、アズマくんの部屋へたどり着く。カネを隠し持っているやつがいる、と、かぎつけたからだが、そのわずかな現金をめぐって、大家の悪酔くんら全員が大騒ぎする。そして……。

『ゴタゴタマンション』については旧サイトで紹介済みだが、この第3話は、かつて発行された単行本に未収録だったもの。作者の自宅の近所に当時実在した『純喫茶カトレア』がここでも舞台になっている。

新年コト初め!?
(コミックギャング 1977年2月)

この作品については旧サイトで紹介済みなので割愛。
 初出時には最初の、題名のコマにヌード写真が貼ってあったのだが、著作権の関係だろうか、今回収録されるにあたって、その部分は真っ白に修正されたようだ。


(漫画ポップ 1975年1月20日 コミックVan 増刊)

 若い女が真冬の屋外で、ひとつの鉢植えに目を止める。
「あら 可哀想に この花すっかり しおれてるわ 温かくしてやらなきゃ」
と言いつつ、これを自室に持ち帰って優しく世話を始めた。そのかいあって花は元気になった……のだったが……いや~な予感をおぼえたとたん、何と彼女の眼前に……。

*初出時には2色カラーだったようだ。今回は1色になってしまったが、紙質の良さも手伝って絵は細部まで鮮明に再現されている。
 「メルヘン」と言いつつ、全然子ども向きではない皮肉さが如何にも吾妻マンガと言うべきか?

公衆便所で
コミックVan 1974年11月7日号

いちヌケ君(第1話)
(高2コース 1978年1月号)

いちヌケ君(第2話)
(高2コース 1978年2月号)

いちヌケ君(第3話)
(高2コース 1978年3月号)

*これらの4作品については旧サイトで紹介済みなので割愛。


(コミックダブルエックス 2 1991年3月31日号)

「今日はグルメで名高い私あじまが特別に 近所の名店をご紹介しよう」
 そう語る作者の案内で、若い女性が体験リポートを開始する。そして二人が食べ歩く料理は……。

*料理を「芸」と考え(実際その通りなのだろう)、「手の込んだ、ていねいな芸があるかどうか」を判断基準にしているような印象を受ける。こうした視点は、いかにも漫画家らしいと言うべきか? しかし誰もが共感し、苦笑してしまいそう。


(NEWパンチザウルス 1989年5月23日号)

 背広姿の男が寿司屋(?)に入る。
「今日はいいマグロが入ってるよー」
と言われ、出てきたものを見てみれば、シャリの上に載っているのは等身大の女体そっくりで……。

*何ともシュールな幻想ギャグ。
 セックスの時に全く無反応で、ただ寝そべったままでいるだけの女性を俗語で「マグロ」と呼ぶらしいのだが(これはセリで魚河岸に並べられるそれに例えたのだろうか)……。
 初出誌での題名は「SUSHI WORLD」だったらしい。今回の題はNHKのTV番組『生きもの地球紀行』(1992~2001年放送)のパロディか。

 本書の巻末には『狂気と洗練のリスペクト対談』として、まんが家・高橋葉介とのやりとりが約8ページ収録されている。