Hideo Azuma has written 2 series, "Oshaberi Love" and "Chibi Mama Chan", that has a girl as its heroine, later 1970's. It is very interesting when we compare them.
はじめに
このカテゴリでは「エッチなし」で少女が主役の作品として、『おしゃべりラブ』と『ちびママちゃん』を紹介させて戴こうと思う。この2つのシリーズには、良く似た点と対照的な点とがあって、比較してみるといろいろ興味深い。
『失踪日記』で同時に言及されているとおり(p.132)、連載された時期はほぼ重なる。『おしゃべりラブ』はプリンセス1975年1月号から1977年9月号まで、『ちびママちゃん』は月刊少年チャンピオン1975年1月号から1977年12月号までに発表された作品だ。
一時期、吾妻ひでおは「エッチまんが専門」みたいな位置づけが出版界でなされていたのか(『失踪日記』同上ページ)、少女向け雑誌でさえ(!)その方向で執筆依頼が来たらしい作品さえある(『真絵知くん』(別冊少女フレンド 1976年)など)。読者の側からすればそれはそれで面白いのだが、作者としてはそうしたコメディに嘆息していたようだ。
そこで、「エッチなし」ギャグとして執筆されたこれら2作品、『おしゃべりラブ』と『ちびママちゃん』とは、作者にとっていわば原点回帰のポイントになったのではないかと思える。ただ、「エッチなし」の解放を得た(?)一方で、「SFなし」という桎梏(しっこく)もここにはまだあったらしく、作者からしたら、まだまだ苦難の続く日々だったのかも知れない。
で、そうした時期に描かれ生まれたこれら2人のヒロインも、ちょっと「苦労」をしている。どちらも単行本が出ているのだけれど、その出かたが少々ややこしかったのだ。
まず『おしゃべりラブ』は第1巻がわりとすんなり単行本になった(? 1976年4月20日初版)のだが、第2巻の発売はそれからだいぶ(1年半以上)たった後になる(1977年11月20日初版)。この不自然なズレは編集部の判断によるのだろうけれど、委細は分からない。
(個人的な思い出になりますけれど、沖由佳雄さんが当時、このへんの話を苦笑しつつ聞かせて下さったことがあります。氏いわく、
「(吾妻)先生が(『ラブ』の)第2巻どうなったんだ、ってきくと、担当さんがサッと話題をそらす、っていうからなァ」
だからか、無気力プロで発行していたCOPY新聞『アリス』紙上に"おしゃべりラブ第1巻発売中"の小さなCMが載った時には、
「あんまり売れないので2巻は出ないそーです」
という、ヤケクソ的なコメントが付してあったように記憶します。)
とはいえ『おしゃべりラブ』の連載は2年9ヶ月続いたし、最終回までがちゃんと単行本へ収録されている(唯一の例外は第21話(プリンセス1976年9月号)だけなのだが、これはなぜ未収録なのか分からない)。ただ、シリーズ終盤の収録は複数の書籍に分散して行なわれたようだ(『翔べ翔べドンキー』、『魔法使いチャッピー』、『ネムタくん』)。
いっぽう『ちびママちゃん』は、これまた第2巻まで単行本が刊行されたものの、そのあとの数話がやはり他の書籍へ収録されており(『ネムタくん』)、そのうえ最終回までは未だ単行本収録が実現していない。『ちびママちゃん』の主人公・やよいは幸薄い環境で青春をおくる健気(けなげ)な美少女なのだが、彼女の物語の出版が、それを地でいっている(?)ような事になったわけだ。
このへん、徹底的に陽気でたくましい台風娘のラブが、紆余曲折(うよきょくせつ)にもめげず最終回までしっかり単行本化された点と照らし合わせて考えると、何やら不可思議な思いにとらわれる。主人公というものは自身の運命を御する手綱を、実は自らの手中に握っているものなのだろうか……?
男(の作者)が女を描く。これはある意味、「フィクション」の最たるものなのかも知れない。考えられる方向は少なくとも2つあるだろう。的確に鋭く異性の本質をうがつ描写をすべくつとめるか、それをあえて退けるか。吾妻ひでおはしいてどちらかと言えば後者、"夢"を描く事を選んでいるように思う。騒々しくて迷惑なのだが陽気で憎めない少女・ラブと、真面目でしっかりしたいい子なのに恵まれず父性本能(?)をゆさぶる娘・やよい。少女マンガと少年マンガという異なった世界で活躍するため、両者の背負った使命はだいぶ違うようだ。それでも、夢を紡(つむ)ぐ作者のペン先から生まれたこれら2人の少女は、その生き生きとした姿ではどちらも負けていない。ページをめくれば異空間に「実在」し生きている彼女たちと、読者はいつでも会う事ができるだろう。