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07 メチル・メタフィジーク

はじめに

Na1

(2006.11.8.付記:本日『ネオ・アズマニア1』が発売された(ハヤカワコミック文庫、全223ページ、税込み定価651円、画像はその表紙)。さて、この書籍には以下の作品群が収録されている。
○大いなる除草
○メチル・メタフィジーク(全話)
どーでもいんなーすぺーす(全話)
るなてっく(全話)
○ホーキ売りの季節
○あとがき
 これらのうち特に『どーでもいんなーすぺーす』は、全6話を収録した書籍がかつて複数出版されてはいたものの、いずれも絶版となって久しく、入手がやや困難だったのではないかと思われる。そうした事もあって今回の出版は有意義なのではあるまいか。)

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『失踪日記』p.144で、「SFマガジンにも描けて夢のようだった」と作者が語っているのはこの『メチル・メタフィジーク』シリーズをさしていると思われる。ここではマガジンハウスから1998年8月20日に発行された版をテキストに用い、あらすじをまとめてみようと思う(この書籍は、奇想天外コミックス吾妻ひでお作品集=①SFギャグ傑作集『メチル・メタフィジーク』の復刻だそうだ。)。画像はその表紙で、METHYL METAPHISIKと併記されている。メチルは化学物質の名称で、メタフィジークとはドイツ語の「形而上学」(Metaphysik)からきた造語であろうか? なお表題作の他にこの書籍では、

るなてっく
偉大な種
島島ランド
こうして私はSFした

が、収録されている。以下、順に紹介してゆきたい。



①明日なき えすえふ漫画家入門

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(SFマガジン 1979年10月号)

"① How to be a Sci-Fi manga artist who has no future"

A young newcomer manga artist calls on an editorial department of publishing company for push his manuscript to them. He wrote about sports, but the editor denies his work because "Children cannot understand, this will be popular with only your friends with same interests". On top of that, the editor compels him to write Sci-Fi, and starts to brainwash...

 うら若き新人マンガ家が、「しゅーる書店」の編集部へ原稿の持ち込みにやって来る。作品は「スポコン物」だったのだけれど、「子供がついてけないんだよ! 仲間うけなんだよ!」と否定されたあげく「SFをかきなさい!」と命じられ、洗脳にかけられる。しかし……。

*この「メチル・メタフィジーク」シリーズの第1話で描かれているのは、商業ベースにおける創作の不自由さだが、一般うけするであろうスポコン(”スポーツ根性もの”の略で、当時の少年マンガでは定番のような地位にあるジャンルだった)がマニアにしか分からないものとされており、現実を裏返しにしたような物語が展開している。作者はこの最初の話で、創作とは一体何なのかという極めて基本的な問いを提示しているかに見えるが、どうだろう。



②星雲賞の正しい使い方

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(SFマガジン 1979年11月号)

"② Right usage of the Seiun prize"

"I' Ajima-Shideo, was very graciously given the Seiun prize, enshrine it at a center of my room and turn around it with dance the Armadillo every day". A hero's wife is amazed his eccentric state. He is at a loss, and...

 「おそれおおくも星雲賞をもらったぼく あじましでおは 盾を部屋のまん中に安置し毎日そのまわりでアルマジロ踊りを踊るのだった」という出だしで始まる。”主人公”は妻にあきれられてしまい、途方に暮れて……。

*星雲賞というのは国内最大のSFイベントである「日本SF大会」において、大会参加者の投票で年間最優秀SF作品に対し授与されるものだそうだ。これは半分実話(?)の半分幻想というマンガになるようだが「賞の吸引力」によってさまざまなものが引きつけられてくるというくだりなどは寓意を感じさせる。SFマニアでないと察知できないパロディがいろいろ隠されているのかも知れないが、ひょっとして映画『惑星ソラリス』(Солярис / Solaris)なども作者の念頭にあったのだろうか。賞として贈られる盾が実際はどのようなものなのか分からないが、このマンガでみると映画『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)に登場する”モノリス”を連想させるような外見になっている。



③まっど さいえんてすとは死なず

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(SFマガジン 1979年12月号)

"③ Mad scientist never die"

A young man comes to a dilapidated apartment house. That is the home of Dr.Ajima who is the highest brains of the world, the gifted mad scientist. The young man is accepted as an assistant, and he is taught everything. But...

 おんぼろ木賃アパートに若者がやってくる。そこは「世界最高の頭脳にして天才的なマッド・サイエンティスト」であるアジマ博士の家だったのだ。助手になることを許された若者は、博士から全てを伝授される、しかし……。

*「20世紀には芸術家も天才もいないとゆー話だが……マッド・サイエンティストもやはり死んだのだ!」と語る博士。このへん、SFが”可能性”や”自由”を失ってきているのではという、作者の疑念や失望が吐露(とろ)されているかにも見える。何の実用価値も無い(おまけにろくでもない)発明ばかりしているこの「気○い」博士は、可能性を秘めた存在として吾妻マンガで価値を持っているのかも知れない。

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 単行本『吾妻ひでお作品集=① メチル・メタフィジーク』(奇想天外社)のカバーには、このお話のイラストがカラーで描かれている(画像参照)。



④さまざまな接触

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(SFマガジン 1980年1月号)

"④ Various encounters"

In outer space, a spaceship that came from somewhere, has an encounter with unknown civilization. The other party tells that is a spaceship from the earth. Then another midget spaceship collides with them, and a man like a burglar goes by force on board...

 宇宙空間。何処からかやって来た宇宙船が、未知の文明と遭遇した。相手は地球の宇宙船だと名のっている。しかしそこへ、別の小型宇宙船が衝突し、宇宙強盗(?)みたいな男が乗り込んできて……。

*宇宙人とのファースト・コンタクトは、SFでしばしば扱われる題材のようだ。ここでは、そうした事がもはや珍しくも何ともなくなった未来で、初対面の異星人をカモに阿漕(あこぎ)な商売を続ける、スレまくった地球人たちが主人公になっている。
 これは現代で既に実在する、”地方や外国からやってきた人を食い物にする悪人”を宇宙レベルにして描いている訳だが、考えてみれば、他人を犠牲にする卑劣な利己主義(そしてそれを屁理屈で正当化するが根底には偏見や独善がある)など、人類の好ましくない特性は、どんなに時代と文明が進んでもあまり向上改善はしないのかも知れない。かくて我々地球人類のそうしたありさまは、外宇宙からの来訪者によって「文明かなんかわからん」ような代物と評価されてしまう。このへん、風刺がこめられているようにも見える。



⑤魚の収穫

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(SFマガジン 1980年2月号)

"⑤ a haul of fish"

In an awfuly ruined world that resembles in Japan. A police detective comes to a private house for an investigation. Since the head of a family mysteriously died, the detective concludes that the fish kept by the family is the murderer, and takes the fish as a suspect. The fish walks with the detective and they go through the ruined town, then the fish can speak human language begs the detective "Give me some water."...

 日本を思わせる、ひどく荒廃したどこかの世界。民家へ、一人の刑事が捜査にやってくる。そこの主人が不審な死をとげたからだが、刑事はそこの家の裏で飼っている魚が犯人と断定、連行する。刑事と魚は廃墟の町を歩いて行くが、人間語を話すその魚は「水をくれ」と哀願し……。

*これはひどく謎めいた幻想である。何かのSF小説のパロディなのかも知れないが、門外漢の読者には最初から最後まで「?」が続く。なぜこの世界は戦争でもしたかのように荒廃しているのか? 主人はなぜ死んだのか? 魚は本当に犯人なのか(食われるのを恐れて殺人をしたのか)? なぜここの魚は人間並みの大きさで、人間の言語を話し、二足歩行ができるのか? なぜこの世界で人間は、魚を食うことにこだわっているのか(他に何も食料は無いのか)? 説明のようなものは一切無い。ここに提示されているのは、結果だけである。
 しかしそれだけに、この奇妙な世界には不可思議な存在感があるようだ。もしかすると作者は、異議をとなえているのかも知れない、”あれやこれやと弁解するような舞台設定をこまごまと描写する手法”に対して。



⑥それゆけタイムマシン

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(SFマガジン 1980年3月号)

"⑥ Here we go, the time machine"

There is a boy builds the handmade time machine at his room, and challenges "The grandfather paradox". He recognizes a shortage of power in his handmaded one, so that he tries killing his father over again with a ready-made...

 自室でタイムマシンを自作し、「親殺しのパラドックス」に挑む(?)少年。自家製ではパワーが足りないと認識した彼は製品を購入(レンタル?)して、父親殺害を試行錯誤するのだが。

*時間旅行テーマというのもSFでは定番ジャンルの1つであるようだ。そこでこれまた昔から言われているのが「親殺しのパラドックス」(過去へ行った人物が自分の親を死なしめた場合、殺人者がその親によって誕生する事は無くなるので、その殺人は起こり得ない事になる、というもの)。物語はそこから始まって、いろいろな時間旅行テーマのSFを引用しパロディでまとめられているのだが、そもそもの”起源”をシェイクスピアに求めているらしいのは興味深い(シェイクスピアの作品は全部で37あり、創作によって人間の運命を、架空の時間の中で配置してみせた人物とも言えるだろう)。創作という作業は、いわば時間をあやつろうとして構成を行うことなのだろうか。



⑦シンポジウムの夜はふけて

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(SFマガジン 1980年4月号)

"⑦ The night of a symposium goes on"

"We invited for authorities of contemporary Sci-Fi, and hope to listen them about future prospects.". A master of ceremonies starts a TV talk show, and he has an interview with them in succession...

 「現代を代表するSF関係の方々にお集まりいただき 今後の展望を語っていただきたいと思います」という司会者の言葉で、TVのトーク番組が始まる。次々とインタビューは進むが……。

*当時、本当にSFの世界にはいろいろ混乱や分裂があったらしく、この話はそうした事情をふまえて描かれているのかも知れない。あるマニアはこの頃、「老舗である『SFマガジン』よりも『奇想天外』のほうが内容は面白い」と感じていたようだし、「SFの世界には望ましくないしがらみが存在する」と考えて自由闊達な評論がなされるべきだと考えた人たちもいたという。しかしSFの未来を考えるとその予測や推理は不可能だったか、ここでは結論の提示は無いようだ。よその雑誌で連載が長く続いていた『やけくそ天使』のヒロイン・阿素湖がついにここへも登場している。



⑧どっこい超人

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(SFマガジン 1980年5月号)

"⑧ indomitable supermen"

2 men who with preternatural power are pursued by the police. They can telepathy, teleportation and so on, but everything are insufficient. They run away to Hokkaido, and helped a girl from a bear. They are permitted to stay with her overnight, but...

 警察に追われている、二人の超能力者。テレパシー会話や瞬時移動などができるが、どれをとっても何だか情けない部分がある。北海道へ逃げた二人は独り暮らしの娘を熊から救い、感謝され一晩泊めてもらえることになったのだが……。

*SFで定番ジャンルの1つであろう超能力者テーマが今回は扱われている。が、なぜ主人公たちは警察に追われているのか、その理由の説明は無い。この、”普通”とは異なっているために危険視され排斥されて迫害を受けるというのも超能力者の運命としてSFでは定番だと小耳にはさんだ記憶がある。人間は何かに秀でた人物をねたみ、標準(という事にされる多数派)から外れた所のある他人を嫌う、といった人類の本質の負の部分を描くにあたって、超能力者というのは適した題材なのかも知れない。
 おびただしく存在する読者に比べれば、送り手である創作者も言わば少数民族のように思われる。語り手として生きる作者の精神的な緊張は、こうした超人たちにどこか親近感を覚えさせるのだろうか、吾妻マンガには時々超能力者が登場するようである。



⑨アララテ山のむこうに恐山

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(SFマガジン 1980年6月号)

"⑨ Osorezan beyond the Mt.Ararat"

A young lady comes to a very small scale school as a new teacher. But the out-dated bus that she is getting in, collides with the schoolhouse and one student is pressed under it. A schoolgirl looks eldest reluctantly removes the bus by her mysterious psychic power. In fact, all students of this school are not terrestrial...

 山村の分校だろうか、こぢんまりとした学校へ新任の女教師がやってくる。ところが彼女を乗せた旧式バスは学校へ突っ込んで、生徒の一人がその下敷きになってしまった。やむなく最年長らしい女生徒は不思議な能力を発揮してバスをどける。実はここの生徒たちは全員、地球人ではなく……。

*作者後記として「『やけくそ天使に続く』というふうにしたかったけど うまくいかんかった。」と書かれているが、実際ここに女教師として登場しているのはどうも阿素湖素子その人らしい(おまけに最年長の女生徒は、相棒役の進也に風貌が似ている)。阿素湖の生い立ち等については両親が登場する話があるが(『阿素湖地獄変ずぶぶ』)、もうどう考えたら良いのか分からない謎の人といったキャラクターなので、作者自身がお手上げになってしまったという事であろうか。もし真面目に受け取るなら、ここに描かれているのは存在し生き続けることの孤独についてであるように感じられるが、どうだろう。
 サブタイトル(作者による命名かどうか定かではない)にあるアララテ山、恐山はそれぞれ実在する地名をもとにしているものと思われる。後者は青森県・下北半島のそれ。前者はトルコとアルメニアの国境付近にある「アララト山」の事ではと考えられ、ここは聖書によれば大洪水後にノアの方舟が漂着した場所とされており、それを異星人の宇宙船が不時着した山といった意味合いでひっかけているのかも知れない。冒頭、車体の側面には「十勝バス」と書かれているのではあるが……。
 SFマガジンでの連載はこれが最終回になったらしいのだが、なぜ1年間に満たないうち終了したのか理由は不明。
付記:つげ義春のマンガ『もっきり屋の少女』(1968年)には、以下のような会話がある。
「むげいの家の お父っつあは きぐしねくて やんだおら」
「そんなに物の道理がわからんオヤジなのかね」
「きぐしねいです」
 物語の舞台は明らかにされておらず、こうした方言が本当にあるのか、創作なのか不明。
 作中にある謎めいた台詞はこれのパロディと思われる。
 なお、同じ元ネタらしい台詞が『便利屋みみちゃん』にも登場している



るなてっく No.1

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(劇画アリス 1979年10月号)

"Lunatic No.1"

In somewhere primitive world, we cannot specify neither its time nor its region. Stark naked men individually walk about with trail some big baggage. They seem to make a living by barter. A hero exchange a "Notauo" for a "Monmokomon", and he barters it for...

 時代も場所もさだかでない原始的な世界。ほぼ全裸の男たちが、それぞれ何かの大きな荷物を引きずりながら歩き回っている。彼らは物々交換により日々を送っているらしい。主人公は「のた魚」を「もんもこもん」と交換し、それをまた別のものへと次々に交換してゆくのだが……。

*『失踪日記』p.144で「とうとう劇画アリスだ、自販機本だぞ」とあるのは、この作品群をさしていると思われる。自販機本というのは要するに読み捨てのエロ雑誌で、書店の店頭ではなく自動販売機(1970年代にはこのようなものが存在した)を通じて頒布(はんぷ)されるものであり、その殆どは三流にさえ満たないような泡沫(ほうまつ)出版物だったらしい(とはいえ、反骨精神の強い出版人が大手に背を向け、自由と可能性のためにそうした荒野へ身を投じる場合もしばしばあったとか)。普通ならば、そうしたメディアに執筆するのは経歴に汚点となる不名誉な仕事として敬遠されそうなものを、吾妻ひでおは敢(あ)えて引き受けていたのだから驚かされる。しかしもっと驚くのは、そうした図書に掲載されていたのなら、自慰の「おかず」に使われるだけの無内容な見世物になるのがお定まりであろうに、この作品群はそういった内容になってはいないという事である。
 この物語の世界にどうも「女」は存在しないみたいで、地面に性器を挿入するなど無駄な行為(大地の豊饒を願い、宗教儀式としてこうした事を行なう土地は実在したと思うのだが)に熱中している巨人がいたりする。また、売り物にできるような何ものをも持たず、「シッポがない」と唱えて群れを成し右往左往するばかりという二足歩行の爬虫類、すなわち人類以前と位置づけられるだろう生物がいる(この珍妙なキャラクターは結末で重要な寓意を象徴するようだ。詳しくは書かずにおくが、その「どんでん返し」の構成は実に鮮やかであると思う)。こうした点からすると、これは現実の女性が存在しない空間で妄想している”エロ雑誌の読者”と、そうした分野で文化の送り手になっている”エロ娯楽の製作者”たちが織り成す不毛でみじめな喜劇を風刺しているのだろうか。



るなてっく No.2

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(劇画アリス 1979年11月号)

"Lunatic No.2"

A spaceship navigates in a starry space. At a cabin of it, a girl enters there with a smile, but she seems not to be a real human because her ears have a peculiar shape. She amorously says, "I'm trying to disguise myself as a junior high school girl that your most favorite.". But her master who is lying on a bed seems dead...

 星空の空間を宇宙船が航行している。その船室内、「だんな様おじゃまいたします」と笑顔で現れた娘は人間ではないのか耳の形状が独特で、「今夜はだんな様のいっとー好きな女子中学生になってみました」とシナを作る。が、ベッドに寝そべっている”だんな様”は、どうも死んでいるみたいなのだが……。

*いやな雰囲気がある(或いは読んでいて不安につきまとわれる)作品だけれど、それは主人公となるべき男が死んでおり、その死体の周囲でロボットたちが騒いでいる虚しさに不気味なものがあるからなのだろう。
 登場する唯一の人間”だんな様”は、まだ死後硬直が始まってはいないようだが、おそらく既に死亡している。しかし本当に生きているわけではなく、そう見えるよう作動しているに過ぎない召使のロボットたちには、死というものが何なのか(そしてたぶん生とは何であるのかも)理解できない。かくて相手が死体であるにもかかわらず一所懸命に奉仕を遂行する。やがてそれは暴走し、あるものは分解してしまう。
 この宇宙旅行の果てに彼らを待っている結末は、たぶん消滅でしかないだろう。それが予測できるであろうに歓喜しているかに見えるあたり、それは人間でいう狂気にとてもよく似ている(だから人間である僕ら読者にとってその光景は薄気味悪く恐ろしい)。だが機械である彼らに精神の異常があろうはずはないし(あるとすればそれは誤動作と呼ぶべき現象だろう)、生と死の厳密な区別を診断するうえでその判断基準に疑問がある点を別にすれば、彼らが故障しているのではと思える点も特に無いようだ。
 してみると、この宇宙船の航行は全てプログラムどおり順調になされており、別に最終目的地を間違えているわけではないのかも知れない(劇中にも、何のために、どこへ向けて宇宙旅行をしているのかについては全く言及されていないようだ)。つまり彼らロボットの乗組員たちは言わば埴輪(はにわ)のような副葬品であって、全ては、あらかじめ死が予測されていた”だんな様”の葬儀を最終目的とする旅だったのでは、と考える事もできるかと思う。
 この作品にはいろいろと謎がある。答えるのが最も難しいのはしかし、次の点なのではないか。すなわち、僕らは生と死、そして自分がどこへ向かっているのかを、果たしてロボットたち以上に何か理解できているのかどうか。



るなてっく No.3

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(劇画アリス 1980年1月号)

"Lunatic No.3"

When the girl is born (?) from a transparent sphere that is filled up with something looks like an amniotic fluid, there is a moderate climatic field which seems to be early spring. In that comfortable place with tender sunlight, there are many spheres looks like crystal balls which are including human beings and animals in fluids, here and there. The solitary girl walks about and looks for a playmate, but no one willingly keeps company with her...

 羊膜を破水するかのようにして一人の少女が誕生(?)すると、そこは早春のように穏やかな気候の野原であった。陽射しもやわらかく快適なその世界には、あちこちに大きな水晶玉を思わせる球体があり、その中には液体に浸った人間や生物が見える。一人ぼっちの少女は遊び相手を探して歩き回るのだが、誰からも疎(うと)まれるばかりで……。

*「生まれたくなかったのに」と嘆く少年の姿には、厭世主義で自分の世界に閉じこもる人物像の寓意が感じられる。とはいえ物語は、希望をもって幕が引かれているようだ。今回、どのコマにも枠線は無く、作者が絵において実験的な手法をとっている事がうかがえる。少女と少年は前回(るなてっく No.2)と殆ど同じ顔立ちで、作者は同一人物を何度も登場させることでパラレルワールドのようなものを描く計画を持っていたのかも知れない(しかしこの後に続く回では主役たちがまた全く別人になっており、そうした演出は特に見られないのだが)。なお少女にはなぜかちゃんと「おへそ」があるけれど、考証うんぬんを論じるのは無粋というものだろう。



るなてっく 外伝①

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(劇画アリス 1980年2月号)

"Lunatic extra①"

"This program is a pornography, so you good boys and girls never watch this." A warning is indicated and start 3 short stories one after another.
(1) In midnight, toys run around as they like, a clay work male doll makes an approach to female dolls.
(2) Infantile boy and girl play house and play a married couple.
(3) A man is introduced a new prostitute at a brothel in 19th century East Europe(?).

 「今回はポルノです 良い子のみなさんは読まないようにしましょう」というナレーションで、3つの短い物語がオムニバス形式で描かれる。
(1)深夜にオモチャたちが自由に動き出し、粘土細工の人形が、女の人形にせまる。
(2)ままごとで少女と遊ぶ少年が夫婦ごっこを始める。
(3)19世紀の東欧(?)らしい娼館へやってきた男が、新入りの娼婦を紹介される。

*「ポルノ」だと巻頭で宣言されているものの、そういう内容ではなく(?)、これは冗談であろう。主導権を握っているようでありながら、実はその逆の立場にいるような男たちの話で、「男の人生なんて真実はこんなもんでしょう?」と作者が苦笑しつつ提示しているような読後感がある。粘土の人形が「びひだす~~」と言っているのは、当時TV放送されていたヨーグルトのCMパロディらしい。
 掲載された雑誌のほうで何か事情があったのか「外伝」となっている。このへんの理由は不明。内容がSFではなくむしろ御伽話ふうで、それまでとは趣向が異なるため、サブタイトルをこのようにしたのかも知れない。この後に再びNo.4という通し番号に戻るが、それらは異世界を舞台にしている点でSF風味の作品となっている。



るなてっく 外伝②

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(劇画アリス 1980年3月号)

"Lunatic extra②"

The author goes to a coffee shop as his daily work, and he finds a stark naked beautiful girl falling down on the road. She seems to was run over by a car, so she is flattened. The author thinks to use her as a carpet and rewinds her, then she speaks. She is alive, and begs him for water. The author goes to a river to get some water...

 作者が昼間、いつものように喫茶店へ向かうと、路上に全裸の美少女が倒れている。車にひかれたらしくぺちゃんこだったので「じゅうたんにしよう」と決めた作者がこれを巻き取ると、少女は生きており、涙して水を欲しがるのだった。作者は水を求めて川へ行くのだが……。

*自動車に轢かれて平べったくなり、それでも生きている、という表現は1960年代に日本のTVで放送されていた米国製アニメなどでは頻繁に見られたが、ここではそうした古めかしい定番ギャグを逆手にとり、ギャグではなく幻想としてふくらませているようだ。(人間としてではなく)「宝物」としての異性、といったイメージは、男にとってある程度の普遍性があるのではないか?



るなてっく No.4

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(劇画アリス 1980年4月号)

"Lunatic No.4"

In somewhere primitive world, a stark naked boy and a strange creature (it looks like a hybrid of snake and lizard, and it can speak human language) roam around forest. Boy's partner, the strange creature, sniff and go ahead. They are looking for a woman. At last, they discover a mountain of treasure (seems like) in a cave, but...

 どことも不明の原始的な世界で、全裸の少年と奇妙な生物(ヘビとトカゲの中間のような姿で、人間の言語を話す)が森をさまよっている。相棒の生物が匂いをかぎつつ進み、この1人と1匹は女を探し求めているのだった。やがて彼らは洞穴の中に宝の山(らしい)を発見したが、その中には……。

*「女ほしーなー」とこぼす少年に、謎の生物が「めっけたらオレにもさせてね」と頼む。とにかくひたすら挿入したくて(それ以外に全く何も行動の目的を持っていない!)しょっちゅう勃起させている主人公たちのありさまは、愚かしくも滑稽(こっけい)で思わず笑ってしまうが、若い男たちの本質的な弱点をうまく描いていると言えようか。
 注目できるのは相棒の爬虫類が、人類の「女」を抱きたがっているという点で、これからするとこの世界では、性というものがその本来の目的であるだろう”種の保存”のための生殖としての意味を失っているらしい事がうかがえる。このへん、性が現実から切り離されて娯楽になっている僕らの社会と文化の実情を風刺しているのだろうか。



るなてっく No.5

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(劇画アリス 1980年5月号)

"Lunatic No.5"

In a vast desert, a young man who wears a business suit goes alone on foot. He is buried by a whirlwind, be found by 2 half-naked beautiful women who have spears, and be loved by them...

 広大な砂漠を、背広姿の若者がただ独り歩いている。竜巻によって砂に埋もれてしまった彼は、槍を持つ半裸の美女2人によって発見され、双方から愛されるようになるのだが。

*全てのページが同じコマ割りで(それも正確な4等分なのでタロットカードを並べたような感じになっている)、かつ最初から最後まで台詞も効果音も皆無という実験的な演出がなされている。
 背広など着ているところを見ると、主人公は現代人なのだろうか。彼はどこへ行ってもそこそこ成功をおさめるようだ。しかし、彼は幸福を感じて一定の場所に安住することができない。夜空を見上げると、蜃気楼なのか、超高層ビル群の幻が逆さになって遠くに見える。彼はその幻を目指して、獲得した全てのものを後に捨てて去ってしまい、再び砂漠を歩いて行く、どこまでも、どこまでも。
 「自分がいるべき場所は、今のここではなく、どこか他のより良い場所なのではないか」といった不安とも不満ともつかない思いは、とりわけ若い日々に多くの人の胸中に沸き起こる時があるのではないか。この不思議な物語の主人公たる若者は、いつか幸福にたどり着けるのだろうか?
 これが「るなてっく」の最終回らしい。題名がもし英語であるとすれば、lunaticとは狂人、狂気の、といった意味になる。
 狂気。
 だが、正気とは何なのだろう。



偉大な種

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(別冊奇想天外 No.9 SFマンガ大全集 Part4 1980年1月号)

"The great species"

A spaceship comes to a space colony, but it fails to landing. The cause of that accident was a stowaway, and he calls himself an earthling. Nobody knows what "earthling" means, here. Since "earthling" is on the verge of extinction. So that the stowaway young man wanders around the space to looking for his compatriots, plans to recover themselves with the glory as the leader of space. But he has been a wanted person on his way...

 スペース・コロニーへ宇宙船がやってくるも、着陸に失敗した。その原因は1人の密航者がいたからで、問い詰められた若者は自分が「地球人」であると名乗る。しかし「地球人」とは何なのか、ここではまるで知られていない。それは地球人が絶滅に瀕しているからで、若者は「宇宙でもっとも偉大な種族」の地球人を絶滅から救い、再び宇宙の指導者たる栄光をとりもどすべく、仲間を探し求めて全宇宙を放浪しているのだった。しかし旅の途上で彼はお尋ね者になってしまっていた……。

*1970年代末に日本ではSFの流行があり、マニア向けではないごく普通のマンガ雑誌などでもよくSF作品が載っていた。ただし当時の流行はアニメや映画の領域から始まったそれで、視覚的な魅力があるメカニックが登場するか、宇宙を舞台としている作品が好まれるという偏向があったようである。そうした時流の中でお手本とみなされていたものの1つに映画『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)があり、個人ではなく人類という「種」を主人公とする壮大な語り口が再評価(映画は1968年のもの)されて、いろいろな作品に影響を与えていたようである。
 このマンガはそうした当時の流行をふまえつつも、ちょっと斜(はす)に構えた視点から語られる吾妻流考察になっているようだ。地球人類の未来がかかっているとなれば、何か誇大な物語になりそうなものを、ここで登場する主人公の青年の冒険譚はみみっちくも情けない。果たして地球人に明日はあるか?
 SFに登場する宇宙人たちは、地球人には無い特殊な能力を何か生まれつきで持っている場合が多いように思うけれど、ここでは地球人も、他の宇宙人は持っていない超能力を持っているように描かれている。その超能力とは「暴力」なのだが。 



島島ランド その①~⑫

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(高2コース 1979年4月号~1980年3月号)

* There are many islands in this world. Each island is very small as it barely enough a man to inhabit. Islands have features, and some of them are uninhabited. A hero boy lives in this strange world, meets with various strange people and unique creatures.

*ここに登場する島というのはどれも畳で数枚ていどの面積しかないもので、なぜかそれぞれに住人が1人ずついたりいなかったりする。外国には無人島マンガと呼ばれるジャンルでずっと作品を描き続けている漫画家もいると小耳にはさんだ事があるが、そうしたものに近いと考えて良いであろうか。
 見開き2ページで各回完結するたいへん短い作品集だが、こうしたものはアマチュアが比較的楽に真似できそうでいて、おそらくとても難しいのではないかと思える。というのは想像力がよほど豊かでないと、いろんな種類の「島」を考えつかないだろうからだ。
 連載されたのが学研の学習雑誌であるため、内容はどちらかと言えばおとなしい。とはいえ最初の回で学校をコケにしていたり、最終回では政治をからかってみたり連れ込みホテルを登場させたり、読んでいるほうがはらはらするような真似を平気でしでかしているのに驚かされる。そもそもにおいて主人公の少年が下半身裸で”まるだし”スタイルなのだから、よくぞ編集部がOKをだしたものだと思う。ただし、学研の「コース」での執筆はこれが最後になっているようなのだが……。



あとがき こうして私はSFした

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(『メチル・メタフィジーク』(奇想天外社) 1980年7月)

"Postscript / I "did" Sci-Fi in this way"

The author read a work of Shinichi Hoshi, a Japanese celebrated novelist, and did to be conscious of his own personality about Sci-Fi, in his school days. This recollect is very interesting. Since Hoshi is famous for his short short stories, and the author, Hideo Azuma is good at short short stories, too. Hideo Azuma's style may have its origin in Shinichi Hoshi (?).

*マガジンハウス版(1998)は、奇想天外コミックス吾妻ひでお作品集=①SFギャグ傑作集『メチル・メタフィジーク』(1980)からの復刻ゆえ、このあとがきもそのまま収録されている。
 学生時代に星新一を読み、やがて「おれって…SFだったんだ」と自分を発見するに至ったというくだりは興味深い。星新一はショート・ショートで有名な作家だと思うが、吾妻作品も殆ど短編か掌編であり、もしかするとそうした吾妻マンガの作風は星新一の様式に起源があるのだろうか。
 「ボーイズライフ」とは小学館が1960年代に発行していた月刊誌で、20歳前後の男性を読者層に想定していたらしい(?)。





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