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05 二日酔いダンディー/ざ・色っぷる

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(まんが王 1970年6月号)
There is a coffee shop looks like ruins. Dandy is a young man who works at there, but the shop goes bankrupt so that he cannot get his wage. He cherishes a dream that to be a painter someday, but his wish is not fulfilled yet. At an apartment house where Dandy lives, a girl by the name of Nancy settles in. She barely makes a living by sings to her guitar accompaniment on the street. Nancy is familiar to Dandy. Her elder brother is a habitual offender of a sneak thief, and she has run away from home because she dislikes him. These 3 youth who became penniless are going to be tied together, by the destiny...

 倒壊寸前のようなオンボロ喫茶店がある。そこで働いていた若者、それが主人公のダンディーなのだが、店は倒産し給料ももらえずじまい。彼は画家としていつか世に出る事を夢見ている。しかしいまだ芽が出るに至らない。彼の住むアパートの階下には、路上で弾き語りをし食いつないでいる娘ナンシーがいて主人公と親しいが、彼女の兄はコソドロの常習犯で、その兄を嫌がって家出してきたという身の上。都会のどん底で食い詰めたこれらの3人を、運命が結び付けようとしていた……。

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*アメリカ映画(と言っても監督はイギリス人だったらしい)「真夜中のカーボーイ」(MIDNIGHT COWBOY)に感動し、この作品が生まれたことを作者の吾妻ひでお自身が何度か語っている。映画は、都会で成功するのを夢見た若者が、現実にうちのめされ挫折するという重い内容であるが、アカデミー作品賞・監督賞・脚色賞、他を受賞した。アメリカの不名誉な部分や虚飾をあえて直視するという態度は、それまでの、派手な娯楽こそハリウッドという伝統に背を向けた姿勢として当時に現れた考え方だったようだ。こうした要素に吾妻ひでおが強く共感したとすれば、彼のその後の作風は、この映画によって予言されていたと考えられようか?
 「二日酔いダンディー」には、後になって吾妻マンガのキーワードとしてよく用いられる要素、例えば美少女、SF,不条理、ドタバタ喜劇といったものがまだ、あまり見られないように思われる。そのかわりに感じ取れるのは、全編を通じて基調のように流れている「うら哀しさ」なのではないか。この時まだ二十歳そこそこだった作者ならではの、青春と人生についての模索や感傷は、当時の読者と年齢に殆ど開きが無かったこともあってだろう、ファンを獲得する力になったようだ。
 この作品が単行本化されたのは連載から29年後、1999年になってからの事だった。



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(まんが王 1970年7月号)
Nothing comes up, so Dandy cannot finds a way to be a painter. He barely makes a living by a temporary job of a cabaret's barker that he thinks it is vulgar. He is evicted with Nancy the his friend from jerry-built apartments, puts his business suit in pawn and they have a meal, lose all their money at last. It's all up with them. Then, "Ah-san", the elder brother of Nancy is released from prison. He tempts them into help for his thievery...

 相変わらず、本職である絵描きとしては先の見えないダンディー。「下品な仕事」と嘆きつつもキャバレーの客引きで食いつないでいる。友人のナンシーともども安アパートを追い出され、背広を質に入れて食事すると、ついに一文無しで万事休すとなった。そこへナンシーの兄であるアーさんが刑務所から出てくる。アーさんは二人に、コソドロを手伝わないかと誘いをかけてきて……。

*少年誌(しかも月刊誌なのでおそらく週刊誌よりさらに読者対象年齢は低い)で、よくこのような物語が掲載されていたものだとちょっと驚かされる。こういった無謀さが1970年頃のマンガにはあったのだろう。ともあれこれで役者はそろい、主人公は人生の裏街道を歩み始め、ピカレスク(悪漢が主人公の物語)の幕が開く。
 当時まだ新人扱いだったであろう吾妻ひでおは本作が最初の連載となる。そのため絵はまだ荒削りで、どのような美女を描くかについても模索の只中と見えて不安定なようだ。登場人物の名前はカタカナで無国籍なムードだが、この頃に吾妻ひでおが描く世界では不自然さが感じられなかった(そういった不思議さが吾妻マンガの魅力になっていたように思う)。
 後日、作者の自画像として最も多く用いられるようになる”アーさん”であるが、このキャラクター自体は師である板井れんたろうのマンガで既に登場していたらしい(詳細不明)。
 劇中、”アクションねえちゃん”なる言葉があるが、これは吾妻ひでおの友人である、きくちゆきみ(この作品では最初の回に、刑務所の中で似顔絵が登場)による連載マンガの題名。ウーマンリブ(女性解放運動)のさかんだった世相を鋭敏にとらえて作品に反映させていた点で特筆すべきものではないかと思うのだが、残念ながら手元に現物の資料がほとんどない。

(付記:もし僕の記憶が正しければ以下のような話があった。)

 ……とある彫刻家が女性モデルを雇い、裸婦像を創ろうとしている。しかしこの男、熱心のあまりいささかあっちの世界へ片足突っ込んでいるようで、ああでもなし、こうでもなしとモデルに無理な注文をつける。これ以上やられたら死んじゃうわよとモデルは困り果てるが男は聞き入れず、とうとうモデルの女性はポックリいってしまった(ひでェ)。しかしそれでも彫刻家は信念を曲げず、新たなモデルを雇おうとする。
 さてヒロインは、パンツルックに大きなズタ袋ひとつといういでたちで、人生を模索しているのか、さすらいの日々を生きている女性だった。めっぽう強く、荒くれ男ども数名が相手だろうと一撃で倒してしまう。その腕前ゆえに闇の社会でも一目おかれる存在だったのだが、当人は自分のそんな宿命から逃れようとしており、港へ来たらその独特の雰囲気にのまれ、女心でどうしても、か弱くなってしまうのだった。
 そんな彼女に、イカれた彫刻家が白羽の矢を立てる。
 裸になり、ポーズをとる事になったヒロイン。絶体絶命のピンチか!? と思いきや、それでも彼女は圧倒的に強い。クレージーな彫刻家はとうとう彼女の手によってぶちのめされ天罰を受ける破目となる。最後の願いで、自分を彫像にしてくれるようヒロインに頼み、今度は彫刻家がポックリいってしまう番だった。
 後日、男は彫像となって屋外に飾られる。ヒロインは彫刻家の夢をかなえてやったのだ。しかし彼女の夢は、いつ誰がかなえてくれるのだろう? アクションねえちゃんは再び、孤独なさすらいの旅に出てゆく……。


 質屋がよいをはじめとして、安っぽいレコードプレイヤー、流し(カラオケが普及する前に存在した職業で、プロまたはセミプロのミュージシャン)など、本筋とは別に当時の世相がいろいろ散見されるのは興味深い。しかし連載から30年以上を経た今、これらは逐一解説を付さないと多くの読者には意味不明なのだろう……。



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(まんが王 1970年8月号)
Homeless Dandy lives in a gutter, given dog's feed as alms, picks up a cigarette butt on the roadside. His friend Nancy converted a public lavatory (!) in a park and lives in there (!). At that time, Ah-san the leader of them has a date with a girl...

 宿無しのダンディーはドブで寝起きし、犬のエサを恵んでもらって、道端の吸殻を拾うありさま。友達のナンシーは公園にある公衆便所(!)を仮住まいに改造して住んでいる。そしてリーダー格のアーさんはデートをしているのだが。

*相変わらずツキの無い三人組がどん底の生活をしており、その描写には時代がうかがえる。当時まだ東京都にもドブが存在し、下水道の全てが地下に隠れてはいなかったので、主人公のダンディーはそこで眠っていたわけである(むろん現実にそんな事は不可能だろうが)。家庭ゴミの収拾も分別(ぶんべつ)は行われておらず、屋外に据え置かれているゴミ箱(ダンディーが骨をかじる場面にあるのがそれ)をどこでも使っていた。今回はなぜか東京都中野区が舞台になっているようだが、「むさしの公園」という場所が実在したかどうか不明。また、中野区の名物がストリップというのも別に事実ではないだろう(台東区浅草や新宿区歌舞伎町あたりだとそういう場所もあったかも知れない?)。吾妻ひでおが歌謡曲を好んでいたらしい事がこの頃ははっきり作品に出ており、今回は奥村チヨがネタになっている。
 それにしても主人公たちのこうしたたくましい生き様は、後年になってからの作者自身による実際の失踪生活と重なるところがあり、今になって読むと不可思議なものを感じさせられる。



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(まんが王 1970年9月号)
It's a night. Dandy and his fellows sneak into a huge residence for theft. They thought that they will be able to make a wad, though the house is too vast. Even residents of the house have lost their way...

 夜。巨大な邸宅へ盗みに入るダンディーたち三人組。「がっちりかせげる」だろうと思いきや、あまりにも広大すぎてどこに何の部屋があるのやら分からない。なんとその家の住人さえもが道に迷っていて……。

*本当はこれが第五話らしいのだけれど、第四話はどうなっているのか不明。63829もの部屋がある家、という現実離れした設定は、ナンセンスというよりSF的な空想力の産物だろうか。こうした、大金持ちをコケにするギャグをやる一方で、作者が赤貧にあえいでいるといった対比の描写が入っている(台詞にいわく「原稿料○×△円出て借金がキクチに一万 松久8千の へや代5千払うと…… ! 今月も食えない!」)。作者の自画像は顔が真っ黒に塗りつぶされたもので、まだ自画像についても確定していないのが分かる。「紅バラのナンシー」と名乗り独特なコスチュームで登場しているのはどうも映画「真夜中のカーボーイ」からのパロディらしい。
 妖艶な人妻が登場しており、美女を描くのが人並み外れて上手という特長はさっそく明らかになっているのだけれど、この頃はまだ、そのことが吾妻マンガの売り物の1つとされるまでには至っていないようで、むしろここまで読み進んで気づくのは、毎回いろいろな男の顔が半ば写実的に描かれている事である(脇役たちの顔がいつも違うというのは何とも若々しい)。
 当時はスクリーントーンがまだプロ漫画家の業界においてさえ画材として普及していなかったようで、使われてはいるものの手描きのアミがけを用いているコマのほうが圧倒的に多い。



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(まんが王 1970年10月号)
Nancy somehow rents a room and settles in there. Dandy knew that and calls on her. They have no money for go to a coffee shop. So they go to a park, and Nancy makes a proposal to go swimming in the sea by their imagination. Dandy is unwilling to do so because he feels it is girlish tastes, and bigins to return...

 どうにか部屋を借りて住むようになったらしいナンシーをたずねるダンディー。喫茶店へ行く金も無い二人は公園へとでかけるが、ナンシーは"空想"で海水浴へ行ったつもりになろうと誘う。そんな「少女シュミ」は嫌だと帰りかけるダンディーだが。

*これが本当は第7話になるようだ。今ほどにはアルバイトやパートタイムワークという雇用形態が日本の経済構造の中にはまだ存在せず、そのゆえか金欠病(きんけつびょう=いつも金が無いことをふざけて表現した言葉)な若者は本当に多かったらしい。「ついにベトナムの余波がここまで!!」といったナンシーの台詞は、ベトナム戦争がまだ終結しておらず在日米軍基地から前線への補給などが行われ問題になっていた世相が読み取れる。「敗戦25周年」などという書き文字などいかにも当時らしい。
 男は男らしく、女は女らしく、といった伝統的な価値観を疑問視する事は、終戦直後生まれのいわゆる「団塊の世代」にあたる若者たちの間でこのころ世界中に広まっていたようだ。トビラで、パンツルックのナンシーが座り込み、片手に煙草を手挟みつつラーメンをすするといった"おしとやかではないネエちゃん"としてポーズをとっているのはそうした背景があるだろうと思える。また、彼女が箸でつまみあげているのが、光を放つ小さなハート、というささやかな夢や希望の描写も興味深い(当時はまだ、少年マンガにおいてハートなんぞという「軟弱な」ものが描かれるのは稀ではなかったかと思われるが、吾妻ひでおはそういう題材をさらりと扱って何の不自然も感じさせない漫画家だったのである)。最後のコマで、詩のようなナレーションがちょっと入っているが、初期の吾妻ファンは彼のこうした繊細さに心引かれたように思う。実際、読者からこうした点で反応があったのか、この次の話ではほぼまる1ページが詩とイラストのコーナーとして用いられている。



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(まんが王 1970年11月号)
Dandy happens to meet Nancy wears a schoolgirl uniform in a town. He surprises and asks her reasons, then she says "I can eat a school lunch for free and make many boyfriends" so that she disguises herself as a fake student. Dandy is impressed with this as a good idea, follows immediately her example and gets into the school she commutes, but...

 ダンディーは街で、女学生姿のナンシーと出会う。驚いて事情をきいてみれば、「給食はただだしボーイフレンドもいっぱいつくれる」という理由でニセ学生をしているらしい。これは名案と感心したダンディーは、さっそくマネをして同じ学校に潜り込む。しかしそこへ……。

*これが本当は第8話らしい。都立高校が舞台になっているが、劇中にあるように当時の高校で本当に給食が出ていたかどうか不明(東京都の公立中学なら間違いなく存在した)。ちなみに学校名は「都立・妻は夫をいたわり高校」となっている。空を飛ぶ魚が描かれており、これはのちに「シュール・フィッシュ」または「フキナガシ」と作者から呼ばれるようになるキャラクターの原型かも知れないが、しかしこれが初登場なのかどうか定かではない。ダンディーの台詞にある「**芸者」という映画のシリーズは本当にあったようだけれど、東宝ではなく東映の作品で、意図的な誤記か。
 この回には「二日酔いコーナー」として、見開き2ページの下半分(つまりは実質1ページ)をさいて詩とイラストがかいてあり、ちょっと少女マンガふうの感傷が見られる。しかしこれは1970年頃の読者たちの目には、さして軟弱とは見えなかったろうと思われる。



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(まんが王 1970年12月号)
Dandy's gang disguise themselves as a schoolgirl, a young teacher and a mother. They sneak into a girl's school. Their purpose was a stealing from the school, but it goes wrong unexpectedly...

 ダンディーは女学生に、ナンシーは青年教師に、アーさんは母親にそれぞれ変装して、女子高へと潜入する。しかし本来の目的だろう「盗み」はどこへやら、3人ともまるで関係の無い方向へ暴走してしまい……。

*これが第10話になるらしいのだが、第9話はどうなっているのか不明。人気が出てきたのかこの回は2色カラーだったようだ。異性装によるドタバタはよほど編集部に感銘を与えたのか、後に長期連載される『ふたりと5人』の原型がここにあるかのような印象を受ける。「ナンシー詩名虎(シナトラ)」という偽名を使っていることから、このキャラクターのモデルになったらしい映画女優(Nancy Sinatra)がわかる。東京の公立学校で女子高というのは実在しないだろう(学校名は「都立 妻は夫をしたいつつ夫は妻をいたわりつ 女学校」となっている)。女学生たちがセーラー服をミニスカートで着こなしているがこれもフィクションのはずで、制服にこのような改造をする者はおよそいなかったのではないか(ちなみに1970年頃の流行は既にミニからマキシ(すごくすそが長い)へ移っていたろうと思われる)。体育着は白色の短パンというそっけない格好になっているが、公立の場合は紺色のいわゆる「ちょうちんブルマー(生地に伸縮性が無い)」から、伸縮するブルマーへ変更される過渡期ではと思われ、なぜこうした体育着が描かれたのか不明。校舎は鉄筋コンクリートのようであるが屋内は木造校舎を思わせるそれになっており、このへんは作者自身の青春への郷愁であろうか。



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(まんが王 1971年1月号)
For some reason Dandy is with a crime syndicate. He quarrels with a student on a road and to be defeated, but he gets an upset victory by an ingenious scheme. Dandy is a newcomer, but he brings only shames and damages to his syndicate, moreover he causes struggle against another syndicate. In the nick of time, he...

 なぜかチンピラになっているダンディー。路上で学生にケンカを売ればあっさり負けるが奇策で逆転したりする。新入りの彼は組の恥と不利益になるような事ばかりして、ついに他の組との抗争を引き起こしてしまう。だが土壇場になって……。

*1965年の東映映画「網走番外地」は高倉健の主演で大ヒットしその後シリーズ化されたが、その系列で数多く作られていたヤクザ映画の、パロディのような話になっている。柔軟な発想を”水平思考”として奨励し、創造的でない発想を”垂直思考”としてしりぞけるのも当時の流行だったようだ。珍妙な手を使って暴力の正面攻撃をひょいひょいかわしてゆくダンディーの姿を見るに、もしかすると吾妻ひでおはいわゆるアクション映画にあまり関心は無かったのかも知れない。組長の妾(めかけ)がアキ子という名前なのは歌手の和田アキ子からとったものだろう。ページの左側三分の一ほどが空白になっているのは、この頃のマンガ雑誌では作品中にこうした形で次号予告などを入れる事が行われていたためと思われる。今回、アーさんとナンシーは最後のコマにしか登場していない。これが本当は第11話になるようだ。



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(まんが王 1971年2月号)
Dandy has a production that plans a TV program, and he serves as a director. But he lacks the will to do, and the way he works is irresponsible. Then Nancy comes and pushes herself to him because she wishes to be an actress.
"Will ya take off your clothes for art ?"
"I'm comparatively confident of my nudity."
She is readily selected and to be popular, at last her love affair with Nekoinu the famous entertainer is the talk of the town...

 なぜかダンディーはTV番組制作のプロダクションを持ち、ディレクターをつとめている。しかし全くやる気なしのいい加減な仕事ぶり。そこへ女優志願のナンシーが売り込みに来る。「芸術のためには脱ぐかい?」「ハダカにはわりと自信あるの」で、あっさり抜てき。売れ出したナンシーは有名芸能人(?)であるネコイヌとの仲がうわさされるまでになるのだが。

*これは第13話らしい。芸能界ネタは吾妻マンガに時折描かれるが、業界の出鱈目さ、はかなさをからかった内容がここにも読める。とはいえ、誰が悪いとか、どこに問題があるだろうからどうすべきだ、といった考察や批判や説教は特に無い。こうした、基本的にドライなほど物事に動じない姿勢は、自身の苦難についての実話『失踪日記』でさえ見られ、吾妻マンガの特徴のひとつと言えるのかも知れない。そしてそうしたニヒリズムに通じるような淡白さは、この話でも、皮肉っぽいオチとして結実しているようである。
 ダンディと同様に瞳(黒目)が無いキャラクターの「ネコイヌ」はここで初めて名前を与えられたらしく(別の所にも書いたが、作者は本来、猫のつもりで描いたのに担当さんが犬と思ったという誤解が由来だそうだ)、後に『エイト・ビート』では少し顔など変化するがレギュラーで出演するようになる。
 「ダンディ・コーナー」として1ページ分を使った詩とイラストがこの回にもあるが、和服(といってもハート柄)のナンシーが遠くにいるのに、それを見ているダンディーは西洋風の窓から上半身を出していたりする。こういった無国籍性と感傷は当時、少女マンガには見られたかも知れないのだが、少年マンガでさらりと描く人はまれだったのではないかと思う。
 劇中に出てくる「おくさまは12才」は、岡崎友紀がヒロインだった『おくさまは18歳』(1970)のパロディだろう。「泣いていただきます」というのは、境正章による『笑っていただきます』という番組が確かあったのをもじっていると思われる。「スター百一夜」は『スター千一夜』(1959-1981)という番組からきているらしい。



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(まんが王 1971年3月号)
Dandy pokes his nose into a couple because of the cold, and takes a conductor's place by chance. Somehow he manages the role successfully, but he happens to meet...

 寒さのあまりアベックにちょっかいを出し、そのいきさつで楽団の指揮者と入れ替わる事にしたダンディー。どういうわけかそれをうまくこなすのだが、そこで出会ったのは……。

*これは第15話になるようだ。テキストに用いている単行本(株式会社マガジンハウス 1999年3月18日 第1刷)では、理由は不明だが以下の3つの回が収録されていない。

・第4話(別冊まんが王 1970年8月15日 夏季号)
・第9話(別冊まんが王 1970年11月15日 秋季号)
・第14話(別冊まんが王 1971年2月15日 冬季号)

 この頃になると画風が落ち着いてきており、第1話の当時に見られた、模索のゆえだろう不安定さは感じられないようだ。人物も大きく描かれるように変化してきている。またもストリップ小屋が舞台と言う危なっかしい内容で、何とも思い切った編集がなされていたものだと驚く。



(11)

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(まんが王 1971年4月号)
In broad daylight, Dandy sits on a crosswalk and calls out,
"I'm a pitiful vagrant, give me one hundred yen.".
A driver whoes bus came along there gets angry about interference from passage, and says to Dandy,
"Do your begging somewhere else !".
But Dandy quarrels with him, and to top it all, takes a bus from the driver...

 白昼、横断歩道の真ん中に座り込み、「あわれなふろう者でござい 百円おいてけや」と言い出すダンディー。通りがかったバスの運転手は通行妨害に怒り「コジキならほかでやれ」と言うが、ダンディーはケンカのすえバスをのっとってしまう。

*これが第16話のようだ。当時、路上生活をする人の姿を見かける事はきわめてまれだったようで、主人公がこうした暮らしをしているのは、非情に現実離れした描写として読者の目にはうつったのではないかと思われる。
 「世の中をコンランさせ しあわせなやつを不幸にするのがわたしの生きがい」などと主人公が宣言するあたりは健全な少年マンガの完全な逆をいっており、こうした無茶苦茶は吾妻ギャグに見られる個性のひとつのようである。ボクシングの場面は『あしたのジョー』のパロディだろう。眠そうな目つきの野良猫が登場するが、こうした動物キャラクターにはモデルが存在するのか、後の『贋作ひでお八犬伝』(1979)ではやはり眠そうな目をした犬(八房)が登場している。
 当時はまだスクリーントーンは世に登場して間もない画材のはずで、極めて高価だったろうと思われるのだが、この回ではそろそろ使い慣れてきたのか、バスの塗装の表現などで効果的に用いられ始めている。車両や複雑な歯車など妙に”メカニック”にこだわった描き込みがあって、もしかすると沖由佳雄はこのころから仕事場へ来るようになっていたのかも知れない(事実未確認)?



(12)

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(まんが王 1971年5月号)
Dandy's gang work part-time at a printing factory. Dandy has a bad feeling about this, and it proves right. He has a bitter experiences in a row. However they endure, because...

 アルバイトで印刷工場へもぐりこんだダンディー・ナンシー・アーさん達3人組。なにか不気味なものを感じ取るのだが、その悪い予感は的中、働いてみるとひどい目にばかりあう。それでもなぜ忍耐しているかというと……。

*これは第18話、実際には最終回のようだ。プロデビュー前の作者の実体験がもとになっているのではと思われ、奇妙な説得力が全編にある。劇中、ダンディーが職場の先輩たちを見て「あいつらあまりの重労働に狂ってる」「ボクやっぱ食えなくてもフーテンのほうがいいや」と語っているのだが、これは彼が今後の自分の人生について最終的な決断を下した瞬間なのだろう(”フーテン”とは当時の俗語で、定職につかずにいる人の事を意味する)。そして言わずもがなだが、それは作者の内面の反映でもあったのではあるまいか。
 「まんが王6月号よりどうどう新れんさい」という広告がそのまま残っているが、『その名は海賊大決戦』(1971年6月号)、『スーパー・ラム』(別冊少年チャンピオン 1971年7月号)を発表した後、『エイト・ビート』(週刊少年チャンピオン 1971年7月19日号~)の連載が始まっており、月刊誌『まんが王』は休刊したようである。



(13)

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(まんが王 1971年1月15日 お正月増刊号)
Ah-san scavenges for something on the roadside in a cold wind. He is drawn near a finishing school by the aroma of curry. He determines to pretend to be a lecturer for slipping into there, and plots to make a living for the time being...

 寒風吹きすさぶ街で、ゴミ箱をあさるアーさん。カレーの匂いに誘われ、たどり着いたのが花嫁学校だった。講師になりすまして潜り込み、しばし食いつなぐ事にきめたのだが。

*これは第12話になるらしい。”幸せになる事の難しさを認識させてやる”と悪だくみする三人組の行動は、教科書的なお行儀の良さと正反対をいく少年マンガの定石と言うべきか(巧妙な屁理屈ではあるものの、同時に物事の真実をうがっている一面もあるのは興味深い)。
 当時、花嫁修業の為の各種学校というのは実在したようで(今も存在するかも知れないが)、作者は流行をすばやく取り入れたものと思われる。「ヨドバシけいさつ」なる場所が出てくるが、これは東京都新宿区に淀橋という地区があり、すぐそばに新宿警察署があるので、それをモデルにしているのかも知れない。



(14)

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(別冊まんが王 1971年4月15日 春季号)
At night town, Dandy's gang call on the back door of a restaurant and beg for the leftovers. Then "Dayan" the one-eyed stray cat appears. Dandy's gang are to be his henchmen by an odd chance, and get into school as false students...

 夜の街で、料理屋の裏口をたずね、残飯をもらうダンディー・ナンシー・アーさんら3人組。そこへ独眼の野良猫”ダヤン”が現れる。ひょんなことからその子分になった(?)ダンディーたちは、ニセ学生となって学校へもぐりこむのだが。

*これは第17話になるらしい。俳優のチャールズ=ブロンソン(Charles Bronson)が男性化粧品のCMに出演し、日本で一躍有名になった頃なのでそれがナンシーの台詞に出ているようだ。
 ダヤンという独眼の猫は、『ななこSOS』のACT.12『ななこの騎士』で、だいぶ巨大になってはいるが、殆どそのままの容姿で出演している。

*下の画像は、この回が発表された『別冊まんが王 春季号』の表紙。



 主人公のダンディーと、ナンシーの2人がカラーで描かれている。ダンディーの隣にいるのは、きくちゆきみによる『アクションねえちゃん』のようだ。



 今回この雑誌では『アクションねえちゃん』が29ページ、『ふつかよいダンディー』が16ページという配分。前者の欄外を見ると「きくちゆきみ先生におたよりをしよう。ご住所は」……という表記があり、あて先は「第*栗山荘」になっている。吾妻ひでおらと一緒に住んでいた「武蔵野荘」から、よそへ引っ越してゆく場面が単行本『地を這う魚』の「第8話 別離れ」にあるが、それ以後の時期に執筆された作品である事がここからも分かる。



 なお、『ふつかよいダンディー』のほうには、「吾妻ひでお先生におたよりを……」といった文言は、無い。



 この当時すでに「週刊少年チャンピオン」も「月刊別冊少年チャンピオン」も存在したのだが(この『別冊まんが王 春季号』p.238に広告がある)、きくちゆきみと吾妻ひでおがこれらの雑誌に作品を発表するのは、まだ少し先のことになるのだった。

 なお「週刊少年チャンピオン」でも作品掲載は、きくちゆきみの方が先だったようで、1970年5号に『ナミダ探偵長』(読切)が掲載されたらしい(吾妻ひでおは同じ1970年の15~16号に『荒野の純喫茶』を発表している)。
 きくちゆきみは週刊少年チャンピオンで他にも、『マウンド無情』(1970年23号、読切)、『ボッチャマ』(1971年12号~15号)、『ファイティング凡太』(1972年12号~15号)を執筆したようだ(残念ながらまだ、手元に資料が少ない)。



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(まんが王 1970年9月15日 夏休み大増刊号)
Dandy and Nancy become penniless as usual. They know that Ah-san earned by pickpocket, compel him to give its lessons, and go to a railroad. Ah-san finds a legendary expert of pickpocket...

 相変わらず食い詰めているダンディーとナンシー。アーさんが”スリ”で稼いだと知るや、自分たちにも教えろと強要し、3人で鉄道へ。するとアーさんは、そこに伝説的な名人スリがいるのを発見するのだが……。

*これが第6話になるようだ。なぜ、単行本においてこれを最後にもってくるという順序で作品を並べる編集が行われたのか理由は分からない。しかしこの回はおそらく、『二日酔いダンディー』全話において最も印象的な話なのではないかと思う。
 ”スリ”という特殊な犯罪は創作者にとって興味深い題材なのか、"ちばてつや"のような巨匠もこれを取材して作品に仕上げていたと記憶する。しかしおそらく僕ら読者がここで目を引かれるのは細部の描写など以上に、この回の物語が持つドラマ性の強さだろう。
 ゲストキャラクターとして名人スリの親子が登場する。息子の方は名人である父親を既に凌駕(りょうが)するまでになった天才的な腕前なのだが、スリ稼業に嫌気がさしているという現状。父は息子に、息子は父に、それぞれ互いに愛情を持っているのに、最後までそれが噛み合う事は無い。息子にできた最後の最善は……劇的な「どんでん返し」となる結末が明らかになってしまうのでここには詳しく書かずにおく。悲しい、しかし、いい話だと思う。
 1980年代に入ると世間の流行が変わって、読者も作者も「暗い」ものを病的なまでに恐れるようになり、「明るい」ものを好むようになって、哀しみや重さを持つマンガは徐々に消えていったようだ。もっともそういう選択をした日本社会も、やがて「明るい」バブル経済に見捨てられる運命だったのだが。
 劇中にあるのは”500 Miles”という60年代フォークの歌詞で、この曲は音楽にまるで関心の無い人でさえ当時なら一度は聴いた事があるであろうと思えるほど有名なもの。検索すればたぶん原曲をまるごと、無料で聴けるはずである。



はじめに

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This series was published in 1970, and some Japanese manga-artists ( such as Rumiko Takahashi when she was an elementary schoolchild ) were influenced by this.

 『ざ・色っぷる』は1970年の秋から週刊少年サンデーに連載された作品だが、単行本の発売は連載終了から10年後、1980年12月10日のことだった(奇想天外社 奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集 4)。『失踪日記』p.128に言及があるがそれによると"タイトルもアイディアも編集主導"であったらしく、作者としては個性を発揮しにくい条件下での執筆だったのかも知れない。同書には「人気なくてすぐ終わったから良かった」と語られているのだが、調べてみると確かに連載は6回で終了したようだ。最低でも10週間は連載し(そうすれば単行本1冊分の原稿枚数にはなるから)、単行本の発行までは新人漫画家のめんどうを見る、といったシステムは当時まだ無かったものと思われる。
 それでもこの作品あたりから吾妻マンガに注目するようになった読者はあり、その中には後日に自身がプロとなる人達もいた。例えばその1人は高橋留美子で、小学校の中学年くらいの頃、何度も読み返しては似顔絵を描いて楽しんでいたという(奇想天外臨時増刊号『吾妻ひでお大全集』p.238)。もう1人は"ささやななえ"で、『二日酔いダンディー』が好きだったのだが『ざ・色っぷる』には物足りなさを感じて「抗議の手紙」を出したそうである(同書p.54)。なお"ささやななえ"本人が記しているところによれば、単行本『ざ・色っぷる』p.95にある、「こんな作品にも一通だけファンレターがとどきました まだデビュー前のささやななえさんから…」という記述は誤りで、その時には既にデビューを果たしていたとのこと。
 いつだったかはっきりしないけれど(もしかすると1976年、最初に吾妻先生とお会いできたその席で)僕は、"ささやななえ"がかつて「ファンなんです、ベタやらせて下さい」と言って吾妻先生のもとを訪れた事があるという話を、喫茶店カトレアにて吾妻先生から直接聞いた記憶がある(ひょっとするとこの"1日アシスタント申し出(?)"の印象が強く残って、"ささやななえ"がデビュー前だったかのように記憶を混同されたのだろうか?)。しかしこの"ベタ(指定された箇所に墨汁を塗ること)うんぬん"のくだりは、"ささやななえ"自身による(上述の)回想に記載が無いようで、詳細は分からない。
 『ざ・色っぷる』は、ヒロインが最初から最後までほぼずっと同じ独特の服装で通していたり(当時の少年誌ではこれが普通であろうけれども)、各話完結ではなく全107ページの長編になっているなど、吾妻マンガには珍しい構成を持つ作品と言えるかと思う。カテゴリが増え過ぎると後で煩雑になりそうなのと、発表時期が近く内容も少年マンガとして同じ範疇に入るだろうかと思い、ここでは『二日酔いダンディー』と同じカテゴリへ分類することにした。



*『ざ・色っぷる』連載開始1週間前の少年サンデーをみると、4箇所(p.57,95,221,265)にこの作品の予告広告が入っている。上の画像はそのうちの1つなのだが、文言を見るとここには「色ッポイルド・アクション」なる造語があって、編集部としては主人公を、色っぽくて可愛いおねえさん、といった路線で売り出そうとしたかのような雰囲気が見て取れる。しかしこの「色っぽい」路線には吾妻ひでおが抵抗したらしく(?)彼女の裸身が描かれるといった事も無いまま連載終了したようだ。吾妻ひでおにエロティックなものを描かせてヒットさせようという戦略は、後に週刊少年チャンピオン編集部も試みており、『ふたりと5人』などはそれによって、出版ビジネスの観点から評価するならば、かなりの成功をおさめたように思われる。



 本作品の初回はトビラがフルカラーで描かれており(上の画像)、このへん、恵まれた条件でのスタートではあったと言えようか。見ると、頭の月桂冠(?)が紅葉していたり、単行本のカバーに描かれた肖像とは色指定が少し異なっているのが分かる。



第1話

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(少年サンデー 1970年10月4日号)
"I hear that there is an indecent island where its inhabit are only women. Why are there just women ? All men were made to be dried foods and to be nourishments for women, that is the reason !"
Islanders are a middle aged "Mama" and 180 young girls. "Mama" starts on a trip for giving spouses to girls, and takes "Iropple" to a trip...

 「水平線のかなたに、女しか住んでいないというイヤラシイ島があったそうな…… なぜ 女しかいないというと男はみんなひものにされて彼女たちの栄養になったという理由によるのだ……!!」その島に住んでいるのは中年の「ママ」が1人、あとは全員が若い娘たち(全部で180名)という状況。年頃となった愛娘たちに「オシベ」をあてがってやるため、「ママ」は「色っぷる」をつれて島の外の世界へと旅立つ……。

*アマゾネス伝説の吾妻流解釈とでも言うべきか。のっけから「人喰い」というブラックユーモアが出てくるあたりは、作者の個性なのかそれとも当時の少年マンガ雑誌が前衛的な実験を試みて編集部からアイディアがきたのか不明。男を「オシベ」と称しているのは、この頃に模索されていた性教育で、直接的な表現は避けて「オシベとメシベがくっついて受粉するとやがて果実が出来るように……」といった例えで生殖を説明していたことからきているのではないかと思われる。最初の舞台となる島が、仰向けに寝そべった裸婦のような形をしていたり、いろいろ細部も面白い。2コマ目、下のほうにちょっと描かれているのは、吾妻ひでおの師である板井れんたろう(原作は吉田竜夫)のマンガの主人公、原始人"ドカチン"のようだ。



第2話

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(少年サンデー 1970年10月11日号)
Iropple captures 2 men who happen to meet, by her overwhelming might.
If you look for men, is it good for you to go Japan where is overpopulation ?
Therefore the party chose Japan as their destination.
But that is too far for a walking tour.
Iropple's gang makes a camp, then...

 圧倒的な強さで、出遭った男達2名を倒し捕獲した、色っぷる。男を物色するというのなら日本がいいのではないか、なぜなら「あそこは人間があまって」いるから、というわけで一向は目的地を日本に定める。しかし徒歩での旅はあまりにも長い。道中に野営をする色っぷるたちだったのだが、そこへ……。

*いちおう現代が舞台であるらしいのだが、時代と場所はかなり曖昧(あいまい)だ。第1話でサハラ砂漠という地名が出ているけれど、それを真に受けるならアフリカ大陸の北部を一向は旅していることになる。しかし……まあ読めば分かります。
 「フトモモあらわなミニねえちゃん」という台詞があるが、これは1960年代後半からミニスカートが流行していたからだろう。「ボインぞろいの喫茶店」の"ボイン"というのは当時の俗語で、胸の豊かな女性をいう。……こんな説明をせにゃならんのかいな!?



第3話

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(少年サンデー 1970年10月18日号)
Iropple's mama is imprisoned. According to an explanation by a man who has been imprisoned, "Everyone are going to be eaten by them" one per day. Then Iropple is invited to a drive by a man who passed by with a sports car, while she is looking for her mother by herself. Because of having no experience, Iropple gets on his car easily...

 囚われの身となった、色っぷるのママ。先につかまっていた男の話によれば、毎日ひとりづつ「食われちまうんだよあいつらに!!」とのこと。一方、独りでママを探していた色っぷるは、スポーツカーで通りかかった男からドライブに誘われる。全く経験と言うものを持たない色っぷるは、あっさり彼の車に乗り込んでしまう……。

*「インベーダー」という台詞があるが、これは日本でも放送されたアメリカ製TV番組の題名("The Invaders" (1967) )をさしているものと思われる。



第4話

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(少年サンデー 1970年10月25日号)
Iropple's party make a voyage by a raft they built. Iropple happens to meet again a mysterious young guitarist that she fell in love at first sight, when they "Almost arrive in Japan". Iropple dives into a sea by herself and chases the young man, but it is gradually stormy...

 色っぷるたちは筏(いかだ)を組んで海上を進んでいる。「もうそろそろ日本につく」という時、なんと、色っぷるが一目惚れした謎のギター青年と出くわす。色っぷるは単身海へ飛び込み、青年の後を追った。しかし海は荒れてきて……。

*トビラが時代劇の股旅ものみたいに描かれているので「!?」と思うのだが、間違いではなく、このあと実際そういう展開になる。ギター青年がポンチョを着ているのは、もしかすると1960年代後半に輸入されていたマカロニ・ウエスタン(イタリア製の西部劇映画)がヒントになっているのかも知れない。



第5話

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(少年サンデー 1970年11月1日号)
Iropple is involved in a struggle because of doing her duty to a gangster. To her surprise, mama's party that got separated from her, belongs to enemy. Iropple meets her mama again, and mama succeeds in gathering 98 candidates of bridegroom. But Iropple is unable to forget the mysterious young guitarist. Then an armed struggle occurs suddenly...

 一宿一飯の恩義で、ヤクザの喧嘩に巻き込まれる色っぷる。ところが敵方に、はぐれたママたち一行がいた。無事に再会を果たし、ママも花婿候補の男達を98名まで集めるのに成功。しかし色っぷるは謎のギター青年のことが忘れられない。そこへ「出入り」が起きてしまい……。

*いきなりSFになって「時空連続帯がゆがみ時間の流れにひずみが生じたか!?」などという台詞が出てくる。本の表紙に「ハインライン」(ロバート・アンスン・ハインライン(Robert Anson Heinlein)だろう)の文字が読めるが、具体的に何かの作品を意識しているのかどうか、残念ながら僕には分からない。「ハヤシもあるでよ」というのは当時の流行語で、南利明がカレーのCMにこの名古屋弁をしゃべっていた。



第6話

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(少年サンデー 1970年11月8日号)
180 daughters can hardly wait for return of their mama. Finally they run out the island and look for their mama. Then mama loses all candidates by an armed struggle, all her effort comes to nothing. Iropple meets again the young guitarist, but he gets away from her. Iropple's party open reluctantly a business of bandit...

 ママの帰りを待ちきれなくなった180人の娘達は、島を飛び出してママの行方を捜す。一方ママは、出入りで男達がみな死んでしまったため努力も水の泡、振り出しに戻ってしまう。色っぷるは憧れのギター青年に再会できたものの、逃げられる。仕方なく一行は山賊(?)を始めるのだったが……。

*これが最終回。むちゃくちゃな物語のようではあるが、現実の束縛を受けない奇妙な世界には独特の存在感があり、当時読んでいて不思議な魅力を感じさせた。ことが順調に運んでいるように見えて突然ぶち壊しになり、これから一体どうなるんだ? と思っていると意外な解決がなされたりと筋にひねりがある。また主人公の初恋がなかなか順調にはいかなかったりと、複数の筋をより合わせる工夫もみられる。連載がもう少し長く続いていたらより面白いものになったのではと考えられ、編集部による打ち切りだったとすれば惜しまれる。吾妻ひでお最初の週刊誌連載作品だが、最初の長編(各回読みきりではない)マンガとして興味深いものに思われる。
 「いっちゃいや~!!」という台詞は、当時の男性化粧品のCMからきているのかも知れない。



ウェルカム宇宙人

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(まんが王 1970年 お正月大増刊号)

"WELCOME ALIEN"

"We interrupt our regularly scheduled program. Mysterious ufo emerged over Japan in early this morning, and to our surprise, an alien came out from it." TV lives from the actual spot. There is crowded by onlookers who are eager for watching the alien, a group of reporters, and a police force that make efforts to cool off people. But everyone go on getting wildly excited...

 「ニュース速報です けさ早く日本上空に怪円盤が現れ オデレエタことに中から宇宙人が出てきたのであります」……そしてTVでは現場からの中継が始まる。宇宙人をひと目見ようとするヤジウマに報道関係者、それをしずめようとする警官隊でゴッタがえして、事態はエスカレートするばかり……。

*雑誌への本格的デビューから3作目くらいにあたるのがこの作品で、いかにも新人らしい必死さや情熱、模索などが見える。全ページにわたってみっちり細部まで描き込まれた画風は"省略"というものが殆どなされていないような感じで、これはまだ不慣れであったゆえだろうか。それでも丁寧な作画は読者に好印象を与え得たのではないかと思われる。物語の中で流れている時間と、それを読んでいる読者の時間がほぼ一致する手法で描かれており、読んでいてお話の中に入ってゆきやすく、またスピード感ある展開を可能にしているようだ。吾妻マンガということでSFを期待する読者も多いかも知れないが、ここで扱われているのは実は宇宙人の事というよりも、それの出現によって大混乱の醜態をさらす地球人(より正確には日本人)たちの姿である。高田馬場(たかだのばば・東京都新宿区にある地名)うんぬんという住所が台詞にあるが、ひょっとして作者が東京で最初に(1968年頃)下宿した場所かどこかであろうか?
 掲載された書籍が特殊な版型であったのか、単行本では下方三分の一ほどが空白で、そこに描き下ろしらしい"パラパラマンガ"ふうの小品が加筆されている。



ザ・トンズラーズ

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(まんが王 1970年 春休み増刊号)

"The Tonzulars"

A boy who capped is shoplifting in public, somehow. A storekeeper is astonished at this and shouts out "Shoplifting!". Strangely enough, the boy and another man, run away at the same time, but they goes to opposite, each direction. These 2 meet again at a park, and get acquainted with each other. In fact, the "boy" was a girl, and she stole recklessly because of her astigmatism...

 書店内。ハンチング帽をかぶった少年が、何を考えてか堂々と万引きをやりまくる。仰天した店主は「万引~ィ」と大声で叫ぶのだったが、なぜか逃げ出したのは2人で、しかもそれぞれが正反対の方角へ走ってゆく。公園のトイレでこの2人は出会い、話してみると少年が実は女で、乱視のために無茶な万引きをやっていたと分かるのだが……。

*登場人物にこれといった名前が無いというのは吾妻マンガの特徴らしく、この頃からすでにそれが見られる。もっとも、常にそうであるというわけではなく、何を理由として名前がついたりつかなかったりするのか気になるところではある。こそ泥を商売とするこの作品のキャラクターは、後にまんが王1970年6月号から連載開始となる『二日酔いダンディー』の原型になったのではないかと思われるが定かではない。この作品でも下方三分の一ほどの空白に描き下ろしらしいミニマンガ「ひでお芸能大全」が加筆されている。



タイガーパンツ

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(まんが王 1970年4月号 付録)

"The Tigerpants"

Hideo the boy fixes his eyes on TV that is televising a match of professional wrestling. "Why don't ya study occasionally !?" His mother scolds him, but he seems as if he cannot hear at all. Not long afterward, Hideo makes a mask from a striped underpants, pulls it over his face, and to be "The Tigerpants"...

 TVで放送されているプロレスに見入っている少年、ヒデオ。「たまには勉強でもしたらどうなの!」と母親に叱られてもまるっきり聞こえていないかのようだ。やがてヒデオは虎縞模様のパンツをハサミで加工して覆面をでっちあげ、それをかぶって「タイガーパンツ」となり……。

*『失踪日記』p.128に題名の出ている作品がこれらしい。「にいちゃんたら試験が近くなるとすぐ狂うんだから!」と妹にも呆れられている主人公なのだが、プロレスの観過ぎで本当に頭がどうにかなってしまったようなその姿は、笑えるというより不気味さが漂う。白目だけで瞳が無く、歯を見せて笑っている(そして殆どずっとそのまま表情が変化しない)あたり、後に「3大異常キャラクター」に結実する原型が見られるようにも思える。絵柄は石森章太郎の影響が非常に強く出ている感じで、なぜこの作品でこうした絵柄になったのか分からない。ただし美少女や少年達の顔の造作(ぞうさく)は吾妻ひでお独自のそれになっている。どういう絵柄にしようか模索している最中で、まだ絵柄が安定していなかったのだろうか。



あなたまかせのノンポリ球団

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(まんが王 1970年5月号 付録)

"The nonpolitical professional baseball team depends on you"

A baseball game is going on. One team seems to lack the will to play, all members are dispassionately in spite of their complete defeat. An owner of this team "The Nonpolies" loses his temper, and applies a new manager. It is a girl by the name of Saori Okumura. Is it effective in betterment ? (Of course it's not.)

 野球の試合が行なわれている。しかし一方の側は全然やる気の無い様子で、無得点完敗なのに平然としている有様。そんなチーム"ノンポリーズ"に業を煮やしたオーナーは、新しい監督をあてがう。なんとその人物は女の子、奥村さおり。果たして事態は改善されるのだろうか? (もちろん、改善なんかされないのだ。)

*奥村さおりという名前は歌手の"奥村チヨ"と"由紀さおり"を合成したのではないかと思われる。美少女の目の描き方はどこか石森章太郎ふうに感ぜられるが、画風をまだ模索していたのだろうか。「ノンポリ」というのは当時の俗語で、政治(politics)に関わらない学生を指していたらしいのだけれど、ここでは特にそうした意味合いは無く、主人公達がプロスポーツ選手として通常期待される姿から逸脱している事を表現しているようである。また当時の少年マンガでは「スポーツ根性もの(略してスポ根)」が流行していたようなのだが、その大勢に合致していない奴ら、という意味にも思える。こうした、世の中における多数派ではなくむしろ少数派、場合によってはアウトロー(無法者)にスポットをあてて主人公に大抜擢するというやり方は、初期の吾妻マンガに見られる特徴のひとつなのではないかと思う。この事は、次に収録されている作品『その名は海賊 大決戦』についても当てはまる。



その名は海賊 大決戦

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(まんが王 1971年6月号)

"The pirate - a decisive battle-"

A small raft drifts in the ocean. A man and a cat get on it. They pirate by private management, but they are timid as are frightened when they deal with a big fish. At last, they find out a sailing boat as a target, but...

 大海原にぽつんと1つ、イカダが漂流している。そこには男1人と猫1匹が乗っていた。彼らは個人で海賊をやっているのだったが、大きな魚が相手でさえびびってしまうという弱腰。ついに獲物の帆船を発見、攻撃をしかける。だがうまくゆくわけもなく……。

*吾妻マンガに"海賊"が登場することは皆無ではないだろうが(『二日酔いダンディー』(5)など)、物語の最初から最後まで"海賊"という題材で通して扱っている話というのは(SFにおける"宇宙海賊"を別にするなら)もしかするとこれが唯一の作品かも知れない(?)。そもそも西洋史に取材した吾妻マンガは稀(まれ)なようで、なぜこの作品で海賊が主人公に選ばれたのか不明。石森章太郎のマンガに『海賊王子』があるので(『少年キング』1966年10~22号、『まんが王』1966年8~11月号で連載)、そこから着想を得たのだろうか?
 ここで登場する女海賊スマイルキャットは目の描き方が独特で(黒目はあるが白目は無い)、吾妻オリジナルの美感覚がそろそろ発揮され始めていたのではないかと思われる。一方、後にレギュラー出演するようになるネコイヌは白目だけのキャラクターだが、これはヒサクニヒコの漫画にヒントを得たという事を作者自身がインタビューで語っている(『吾妻ひでお大全集』p.82)。
 "ダメな男"が動物を相棒として登場し、自分よりはるかにやり手で地位もある女と出くわすといった人物配置は、この後に『週刊少年チャンピオン』で連載される『エイト・ビート』の原型なのではないかと感じたが、どうであろうか。

 落伍者の如き"ダメな人"が主人公のマンガは多いだろう(昔日においては少なくともそうだった、これは英雄譚(えいゆうたん)などを別にすれば読者に劣等感を与えかねない者を主役にすべきではないと出版側が計算したのかも知れない)。しかしそれらの作品では大抵、結局は主人公が成功して何事かを成し遂げたり、或いは自分の弱点を克服するという展開だったような気がする。吾妻マンガに登場する"ダメな人"にはこうした逆転劇が無く、物語の終りまで性格が変らないようだ。これはある意味現実的に思われる。そして、多数派や平均値と違っていても良いはずだ……という温和な主張が根底に流れているかに見える。吾妻マンガに登場する"ダメな人"たちは、人それぞれの個性と尊厳、自由について信念を持っているように僕には思える。そしてそれが吾妻マンガの良さの1つなのではないかと思う。



あとがき こうして私は漫画家した

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(描き下ろし 1980年12月)

"A postscript - How I was to be a manga artist ? -"

This autobiography explains a recolection from when the author was high school student, to the time he was employed as an assistant of a professional manga artist, after his graduation.

*高校時代から始まって、卒業後アシスタントに採用されるまでのいきさつが語られている。「漫画界一寸先は闇なんだよ~!」が結論とも言うべきアドバイスであるらしい?

(単行本『ざ・色っぷる』は、ここで終わっている。)





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